GINZA CUVO

2006年9月アーカイブ

テレビ番組"さしのみ"最終回 先日石原都知事(76歳)とみのもんたさん(60代半ば)の"さしのみ"という番組の最終回を見ていた。僕は職業柄上、どうしても彼らの顔の特徴を覗き込んでしまう。男性のしわは年輪のように刻み込まれるので、それがかえって魅力的という女性も少なくない。みのもんたさんのしわは、少なくとも10歳以上年上の石原都知事のものより深い。多分、みのもんたさんは仕事中毒なようなところがあって、一日の睡眠時間も2~3時間らしいので、老化が早いのかもしれない。それに比べて石原都知事の顔はしわは少なく、実年齢ほど老いた匂いを感じさせず、むしろ自信に裏付けられた風格を漂わせている。石原都知事は戦前に生まれ、日本が独自のプライドを持ち合わせていた頃に生きていた。戦後生まれの僕たちは、潜在的にアメリカの言いなりで、日本人としてのプライドを忘れている。アメリカに迎合しない石原知事の自信に魅力を感じる人たちは少なくない。 "しわとたるみ"の違い ただ、この二人の顔を見ていて唯一気になったのが、目の下のたるみだった。先ほど述べたように、顔のしわはそれほど気にならないし、むしろしわがあったほうが自然だ。しかし、目の下のたるみに関してはどう見ても邪魔な老化現象としか言いようが無い。目の下のクマ(くま)やたるみには年輪の風格は全く感じない。もし、石原知事とみのもんたさんに目の下のたるみがなければ、二人の顔は画期的に若返ってさらに魅力的な男性となるであろう。 では、何故しわはそれほどでもないのに、目の下のたるみは顕著に老いを感じさせるのであろうか?その答えは簡単、しわは笑いじわのように顔の表情に伴って現れるのに対して、たるみは皮膚、皮下組織の緩みが原因で重力に抵抗できずに起こる決定的な老化現象だから。老化現象に伴うたるみは体全身に起こる。 男性では30代になって油断しているとお腹が出てくることも多い。男性の場合、体質的に内蔵に脂肪が溜まりやすいため、運動不足の男性はお腹に脂肪がつきお腹が前に出てくる。特に、若い頃から運動をしておらず腹筋が発達していない場合、20代後半でもお腹が出てくる場合がある。これも一種の老化現象とみなされる。それもそのはず、動物学的に見た場合、自分で獲物をとれなくなった個体は自分の体に栄養を蓄えるしかない。そのため、老化してきた個体はお腹に脂肪を蓄え始めて、いざというときのための栄養を維持しておくのだ。逆に元気な若い個体はいつでも獲物を得られるため、体には余分な脂肪をつける必要がない。そのため、体は筋肉が隆々としており、人間は本能的にこのような体型に若さを感じる。 自分ではどうする事も出来ない"目の下のクマ(くま)、たるみ" 顔の場合も同様で、引き締まった顔は若さがあり、魅力と言える。逆に怠惰な生活を続け、締まりのない顔は魅力的ではない。だから人間は、特に男性の場合、"生き様が顔に現れる。"と言われるのだ。それなりに、緊張感のある人生を送っていると、石原知事のようにたとえ76歳になっても顔はそれほどたるまない。しかし、目の下だけはどんなにすてきな生き様をしていようと関係なくたるみ出す。早い人であれば、20代前半でも目の下のたるみが気になり出すが、それは目の下のたるみの原因は過剰脂肪が原因で、これは我々がモンゴル民族から引き継いだ遺伝子の賜物であるからに他ならない。僕がこの治療に執拗にこだわる理由はそこにある。どんなに魅力的な生き方をしていても、目の下のたるみだけは自分で解消する事はできない。どんなにダイエットしても目の下の過剰脂肪だけは痩せない。それはこの脂肪が栄養を蓄えているからではなく、目を寒さ守るために用意されていたモンゴル民族特有の脂肪だからだ。 今は亡き僕の祖父にも顕著な目の下のたるみが存在していた。子供ながらに僕は目の下のたるみだけは醜いものとして認識していた記憶がある。残念ながら僕もその遺伝子を引き継いだようで、僕の目の下にもたるみが目立つ。 いわゆる"脱脂"ではない、本当の"目の下のクマ(くま)、たるみ治療" 先ほどから述べたように、目の下のたるみの原因は過剰脂肪が原因だ。この目の下の脂肪を除去することを巷では何故か"脱脂"と呼ぶ。僕もこの"脱脂"治療を頻繁に行ってきたが、今やこの治療を単に"脱脂"と呼ぶつもりはない。なぜなら、僕が行う目の下のたるみ治療は、経験とともに進化し続け、脂肪除去のみがその治療の意義とは言えなくなってきているからだ。過剰脂肪を除去することは目の下のたるみ治療の50%の価値としか言えない。残りの50%は僕の1500症例の治療経験の中から生み出した目の下の皮膚のリフトアップを操作にある。この操作はラーメン屋さんで言えば秘伝のスープのようなものなので、ここで明かす事は出来ないが、僕の目の下の治療を受けた多くの患者さんたちが目の下のリフトアップ効果を感じてくれるようになった。 石原知事とみのもんたさんの番組を見ながら、ふと感じたこのような顔の特徴のことは顔の治療を専門とする僕だけが感じ取るものなのかもしれない。しかし、僕のクリニックにくる美意識の高い多くのお客様たちはみな、治療の後には他人の目の下のたるみに目が止まるという。きっと彼ら、彼女たちも"さしのみ"を見ながら、石原知事とみのもんたさんの"目の下のたるみ"に目が止まっただろうと思った。

目の下のたるみ治療について
目の下のくま治療について


松葉杖をつきながらたどり着いた重慶 先日9月20-24日まで、中国の重慶で行われた第4回目の日本、中国、韓国合同美容外科学会に参加した。重慶は上海から西に飛行機で2時間半の、内陸に位置する。日本にはあまり馴染みの無いが、人口3000万人を抱える大都市である。近くには四川省の都、成都があり観光地として有名である。重慶は中国政府直轄地なので、街自体は整備の行き届いていたが、山奥に切り開かれた市街には坂道が多い。そのせい、中国では良く見かける自転車が全く走っておらず、北京や上海とは雰囲気が異なる。 日本からは高須クリニック高須克弥先生を代表とする総勢30人の医師を中心の一行でこの学会に参加した。僕も先月の末に怪我をしたアキレス腱断裂が完全に回復していないため、松葉杖をつきながらの参加となった。怪我をした時はキャンセルも考えたが、すでに学会発表の演題を提出していたので、どうしても参加せざるを得なかった。飛行機は名古屋セントレア空港から上海経由、重慶行きだったが、名古屋までは新幹線で行かなければ行けなかった。なんとか足がつけるようになったものの、松葉杖で健常人と足並みを揃えて行動することには一抹の不安を覚えた。だが、駅、空港にはどこにでも車椅子が用意されていたおかげで、問題なく移動することが出来た。始めて乗る車いすであったが、これもまた貴重な体験だった。車いすに乗ると、普通の人が歩く高さの目線の半分の位置になるのだが、その距離感以上に自分が健常人との差があることを感じる。普段気がつかない健康のありがたさが身にしみる良い経験となった。 十仁病院出身医師たちとの交流 出発から約12時間かかって重慶につき、その夜は四川料理を食べて寝ることになったが、その料理の唐辛子と山椒のスパイスには驚かされた。翌日は重慶市内観光ツアーに出向いたが、日本に比べるとまだまだバリアフリーとは言えないこの街での松葉杖歩行は骨が折れたが、高須克弥先生には「いいリハビリになってますね!」と元気づけられた。学会自体は総勢500人以上の集まる大規模なものであった。発表は顔中心の治療か胸、脂肪吸引など体に関する治療が主体となる。僕は目の周りの治療についての発表を行った。美容医療も国や立場が違うとその方法、考え方も大きく異なるが、東京の中心地、銀座で行う美容外科的アンチエイジング治療関する僕の発表は、少なからず興味を持っていただくことが出来たと思う。 この仕事を商売的側面を持って行う以上、普段はライバル関係にある他院医師たちとも、学会の間は日本の代表として団結する。東京からは僕を育ててくれた十仁病院、梅沢院長と、やはり十仁病院出身で、この病院で僕に直接手術指導してくれた、銀座ノエル美容クリニック院長、保志名勝先生が出席した。保志名先生とは重慶までの飛行機で隣の席になったため、美容医療の最近の様子について存分に話し合うことが出来た。僕のクリニックとノエル・クリニックは目と鼻の先に位置し、ともすればライバルとなる。しかし、お互いのクリニックはそれぞれの独自の顧客層を有しているので、競合関係にならないので良い関係を保てている。十仁病院出身の先生たち、そして僕は同じ銀座でそれぞれ独立してクリニックを営んでいる。これらの先輩医師たちと重慶の学会を通して交流できたことは大変価値がある。同時に、僕は十仁病院出身の医師として、同門の優秀な先生たちの仲間入り出来たことをとても誇りに思う。
“目の下の治療”に対する分析 早いもので開業してからはや1年半が過ぎようとしている。当クリニックもこの期間の間に随分とお客様に認知され、僕一人で全ての診療を担当していることもあり、今や治療は一ヶ月半待ち、カウンセリングは約一ヶ月待ちの状態となっている。この傾向は僕の行っている治療方針に大筋間違いのないということを示す、良い兆候と考える。しかし、僕も人間なので常に完璧な治療を行えるというわけでもない。例えば、開業以来、今年の8月までに目の下のクマ(くま)、たるみ治療の治療を受けた方のアンケートの集計を行ったところ、7割が“大変満足。”、“2割がほぼ満足。”、1割が“どちらとも言えない。”もしくは“やや不満の残る。”との結果が得られた。この1割の“やや不満の残る。”と答えた方に「その理由は?」と尋ねたところ、“治療後の腫れ、黒ずみ、皮膚の段差が気になる。”との事だった。この1割の方に追跡調査を行ったところ、これらの大半の問題点は1~3ヶ月間に解決していた。全体の9割の方がこの治療に対して、大方価値があるとの評価を頂いた。医療において9割の方々が満足する治療である場合、それは非常に価値があるのは紛れもない事実で、この治療を推奨する僕としても大変誇りに思う。 どんどん増える患者さんたち、“困難な症例”の増加 気がつくと、このクリニックでも目の下のクマ(くま)、たるみ治療は毎月100名余りの治療を行っており、開業以来、あっという間にこのクリニックで症例数は1000名を超えた。その中で、当クリニックの為に症例写真のモデルとなってくれる方も毎月一人は増え、今年度中に後3人は増える予定である。僕もこの目の下の治療を毎日4-5人治療していると、技術的には完成されたと自信を持って宣言できるレベルに達した。その証拠として、最近、当クリニックを訪れるお客さんの中に他院で目の下の治療をすでに数回行った方々の来院が急速に増えだしている。正直に申し上げると、目の下の治療は回数が増えるほど、瘢痕と呼ばれる組織が増えるため、技術的に困難となる。そのため、そのようなお客さんがいらっしゃると、僕も「どうすべきか?」と悩むことが少なくない。当然、治療を行うからには現状以上に良い状態になることが予想されるのでなければ、治療に踏み切るべきではない。しかし、患者さんが僕の治療に最後の望みをかけて期待してくれている限り、そう簡単に断るわけにも行かない。この治療を自信を持って提供し、日本で一番目の下の症例数をこなしている僕としては、出来る限りのことをすべき立場にいる。そして、これらの難しい症例をこなしてこそ、“その道のプロ”として生きてゆけるのだ。プロのスポーツ選手を見ると、まさにそのお手本となる。イチローや松井選手も簡単にヒットを打つように見えるが、相手の投手は常に手元で変化する癖玉を投げてくる強者だ。直球あれば、ヒットを打てたとしてもプロとしては通用しない。あくまで、このような癖玉をヒットに出来てこそ、“プロ”と言える。つまり、僕の場合、他でうまくいかなかった症例うまく治療できてこそ、この治療のプロとして認められる。そういった意味で、これからが正念場と言える。 完成域に達した治療技術 困難な症例に遭遇することが増えるにつれ、この治療を初めて受ける方々の治療の結果がさらに安定するようになった。難しい症例をこなすことで、僕の技術が向上し、通常の症例であればいとも簡単に行えるようになったということである。毎日この治療を一年半行い続け、結果が良くなければ悪評が立ち、患者さんたちの足は遠のいていたであろう。また、僕自身に才能が無いと判断し、この治療をあきらめていただろう。しかし、ここまで治療経験をこなして、初めて揺るぎない自信を持つことが出来た。逆に言うと、この治療がいかに難しいかということを示している。なぜなら、外科医として10年間トレーニングしてきた僕が、油の乗っているこの時期にこの治療を1000件以上こなして、ようやく完成したと実感できたのである。つまり、付け焼き刃的にこの治療を体得するのは不可能である。 治療後の腫れの本当の原因は? では、先ほどの得た治療結果の満足度にややばらつきがあるのはどうしたわけだろうか? それはこの治療を行う僕の技術のばらつきではない。常に片目の15分、合計30分の全く同じ完成された治療を行っていても、それを受ける患者さんたちの健康状態によって、結果が異なることがわかった。 まず第一の要因として患者さんの年齢が挙げれられる。僕のこの治療経験では最年少で16歳のから最高齢で80歳までの年齢差がある。当然、若ければ若いほど回復力は良く、腫れや赤み、しばらく現れる皮膚の段差(へこみ)等がほとんど起こらない。それは若い人にはコラーゲン、ヒアルロン酸などの弾力性が優れているため、ゴムのように縮み易いからだ。僕がこの治療を若い人に行うと、そのことを治療中に常に実感する。20代前半の患者さんたちの場合、レーザーで脂肪除去して、その後血を止める操作をしなくても血管に弾力性があるため、勝手に縮んで血が止まるからだ。このような患者さんたちに内出血などの赤みが起こる可能性はほぼ0%に近い。腫れやむくみ、皮膚の段差(いわゆる“へこみ”)が起こる期間も数日程度である。 逆の例を挙げてみよう。40代独身男性一人暮らし、食事は毎食コンビニ弁当で、血圧を測ってみると、180/100の高血圧、糖尿病の傾向ありでコレステロールが高い。タバコは一日30本、毎日焼酎一本を空けるとのこと。身長170cm、体重100キロ。こういった患者さんが目の下のたるみ治療に来ることもある。僕としては治療後の腫れが長引く可能性があるので、正直言って断りたい症例だ。僕は患者さんには「せめて、タバコだけでも辞めてから治療を受けることを考えてみてはどうでしょうか?」と伝えるものの、患者さんは「多少の腫れは覚悟していますから、是非治療を受けたいのです。」と言われ治療を引き受けることとなる。 では治療中の差は先ほど説明した20代前半の健康な症例とは雲泥の差となる。レーザーで粘膜を開け始めた途端、血が滲み出る。血管の弾力性がコレステロールの沈着で全く失われている。点滴からは降高血圧薬を点滴しているものの、血圧は150/90と高めのため、血が止まりにくい。脂肪を取り出すためにレーザーで切り取り止血操作をしてもなかなか血が止まらない。通常ではどんな場合でも2回止血すれば完全に止まるがこのような症例では3回目でも完全には止まらない。当然治療後の内出血の可能性は当然高くなる。このように、同様の治療でも、その方の健康状態によって結果が大きく異なる。 治療後に問題が起きる典型的なケース ある時、40歳の女性の治療をいつものように完璧に終えた。翌日患者さんの顔を見ると両目の下がやや赤くなっている。患者さんは「どうして、私はこのような結果が出たのでしょうか?ホームページの症例写真ではみんな翌日には赤みは出ていないのに。。。」と僕に訴えた。僕は技術的に全く否が見当たらなかったので、患者さんに詳しく問診を繰り返した。僕はその患者さんに「本当に今まで、体に異常を認めたことはありませんでしたか?どんなちっぽけなことでも良いから思い出してください。」と問いかけた。患者さんは「そういえば、この前、献血に行ったときに、献血を拒否されました。血液の比重が足りなく、極度の貧血あると言われたのです。何か今回の事と関係がありますか?」と言った。僕は思わず「それは大有りです!どうして、それを治療前に言ってくれなかったんですか?」と口から出た。なぜなら、そのような貧血がある場合、当然、血小板と言って、血液を固める成分も少なくなっているため、血が止まりにくい。点滴を行った腕を見るとそこにも内出血の後が見えた。これではどんな名医が治療を行っても、赤みが出るのは当然の結果である。このように、腫れや赤みなどの治療後の結果に差が出るのは僕の技術力ではなく、患者さんたちの健康状態に強く影響される事がこの一年半の治療結果の分析によって判明した。 美容医療が良い方に循環するとは? このように患者さんの症例数が増えると、より適切な治療が行える。なぜなら、美容医療もビジネスであるから、日々の売り上げをたてる必要がある。しかし、当クリニックのように安定して患者さんがいらっしゃると、売り上げを立てる目的で強引な治療を行う必要が無い。治療の必要の無い方、今ひとつ治療の価値をおわかり頂いていない方々には治療を行わないという余裕が生まれる。治療を受ける必要のない方々に僕ははっきりと、「もう一度冷静になって、この治療を受けるべきかどうか考え直してください。他院でセカンドオピニオンをお聞きなってみてはいかがですか?」と患者さんの事を第一に考えた答えを与える事が出来る。信頼関係の築くに至っていない患者さんたちを強引に治療して、満足して頂けない結果を出していやな思いをする必要はない。一ヶ月半前からこの治療を首を長くして待たれている、この治療の適応のある患者さんたちが次から次へといらっしゃるから、強引な事をしなくて済む。 僕自身の深刻な悩み 僕の今の一番の悩みは僕自信にこの治療の適応があるにもかかわらず、自分がこの治療を受ける事が出来ないこと。僕は僕自身に治療を施す事だけはどうしても出来ない。しかし、この治療を行えるのは僕しかいない。このジレンマは全く救いようが無い。唯一考えられるのは才能のある医師を発掘して、最低でも500例は僕の監視下でこの治療を習得させて、「うん、これだったら大丈夫だな。」と判断してか僕の治療をしてもらいたい。残念ながら、現在までそのような才能の持った医師を発掘することすら出来ていない。当分僕はこの治療を受ける事が出来ないと思うと、絶望的になる。僕の患者さんたちがうらやましくてしょうがない。僕も、僕の患者さんたちのように目の下のたるみのない、皮膚がリフトアップされた目になりたくてたまらない。俳優の玉木宏さんのような目になりたくてしょうがない。僕の美意識は計り知れなく高い。
思わぬスペースを占有するカルテ 当クリニックでは今年6月から電子カルテを導入した。クリニックを運営する上でカルテの管理は、クリニックの心臓部と言える程重要だ。患者さんたちの個人情報が記載されているし、何か予期せぬことが起こったときの証拠として、貴重な証拠となる。しかし、紙のカルテで管理していると、患者さんが増えてくれば、カルテが占めるスペースはどんどん増えてくる。僕のクリニックは50坪と必ずしも十分な広さがない。贅沢を言えば、全部で100坪くらいあれば理想的なクリニックの面積と言える。しかし、銀座の地価の高さを考慮に入れると、現実的には現在の大きさが精一杯である。カルテの保管義務は5年と医療法で定められているから、毎日5人程度新規患者がくるとすれば、一年間であっという間にカルテの数は1000冊を超えてしまう。1000冊のカルテがどれくらいの量かと言えば、通常の本箱を一つ簡単に占有してしまうくらい。昨年一年で当クリニックは約1000冊のカルテが出来、このまま5年間保管するとなれば、4畳半くらいの部屋を軽く占有してしまう。カルテがどんどん増えてゆく現実は、当クリニックのように、地価の高い場所で診療を行うには切実な問題となる。さらに、美容医療を行う場合、写真の管理が重要で、治療に訪れた患者さんたちは治療前後の比較をするために写真を撮影し、比較する必要がある。当クリニックでは写真などの管理に強いマッキントッシュ・コンピュータを使用している。 マッキントッシュで走る電子カルテ 一般的に電子カルテと言えばPCウインドウズ系が多いのが、実はマック上で走る電子カルテが市販されている。この電子カルテは写真も同時に管理でき、無線LANで情報のやり取りが出来るので、ノート型マックを持ち運べば、患者さんのそばで電子カルテ記載、写真の閲覧が出来るのでとても便利だ。もちろん、無線LANのセキュリティも完備されている。紙のカルテの場合、その都度カルテを取り出して、そこに記載してまた受付まで運ぶという、煩雑な動作が必要だった。しかし、紙カルテのほうが、誰が記載したかわかるので、そちらの方が責任の所在がわかり易く安全という意見もある。当クリニックでも、最初は電子カルテ導入にあたって、反対意見も出た。しかし、実際使ってみると、あまりの便利さに驚くあまりで、全員一致で“導入して良かった。”という意見となった。美容医療界で電子カルテをマック上で走らせているのは、まだ当クリニックしかないらしい。美容医療はどちらかと言うと、芸術的感性のいる職業だが、マッキントッシュはその手の仕事と相性が良い。この電子カルテ導入のおかげで、患者さんたちをあまりお待たせせずに治療できることも極めて価値が高い。
衝動的に手に入れたトイ・プードル 今回のアキレス腱断裂のように自分自身が患者になると、過去の病気や怪我にまつわる記憶が鮮明に蘇る。動物好きの僕はニューヨーク留学中に、ニューヨーク・タイムスの広告板に掲示されていたブリーダーの記事に目を留めた。その記事には“ロングアイランド、JFK空港近くで、元プードル・チャンピオン犬の子犬を飼ってみませんか?”との内容だった。その頃、日本から来たばかりで、若干ホームシック気味になっていた妻にとって、犬を飼うことは気分転換に良いかもしれないとも考えた。僕は妻に「この犬、良さそうだね。ちょっと見に行こうか。」と声をかけ、すぐに車に乗り込んでその犬を見に行くことにした。 JFK空港近くの中流階級の建て売り住宅の中にそのブリーダーの家はあった。住人は中年のポーランド系アメリカ人女性で、現在は離婚していて一人暮らしだという。彼女は趣味と実益を兼ねて、トイ・プードルの繁殖をしていた。僕は「どの犬を売りに出しているのですか?」と尋ねると、彼女は小屋の中に母親と一緒にいた出生3ヶ月の子犬を連れてきた。しっぽを振りながら僕の横にちょこんと座った瞬間に、僕はあまりの可愛らしさに一目惚れして、この犬を飼うことを即座に決めた。値段は$400、日本円にして5万円と格安だった。それはこの犬が品評会に出せるほど優れた犬ではなかったので、ブリーダーの女性は格安でこの犬の貰い手を探していた。しかし、この犬の可愛らしさは特別だったので、多少の欠陥があろうと僕はまったく気にしなかった。 それからというもの、どこに行くのでもこの犬を連れて行くことになり、ニューヨークでの生活に華が添えられたように感じた。マンハッタンのアッパー・イーストサイド3番通り、57丁目にはブルーミング・デールという上流階級御用達のデパートがある。ここは犬を散歩しながら買い物ができるデパートとして有名だが、僕はこの子犬を連れて買い物に出かけた。犬をこよなく愛するニューヨーカーから「Oh, adorable!」(なんて可愛いの!)という声がかかり、僕は自慢げにこの犬をみせて歩いたものだった。 ライム病 休みの日はロングアイランドの郊外にドライブに出かけ、野原でフリスビーを投げて、この犬を思いっきり走らせた。トイ・プードルは小さな犬だが、祖先は水鳥を捕まえる狩猟犬なため、運動が大好きだ。プードルの毛が縮れているのは水から上がってきた時にすぐに乾くためである。プードルは賢いことでも有名で、サーカスで芸をする犬の代表でもある。いつも元気なこの犬が、ある時まったく動かなくなってしまった。その一週間前に僕はこの犬の顔に一匹のダニがついていて、近くの動物病院でこのダニを取ってもらったばかりだった。いったいどうしたのだろう?まだ大学院生で臨床医としての経験のない僕は、この犬に何が起きたのかさっぱりわからなかった。ただ、ロングアイランドにゴルフに行くと、必ず大きな木に“ダニに注意!ライム病に感染します!”との警告がなされていたことを思い出した。ライム病は日本には存在しない病気であるが、アメリカ東海岸では深刻なダニを介する伝染病である。この病気の特徴は動物と人間の両方に感染し、発病すると発熱、間接痛、皮膚湿疹を引き起こす。原因はスピロヘータと呼ばれる、細菌とウイルスの中間的な感染物質で、梅毒と同様なタイプの微生物である。厄介なのは放っておくと病気はどんどん進行し、最終的に神経に感染して歩行障害、意識障害などを来たす。最悪の場合は死に至ることもあり得る。治療はスピロヘータに効くミノマイシンのような抗生物質を投与すれば良いので、早期発見が肝心である。 マンハッタンの動物病院 僕は直感的に「そうだ、あのときのダニが原因で、この犬はライム病に感染したのだ!」と気がついた。なぜなら、ライム病は発症までの潜伏期間が7~10日間なので、この犬の状態と一致する。僕はすぐにこの犬を近所にある動物総合病院に連れて行った。米国の動物に対する思い入れは相当で、ペットは自分の家族の一員という位置づけがされている。そのような背景のせいか、この動物病院には内科、外科はもちろんのこと、整形外科、産婦人科、眼科、など各科が揃っていて、人間の総合病院さながらの様相を呈していた。 僕の犬は白人の女性獣医の担当となった。僕は「先生、この犬は昨日あたりから調子が悪くなってあまり動きません。食欲もないし、歩いてもふらふらしているんです。先日ロングアイランドでダニにがついたから、もしかしたらライム病ではないでしょうか?」と単刀直入に尋ねてみた。担当医は僕に「犬を歩かせてみてください。」と言った。僕は「どうせ歩けるはずがないのに。」と内心思いながら立たせてみると、なんと僕の犬は元気に歩き出して、しっぽまで振っているではないか!僕は驚いて「どうして、さっきまでぐったりしてるのに突然歩きだすんだよ!」と犬に声をかけてみた。担当医は「ライム病ではなさそうですね。もしそうだとしたら、こんなに元気に歩けません。」僕は耳を疑った。多分、僕の犬は特殊な環境に連れてこられて興奮したのか、渾身の力を振り絞って元気な振りをしたのだろう。担当医は「多分、変な物を食べたか、高いところから落ちたか何か別の原因があるかもしれませんから、それらを先に調べましょう。」と言った。僕はそれでもこの犬がライム病に感染していると信じて疑わなかったが、とりあえず担当医の言うことを聞くことにした。僕の犬はレントゲン写真をとられたり、血液検査など、ありとあらゆる検査をされたが、何も原因らしいものは見当たらなかった。 検査から帰ってくる頃には僕の犬はぐったりとしていて、僕はまるで自分の娘が病に伏しているようなやりきれない気持ちに襲われ、目元が熱くなった。担当医は頭をかしげて「原因がはっきりしませんね。やはりあなたのおっしゃる通り、ライム病かもしれません。ではライム病に効く抗生物質を処方致しましょう。」と言った。僕は内心、「だったら、最初からいろいろな検査をせずに最初からそうしてくれば良かったのに。」と不満だった。なぜなら、これらの検査費用は5万円以上かかり、当時薄給で大学院生活を行っていた僕の生活費の半分近くに相当したからだ。しかし、この若い女性獣医さんも、今思うと病院での売り上げを考慮し、出来るだけコストパフォーマンスを上げるために、真っ先に検査をしたのだろう。家路についてこの犬にミノマイシンという抗生物質を飲ませたところ、数時間後からあっという間に元気が回復し始めた。数日後にはすっかり元通り元気になった。結局原因はライム病ということで、僕が直感的に下した診断が正しかった。 日本で暮らし始めた僕の犬 このような想い出とともに暮らしたニューヨークを、犬を飼ってから一年後に去り帰国の途についた。帰国すると犬の面倒を見るのは大変になった。留学していたころは自分の都合で時間を調整することが出来たが、日本に戻り、臨床医として勤務し始めるとそうは行かなかった。妻も働いていたので、僕は札幌の親元に犬を預けることが多くなった。元々自分で飼った犬だったので、親に仕事を理由に預けっぱなしにするのは無責任だと内心感じていた。だが、整形外科医の仕事は多忙で、犬の面倒を見ている暇はなかなかとれないのが現実問題だった。 日本に戻ってから間もなく、海辺近くの病院に整形外科研修医として勤務することになった。この数年間は自分の宿舎が病院の隣だったので、犬と一緒に生活することが可能となった。妻は札幌で仕事があったので、単身赴任での生活となったが、この犬はそもそも僕が飼うと決めた犬だったから一緒に連れてゆくことになった。昼休みと仕事が終わってからの散歩はそれなりに大変だったが、犬がいることで多忙な生活にも張りが保てた。研修医生活にも慣れてきた頃、海が大好きな僕は趣味で水上バイクを始めた。せっかく海の近くに住んでいるのだからこんな良いチャンスはないと思って、毎週末、時間のあるときには必ず海に出かけた。携帯電話は防水パックの中に入れて海の上でも持参する必要があった。ある時は海の上で、病院に骨折の急患が入ったとの連絡を受け、大至急病院に戻ることすらあった。 犬の骨折 そんな生活をしながら、ある風の強い日に犬を連れて水上バイクに出かけた。海に着くやいなや僕の犬は外に出たくてはしゃぎだした。僕は「わかった、わかった、今出してやるから車を止まるまでもう少し待ちなさい!」と犬に向かって言った。あまりにも騒ぐから僕は運転席に腰掛けたまま、犬が外に出られるようにと助手席のドアを押し開いた。その瞬間、僕の犬は車から飛び出そうとしたが、助手席のドアは強い海風に押し戻されて、犬の足がドアに挟まれてしまった。一瞬“キャイン”という大きな悲鳴を聞いた瞬間に、僕は「あー、ヤバい!」と動揺した。それからというもの彼女は微動だにせず、ただただ震え続けていた。全く歩こうともしないことから、もしかすると骨折している可能性があると思い、自分の病院に連れて行った。休日だったが、レントゲン技師に頼んで彼女の足のレントゲン写真を撮影すると、ものの見事に前足が折れていた。人間の場合だとこのような骨折は手術をして、鉄製ピンを埋め込んで支えを作ってあげなければ骨はくっつかない。僕はどうしたものかとため息をついたが、とりあえず近所の動物病院に連れて行った。 動物病院での獣医師はこのような骨折を治療した経験がないという。僕は獣医師に向かって「先生、これは人間の場合ですと、手術的をしなければ治りません。」と言うと、獣医師は「私はそのような治療経験がありませんし、骨折を治療する道具さえもここには用意されていません。」と答えた。僕は「それほど難しい手術ではありませんし、たいした道具も必要でありません。」と言うと、獣医師は「もし、よろしければ、先生自身が整形外科医ですから、執刀しますか?」と尋ねた。僕は「喜んで。」と自信ありげに答えた。この獣医師には手術のために必要な全身麻酔をお願いした。手術の道具は鉄製ピンとそれを骨に埋め込むために使う簡易ドリルを自分の病院から借りた。 自分の娘のように思えた犬にいざ手術をするとなると、メスを入れるのはさすがにためらった。しかし、やらなければ治らないので、一呼吸おいてからためらわずに彼女の前足に5cmほどの切開を加えた。人間と同様、赤い血が出てきたのを見た瞬間、僕は一気にいつも手術の時に感じる集中力が沸き起こった。その先は自分の愛犬にであることもすっかり忘れ、集中して手術手技を進めた。小さな骨片が彼女の足からこぼれ落ちてきた時はさすがに“はっと”したが、この程度の骨片は通常無視して良い。無事手術は終了し、ギプスを巻き終える頃、彼女は大きなあくびをして目を覚ました。犬のギプスは何故か赤い色をしているが、彼女の細い足先から付け根まで巻かれた姿は、足にバナナをつけたようで、妙に可愛らしかった。それから一ヶ月間のギプス固定を終えて、彼女は見事に回復し、普通通り元気に走り回れるようになった。 怪我が僕に教えてくれたこと 僕の犬はそれから数年後、彼女が7歳のときに突然発症した消化器の問題で他界してしまった。とてもショッキングな出来事だったが、この時僕はハワイへの旅行中で、どうすることもできなかった。それからさらに6年の歳月が立ち、今度は自分がアキレス腱を断裂してギプス固定される番となった。怪我と病気とは違う。病気は内面からの原因によるが、怪我は交通事故や転落のように外的要因、その多くは不注意から起こることが多い。僕自身、不注意によって多くの怪我に巻き込まれてきた。それのみならず、可愛い自分のペットまで大怪我に巻き込んでしまった。しかし、このような苦い経験を繰り返し続けるのは賢い人間のすることではない。僕はこれからの人生において僕自身やその周りの大切な人々を不注意によって、このような被害に巻き込まないよう肝に銘じようと思う。これまで、幸いなことに交通事故を起こしたことはなかったのがせめてもの救いだったと思う。交通事故を起こす前に車のハンドルを握らないことにしたのは、これらの苦い経験が僕に教えてくれた大切な答えだと感じている。
多忙な中で行ったサッカー 東京の夜は8月末でもまだ蒸し暑い。忙しい日々が続く中、なんとか時間をやりくりして今晩は一ヶ月ぶりのサッカーに参加することが出来た。海外出張、一日最低4件の手術治療、外国からのお客さんたちとの会食と多忙な8月だったせいか、「うーん、なんか体が重いな。今日は調子が悪いのかな?」と思いつつ汗を流した。一時間近くのミニゲーム中心の最後の一分、僕は最後の力を振り絞って踏み込んだ。その時だった。後ろから何かで打たれたかのような響きがかかとに走った。僕は誰かにぶつかったと思い、後ろを振り返ったが、そこには誰もいなかった。その途端、左足首の力が抜け、何か突拍子もないことが起こったと気がついた。 今から5年ほど前、僕は北海道の街で整形外科医として多忙な毎日を過ごしていた。その頃、毎日の仕事が終わってゆっくりしていると、時間外に救急車で患者さんたちがよく運ばれてきた。ある時運ばれてきた学校の先生はバトミントンをしていて突如、足首のところが:“ばきっ”という音がして歩けなくなってしまったのだと言う。診察してみると足首と下腿を結ぶ靭帯、いわゆるアキレス腱が切れていた。まさか、このアキレス腱損傷がこの自分に起こるとは夢にも思っていなかった。僕は呆然とした。なぜなら、僕は整形外科時代にアキレス腱損傷の患者さんたちをしょっちゅう担当しており、それがどのような経過をたどるか、手に取るようにわかったからだ。「これはまずいことになった。明日は4件の治療予約が入っていて、それをキャンセルすることは出来ない。」と焦った。アキレス腱損傷の場合、早急に縫合治療を行い、その後少なくとも4週間の膝下ギプス固定、さらに4週間の装具着用、そのあとのリハビリと回復までに最低でも3ヶ月以上と、かなりの時間を要する。 サッカーでの外傷歴 僕のサッカー歴は長く、小学校4年生の頃から医学生時代までやり続けた。サッカーの面白さは癖になるもので、医者になってからも時折行った。サッカーは激しいスポーツなので、怪我はつきものである。外科医の研修医だった頃は、サッカー中の怪我で2回苦い思いをした。一度はシュートを打とうとした瞬間、元気のよい若者に突き飛ばされ、肘から着地し、肘の皮膚がペロンと剥がれ落ちた。思いのほか重症で、治癒には3ヶ月ほど要し、今でも後が消えないのだが、困ったのは手術前の手洗いだった。手術を行う外科医にとって、感染予防のための手術前の手洗いは必要不可欠だが、肘の傷に洗剤が着くと、悲鳴を上げるほど痛かった。この時、「仕事に支障をきたすようなスポーツは社会人としてまずいな。」と内心感じていた。 2回目は北大の医局対抗サッカー大会に助っ人として呼ばれ、決勝で精神科医局と対決したときにそれは起こった。常にポイントゲッターとしてフォワードをまかされていた僕は、精神科医局の過激なキーパーと接触すれすれのタイミングで、シュートを放った。その時、この過激なキーパーはなんと僕の足に猛烈にタックルをしてきたため、ゴールは決まったものの、「あっっ、まずい!」と思った時はすでに遅く、僕の左膝内側の靭帯は瞬間的に切れてしまった。その直後は膝がぐらついて、立って歩くのもやっとだった。自分の病院に戻り、先輩の膝専門医に診断してもらったところ、膝内側靭帯の損傷で、装具固定を行い、全治3か月との診断を下された。かろうじて手術治療に至らなかったことが不幸中の幸いだったが、3ヶ月ビッコを引きながら診療を行った。 “喉元の熱さも過ぎ去ればすぐに忘れる”とはこのこと それから少なくとも7~8年の歳月が経ち、僕はその苦い思いでを忘れかけていたのだろう。ワールドカップに感化された友人の誘いで、先月から千駄ヶ谷のフットサルコートでサッカーをすることになった。サッカーは得意なので、僕は意気揚々と「いいですね。やりましょう!」と勢いづいた。7月末に行った時は熱帯夜で、友人たちも走るのがやっとで、汗びっしょりになりながら「また次回は来月にやりましょう!」とサッカーの後にビールで乾杯した。 今回8月末のプレーにはいきなりサッカー経験者が増えていた。中にはなんと、元Jリーグでプレーしたこともあるという強者まで参加してきた。仕事を終え、時間ぎりぎりに到着した僕は、十分な準備運動をせずにいきなりプレーに参加した。経験者、20代の若者が多かったせいか、プレーは白熱して僕もそのレベルに劣らないよう、ついつい夢中となってしまった。 事故はそんな中、起こった。一時間のプレー時間の最後の一分に、僕は左アキレス腱を完全損傷したのだ。明日からの仕事のことを考えると、呆然となったせいか、痛みは全く感じなかった。汗が止めどなく流れ落ちたが、この汗は熱さのせいではなく、不安と緊張によるものだった。受傷した時点で診断をつけることが出来たので、出来れば今日中に治療をしてもらえる病院に行きたかった。早く手術をすればそれだけ回復が早いことは僕が一番わかっていた。施設職員が「救急車を呼びましょうか?」と尋ねたが、僕は「いいえ、結構です。自分で病院を探してみます。」と断った。なぜなら、救急車が連れてゆく病院の質が必ずしも高くはないことを僕は知っていたからだ。僕はすかさず慶応大学医学部付属病院、虎ノ門病院、慈恵医大付属病院に連絡を取ったところ、慈恵医大から受け入れてくれるとの返事を受けてほっとした。慈恵医大付属病院は僕の住まいとクリニックの中間に位置するため、何かと便利で、ここで治療出来るのは好都合だった。 慈恵医大救急外来に行くと、そこに努める若い研修医から事情を聞かれた。僕は自分が形成、整形外科医であることをいつカミングアウトするべきか、タイミングを見計らうことにした。救急外来では足のレントゲン写真を撮影した後、救急研修医たちが僕の診断をつけようと試みていた。研修医が詳細を尋ねてきたので、僕は「アキレス腱が切れたので、早急に治療をしてほしいのです。」と述べたところ、若い研修医は「何故、患者がそんなことをわかるんだろう?」と思ったのか、ややいぶかしげな顔をしたが、僕はここでも自分が医師であることを申し出なかった。レントゲン写真が出来上がった頃、この研修医が「多分これはアキレス腱損傷でしょうね。これから整形外科専門医を呼びます。」と僕に告げた。救急外来では次から次に患者が運び込まれ、つい5年前まで、僕が同様に働いていた当時の記憶が鮮明によみがえってきた。 手術への決断 しばらくすると整形外科担当医が僕の診察をし、アキレス腱断裂であるとの確定診断を下した。その時、僕は自分が医師であり、同様の分野に携わるものであることを担当医師たちに告げた。医師たちは「慈恵医大では、アキレス腱断裂にはオーソドックスな手術療法を行っております。」と言ったので、僕は間髪入れずに「最近の文献では手術をしないでギプス固定をするだけでも、手術と同様の結果が出るという報告がありますが、それについてどう思われますか?」と聞き返した。この夜、慈恵医大で整形外科担当をしていたのは幸運にも足の専門医だった。医師は「確かにそのような報告もありますが、再断裂の可能性が手術をしない方が高くなりますし、当病院ではそのような保存的治療は行っておりません。しかし、他の病院で手術をしないで治療するところもありますから、そう言った病院を紹介しますか?」と逆に僕に尋ねた。外科医としての僕の経験から、このような外傷は早くに治療すればそれだけ回復が早いこと。これから別の病院に行って、治療の時間を延ばしたくなかったこと。それと担当医がセカンドオピニオンとして他の病院を紹介できたのは、この医師が自分の腕に自信があるからに他ならない。僕はこれらのことを計算に入れて、すかさず「先生に執刀をお願いします。」と告げた。手術は午後11時過ぎから始まることに決定した。 ミイラ取りがミイラになってしまった 驚いたのはそれからの手続きの長さだった。全ての検査、治療項目に同意書のサインを求められた。僕が大学で研修医をしていたころとは様相がまったく異なっている。昔は同意書は一枚程度であったが、その後、各地で起きた医療ミス問題によって、医療行為の書面での確認が必須事項となったことに他ならない。 手術前に担当医との間で、もう一つ重要なやり取りがあった。僕は「僕は開業医で、完全予約制で診療していますから、どうしても明日の治療はキャンセルできません。それだけは理解していただきたいのですが。」と担当医に頼んだ。なぜなら、僕のクリニックでは翌日に4件の手術が予約されていたし、その中には遠方からいらっしゃる方もいた。担当医は僕に向かって戒めるように「それは不可能とは言いませんが、多分相当大変なことになりますよ。まず、足が痛くて下に降ろすことができないし、足を降ろしたとしても、今度はぱんぱんに足が腫れてくるでしょう。先生の事情もわかりますが、無理をしてもあまり良い結果になりません。仕事は休めませんか?」僕は興奮していたせいか、「いずれにせよ、予約が入っている以上、仕事を休むわけには行きません。明日朝の退院を認めてください。」と訴えた。担当医は「以上説明したことを理解していただけるのであれば、それを認めます。しかし、通常は2週間の入院が必要です。」と言ったが、僕は何としても明日の治療は休めないと覚悟を決めた。 手術室に運び込まれたのは11時過ぎ、実際に執刀開始となったのは12時近くになっていた。過去に同様の手術を少なくとも100件以上行ったことのある僕は何がなされるのか手に取るようにわかった。ただ一つ違うのは麻酔法だった。僕が行う際は必ず腰椎麻酔と言って、下半身全部に麻酔が効かせたが、今回は明日退院ということもあり、局所麻酔で行うこととなった。局所麻酔では当然多少の痛みが伴うことが予想されたが、早期回復のためにはやむを得なかった。手術は順調に進み、一時間程度で無事終了した。鎮静剤のため“ぼーっ”としていたが、“ミイラ取りミイラになる。”というのはまさにこのようなことをいうのだろうと内心思った。同時に、こんな真夜中に緊急手術をしていただいた担当医、看護婦さんたちに大変感謝した。18室ある慈恵医大の手術室もさすがにこの時間には誰もいなかった。 不可能だと悟った手術直後の診療 治療後は足を高く上げてぐっすり眠ったが、その夜泊まることになったのは救急患者たちの臨時ベッドだった。隣の別途から他の患者さんたちのうめき声が聞こえてくるたびに、普段忘れている健康のありがたさが身に沁みた。朝はあっという間にやってきて、僕は「本当に今日仕事ができるのだろうか?」と不安に思いながら、ギプスの巻かれた足をベッドの下に降ろしたところ、激痛が走った。「これはやばいよ。とっても仕事どころではない。もし、仕事に行っても、この痛みでは集中して治療に専念できず、かえって患者さんたちに申し訳ない。」と直感した。僕はすぐに携帯電話でクリニックの担当看護師に事情を告げ、今日、明日予約の入っていた患者さんたちに大至急、キャンセルの電話を入れるように頼んだ。しばらくすると朝7時半の回診に昨日遅くまで手術をしてくれた医師がやってきて、僕が「仕事をキャンセルして、入院することに決めました。この痛みでは仕事どころではなさそうです。」と言うと、ほっとした顔をして「そのほうが間違いありません。ゆっくり休んでください。」と安心させるように僕に告げた。僕は「昨日は遅くに手術をしていただいて、本当にありがとうございました。」と担当医に心からお礼を述べた。それは医師という仕事がいかに人から感謝される仕事であるかを、自分自身が患者になって始めて知るという、すばらしい瞬間であった。医師、看護師さんをはじめとする慈恵医大のスタッフは、医療がサービス業的な側面を持つことをすでに熟知しているようで、その接遇、マナーは非の打ち所がなく、大変に感心させられた。 意外にも充実していた入院生活 僕は週末の3日間を慈恵医大の個室で過ごすこととなったが、この経験を前向きにとらえようと思う。不慮のアクシデントではあったものの、準備運動もろくにしないでサッカーのような激しいスポーツを行うことは、ほぼ怪我をするためにサッカーをしたに等しい。僕はここ最近、仕事が順調なものだから、ついつい自分自身の体力に過信しすぎた結果、このような事態に陥るはめとなった。痛い思いをしたのは自分自身だが、僕の失態で治療を受ける決意をしていた2日間で10人近くの新規患者さんの期待を裏切ってしまったことに対し、深く反省している。3週間後に迫った中国重慶での学会も、ギプスと松葉杖姿で発表するのは恥ずかしいからキャンセルしようと思った。しかし、日本から代表として行く、高須クリニック・高須克弥先生から直々に電話が入り、「アキレス腱断裂であれば僕も経験をしたことがあるけれど、縫合を行えば3週間もあれば学会くらい平気ですよ。空港には車椅子を手配するから、是非参加してください。」との励ましの言葉を頂いた。僕は「ということはキャンセルは出来ないということか。」と内心つぶやきながら、この3日間で学会の準備をすることに決めた。病室には次から次へと友人が励ましにやってきてくれたが、普段からの交友関係もこのような時に試されるのだと感じた。 それにしても規則正しい生活をしている。毎日7時過ぎには看護師さんたちが、検温、点滴などの処置にやってくるため、眠たい目をこすりながらも起きなければならない。個室なので、夜更かしも可能だが、朝早くに起こされることを考えると、早めに寝なければならない。朝ご飯も毎日出てくるのだが、ここしばらく朝ご飯を食べる習慣がなかったので食べるのが大変で、朝ご飯を食べても、あっという間に昼ご飯、そして夜ご飯が出てくる。普段は一日に一食半しか食べない僕にとって、3食たべるのが結構、億劫でしょうがない。 しかし、この3日間は意外にも充実している。日々の診療に追われず、ここまで自分自身の時間を持つことが出来たのは久しぶりで、ホームページの更新、学会の準備で充実した時間はあっという間に過ぎ去ってゆく。残り後1日となった入院生活であるが、一日も早い回復を目指して安静に心がけている。9月4日からの出勤ではしばらくの間、ギプスと松葉杖という情けない姿で診療することとなるが、これを機会により患者さんの気持ちが理解できる、優しい医師として働いてゆこうと思う。
強行スケジュールで英国へ 土曜日の診療が終わってから、午後11時出発、エールフランス・夜行便でパリまで12時間、その後乗り継ぎ3時間待ちで、ロンドン・ヒースロー空港までの長旅となった。夜行便だというのに、週末のせいか機内は満席だった。企画旅行とあって、座席はエコノミークラスだった。運悪く両隣に挟まれて、12時間動くことも出来きなかったのは、まるで拷問のように感じた。なんとかパリ・ドゴール空港に着いたのは現地時間の朝4時過ぎだったが、ここでまた3時間待つこととなった。そもそもこのような、不便な便を乗り継ぐことになったのは、何としても日曜の午後にロンドンで行われる、本年度最初の英国プロサッカー、プレミアリーグ、チェルシー対マンチェスター戦を観戦するためだった。この旅行の約一週間前にヒースロー空港から米国へ飛び立つ飛行機に対するテロ未遂事件が発覚した。その影響もあって、空港の持ち物検査、身体検査では厳戒態勢で望んでいた。機内に手荷物として持ち込もうとした目薬と歯磨き粉も、あえなく没収されてしまった。何しろ今回のテロは2種類の液体やペースト状のものを混合させて光に反応させ、爆発させるというものだったから、疑わしいものは全て没収されてしまうことになった。テロリストたちの狙いは飛行機を爆破するというよりも、英国、米国社会を混乱させる目的で行うらしい。確かにこの爆発未遂のおかげで、飛行場は大混雑を来していたし、多くの人々が旅行をキャンセルするはめとなった。このテロ未遂のおかげで、英国はただならない経済的損失をした。その意味でテロリストたちにとって、この飛行機爆破未遂は大成功と言えるのだろう。 物価の高いロンドン市外 ヒースロー空港からは地下鉄でピカデリー・サーカス駅まで40分の道のりで、ようやくロンドン市街にたどり着く頃はもうくたくただった。ホテルはハイドパークの近くに位置する、いかにも英国調の伝統的なたたずまいだった。行動を開始する前に円をポンドに換金したが、あまりのポンドの高さに驚いた。一ポンド230円もするのだが、タクシーで5分くらい走ると簡単に10ポンドくらいの料金となる。つまり、日本でワンメーター、600円くらいの距離を走っただけで、英国では2300円もかかる。しばらく行動するうちに、大半のことに日本の約2倍の料金が必要であることがわかった。驚いて同行した知人にそのことを尋ねると、英国は世界で一番物価の高い国であることを知らされた。英国は昔から世界を支配してきた大国だけに、ポンドの価値が高く、どこへ行ってもポンドを持ってゆけば裕福に暮らせるようになっているのかもしれない。サッカーの試合はついこの前のワールドカップで活躍した名選手たちを目の前で見ることが出来た。日曜の午後、パブでビールをいっぱいひっかけた後、サッカーに熱狂するのが英国一般市民の楽しみ方なのだろう。僕たちも彼らに見習って、サポーターにまぎれて昼からパブでギネスビールを飲みながら、試合を観戦することになった。翌日はロンドン郊外まで、アンチエイジングの会議に参加するため朝早くタクシーでホテルを出発した。僕は歴史はあまり得意でないが、何世紀にも渡って継承されてきたエリザベス女王家の遺跡をこの英国郊外の土地に見ることが出来た。 英国アンチエジング医療の内情 肝心のアンチエイジング医療だが、一般的に保守的と言える英国人にとって、外科的治療はさほど発達していない。今回の目的は内科的アンチエイジング医療の最先端情報を得るためのものだった。僕たち一行が訪れたのは英国オックスフォード大学卒業の薬学博士の経営するサプリメント会社だ。英国も日本同様、国民皆健康保険制度を導入していて、医療費の効率化に事欠かない。そうなると当然予防医学が重要となるので、内科的アンチエイジング治療はかなり進歩している。いかに病気にならないかが大切で、病気になってから直すという発想はもう古いし、効率が悪すぎる。 では何故、人は病気になるのだろうか?具体的な質問を社長のフィルに投げかけてみた。「病気を引き起こす原因には遺伝子レベルの先天的なものと、悪い生活習慣が原因の後天的なものがあるのです。少なくとも後天的なものは予防できます。」僕は当然だと思ったが、「ではどのように?」と続けると、フィルはすかさず「デトックスです。」と答えた。僕が予想していた通り、デトックスの重要性は英国でもすでに認識されているらしい。 要約するとその重要性は次のようになる。近代工業が発達する中、人々は石炭石油を燃やし始めた。当然そこからは水銀、鉛などの有害重金属がまき散らされる。それらは風や海流によって世界中のどこにでも流れ出す。16世紀くらいからその傾向は始まり、その頃の人体にすでにこれらの有害物質が溜まり始めた。これらの有害物質が体にたまることが、癌、痴呆などの神経病、アレルギーなど多くの病気の原因に関わるとフィルは説明した。 英国でも認識されているデトックスの重要性 医者は常に病気になった患者がスタートに立つから、病気を直すことからしか考えない。しかし、フィルのような薬学博士は病気の原因を考える習慣があるからこのようなことに気がつく。僕は自分自身のデトックスに対する考えをフィルに次のように伝えた。「僕はフィルターに通した水しか飲まないようにしているから、体の中はきれいだと思います。」フィルはにこっとしながら「それだけでは足りません。あなたは毎日シャワーを浴びますか?」と尋ねた。僕は「もちろん。」と答えると、フィルは「7分以上のシャワーを浴びると、コップ7杯の水道水を飲んだのと等しい量の蒸気化した有害物質が体の中に入ります。」僕は唖然とした。「いくらきれいな水を飲んでいても、それじゃ意味ない。」と思いつつ、フィルからもっとたくさんの話を聞きたいと思った。 フィルはこれらの有害物質の根本原因がどこにあるかについて、興味深い話をしてくれた。米国東海岸で水銀中毒で死んでいた水鳥の水銀汚染の原因を調べるため、その水銀の出所を、調べたところそれはなんと中国の化学工場から排出されていのだ。これらの有害物質はどんなに避けようとしても地球上にいる限り避けられない現実がある。これらの有害物質を人体は骨の奥に蓄積しようとする。毒物は骨の中に封じ込めると安全なので人体の持つ毒物に対する防御反応と考えられる。フィルは僕に「最近、英国で骨折で一命を落とす老人がおりますが、その死因が何かわかりますか?」と尋ねた。僕が悩んでいると、彼は「骨の中から出てきた毒物の量があまりにも多く、その毒物による中毒死なのです。」という、恐ろしい事実を語った。その他にも電子レンジを用いて沸かした水とそうではない水とで植物を育てると、電子レンジで沸かした方の水では植物が良く育たないということも教えてくれた。この原因はまだ解明されていないが、どうやら水の周波数が変化するらしく、それが生物には有害なのだと言う。このように、便利なものが実は健康を犠牲にしていることが世の中に実に多いということを彼は述べたかったのだろう。 健康に生きるためのシンプルな原則 ではとりあえず、健康的に生きるためにはどうすれば良いのだろうか?僕は次のような答えを出した。 1. 車など使用しないで、出来るだけ歩いて運動不足にならないようにする。 2. 携帯電話、電子レンジなどの便利な物も最小限の使用とする。 3. きれいな水と出来るだけ汚染度の少ない食物を食べる。 4. 睡眠を十分にとり、ストレスを減らすことで免疫力を高める。 5. デトックスと必須マルチ・(ビタミン、ミネラル)サプリを一生涯摂取する。 これらのアンチエイジングに対する考え方は極めて一般的であるが、普段の忙しい現代人にとってはついつい見逃されがちなと言える。アンチエイジング医療の先進国、英国を訪問して、健康に生きるためのこれらの必須事項を改めて認識することになった。

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