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技術者ブログ

2022年9月19日
1.4 医療としての「美」、美意識としての「美」ー4

●”つくりモノ”としての美しさの輝き

人は誰しもが子供っぽい表情や“あどけなさ”を有しているが, もしあなたに子供っぽさやあどけなさが不足しているとしたら,美容外科的方法を用いると取得可能となる.

長い間,「美」は,特にそれはヨーロッパにおいて,必ずしも自然現象ではなく, 文化的な所産であった人間はより美しくなることを求め,美は男性よりも女性にとってより重要なものであった.(男性はむしろ力や権力に惹かれた.)そこで女性は美しさと魅力をさまざまな装飾品でより高めようと模索したのである. 具体的には,お化粧,眼鏡,つけまつげ,イヤリング,髪型,ハイライト,唇周 囲,瞼,眉毛への入れ墨 (入れ墨という言葉は女性には使うべきではなく,むしろ 半永久的な自然色素の注入とでも呼ぶべきだろう),帽子,ネックレス, 目に見えない装飾品である香水等である.

また ,美の専門家たちは , ルックス上の欠点を補うため,さらに現代的な装飾品を研究している .モダンな眼鏡の厚い柄は目尻のしわを隠したり,鼻の高さを調節するブリッジは,短い鼻を長く見せることも可能であるもしくはブリッジを低くすると長い鼻を短く見せることも出来る .

こうした「美」をめぐる数々の戦略は,時には控え目に,あるいは十分過ぎるほど華やかにマスコミ誌上を賑わせてきたが,古いことわざはこのことを見通したかのように次のようにまとめている.「美の 30%は自然から成るが,残りの70%は装 飾品から成る」と.装飾品を用いる人の欠点は,もはやそれなしで若いとか美しいと見なされないことだろう .

しかし「美しくなろうとする欲望」は,女性が仕掛ける男性への「罠」ではない.それは社会や家族によりよく受け入れてもらおうとする「願望」である.女性にとっ て,「美しさ」は理想の追究なのである.

お化粧が自信を与えるのに加えて,北アメリカインデイアンの武装ペイントの例もある.「外見を変えれば中身も変わる」とか,「準備をすればパレードが始まる」とあるように,綺麗にすることは内心のエネルギーの発露において非常に重要である.

女優シャロン・ストーンは女性記者会見の席で次のように述べたことがある. 「私は決して自分を絶世の美人だとは思っていない.むしろ偉大な手品師だと思っている」と.

また,黒人の美人として著名なタイラ・バンクスは,「私は醜くはないがこの美しさは全部‘‘つくりモノ”です」とユーモアをまじえて大胆発言をしているもちろんそのユーモアも虚構の一手段として,彼女自身の魅力を引き立てているだろう .

「美」の歴史はいつの世も,作られたもの,飾り物やお化粧とは無縁ではないのである.より美しい顔への希求はより自然な化粧方法の洗練として,あるいは若々しい要素の強調として古くから化粧によって施されてきた.口紅は代謝の良い子供のような真っ赤な色を使うべきであり,頬紅はバラ色の頬とし,パウダーは色白でビロードのような若い肌に見せなければいけない.これがデスモンド・モリスが名づけた「過刺激」である. 


とても長い偽物の睫毛は子供の長い睫毛を想起させる. しかし,お化粧も間違った使い方をすると,「美」を損なう場合もある. したがってお化粧は美しさを追求する女性の味方であり,敵でもある.ある民俗学者の著書には,魔女たちが具合の悪い病に陥った人たちの顔にお化粧をして,共に暮らす人たちに無駄にショックを与えないようにしたと記載されている.

●目立つこと,目立たなくなることのメリット

一可愛らしさの元である「子供っぽさ• あどけなさ」について話を戻そう. 美しくなることは,“高価’なことでもある. たとえば高価な装飾品を手に入れることは富裕層には容易であってもそうではない人たちには入手しがたい. しかしこの事実は美容外科医療が,それほど裕福ではない人の間でも人気が高いことを証明するものだろうなぜなら彼女たちはもともと与えられた物や,現実社会には満足できない故に,自分たちを喜ばせる唯一の 手段として,美容外科手術を求め,より美しくなることを選択するからである.

ある人は精神的な高貴な理由よりも物欲で心を感化しようとする.ある種の人は,物が潤っているときやお金が儲かっているときに子供っぽい顔を見せると言われている.また,子供っぽい表情を見せつける戦略は,貧困や不幸との戦いで国が予算を増やそうとする際に,大衆の面前でその運動を煽り立てる人々にも認められる .さらに言えば,子供の乞食は大人のそれよりもより多くの施しを受けることが周知の事実である.

■図1.8:野生動物と家畜動物の違い上図の野生 動物は家畜化されると右隣のように愛嬌を帯びた姿に変貌する.

ウォルト・デイズニーの映画では,小さく弱そうな動物を用いて観客をうっとりさせることが多い.彼の作品ではいつも子ねずみ,子犬,子鹿などが登場し,大人の動物は主役にならないである.そして,図1.8 の如く野生動物(左側)は,人間に飼育されることによって右側のように手足が退化して短くなり,恐怖や敵意の喪失とともに“愛嬌”があらわれる.これは人間の歴史においても事情は同じで,原始的な狩猟や農耕の場を離れ,都市の定着的な生活形態に身を置くことにより恐怖と攻撃性が弱まり,新しい環境下で培われた意識•生活所作の積み重ねにより,それまでになかった“やさしさと愛らしさ”が身体の表層にあらわれてくる.

そうした“愛嬌てんてんは,形象的には「丸みを帯びた外見の変化」として描かれる.『星の王子さま』の著者サン・テグジュペリはかつて次のように語ったことがある.「何事においても,最終的な判断をするものは心であり, 目ではない.」と.また体に欠陥のある場合も,保護本能を喚起することを知っておく必要がある.その一つの例として,政治関連の女性著名人が外科的に容易に治せる軽度の斜視を敢えて放置するのは,この有名な保護本能を喚起さるためである.

この戦略により誘惑と魅力の力を増長させる.こうした軽度の障害を彼女たちは治療しようとしないのである.なぜなら顔の一部が完全に美しくなければ,むしろ違う部分を強調させ,欠陥部分をH立ちにくくさせる, もしくは他の強調された部位で日をくらませることが出来るというメリットがあるからだ.例をあげるなら,ある人の目がとても美しく,鼻が平均的なのであれば, 目を出来るだけ美しく飾ることで,鼻はさらに目立たなくなる.これはコンラッド・ローレンツ理論を知らない美容家のアドバイスであるが, どのようにすると顔がさらに美しくなるかをきちんと理解している.

■図1.9:Muller-Lyer の錯覚.上方矢印は下方矢印より短く見えるのは,矢印が外側を向いている からであり,直線の長さは一緒である.

また男性の顔の傷は美しさを損なうが,恥をかかないようにするには社会の場でパソットが言うように「彼に兵士の名誉を与えよ.彼は英雄なのだ」ということを主張すればよい.同様に Muller-Lyer の錯覚(図 1.9 : 同じ長さの直線が違う向きの矢印がその両端についていることで,長さが異なるように見える錯覚)を知らない美容家でも,メイクアップを目の内側角に行って, 目と目を近く見せたり,逆に目の外側角にメイクアップを行い,距離が離れているように見せかけることが出来る.これは長い顔や広い顔の頬骨にメイクアップを行い,顔を短く見せたり,狭く見せたりするのと同様である.また口紅でも唇を短く見せたり,長く見せたり出来る.

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