2022年9月21日
新人教育-1
前代未聞の大震災からすでに1ヶ月、我が国が大きな傷手を被り、誰しもが少なからずそのショックに苛まれている最中であろう。だが我々はそんな険しい前途に立ち向かって前進してゆく覚悟を決めなければならない。今春、我がクリニックにも若いスタッフたちが入社し、僕の行う診察、手術、彼女たちが行うエステ手技を身につけようと懸命になっている。
新世代の教育はそれなりに骨の折れる作業でもある。宝石は磨かなければ輝きのないただの原石であるように、愚鈍なままであり続ける場合もあれば、愚鈍に見えても教育や躾けにより魅力溢れる人間に成長する場合もある。それは僕自身の過去を振り返っても同様だった。
僕が彼女たちの年の頃、それは医学部低学年だったが、当時の僕は将来の展望もなく、ただ毎日をおもしろおかしく生きていた。その頃僕たちを担当していた厳格な教授は僕を見て、”君は人間というよりまだ猿のレベルだ。しっかり勉強して早く一人前になりなさい”と説教されたものだ。
すでにクリニックで勤務経験のある人材を採用すれば、教育にかかる手間が省け、即戦力となるだろう。だが今回僕は敢えて経験者ではなく、原石のように何にも染まらない新人を採用した。それは我がクリニックも七年目を迎え成熟した今こそ、世間への貢献や恩返しとして若い世代を育ててみたいと思ったからだ。
学歴社会は終焉しつつあるが、いまだに一般社会は高学歴偏重らしく、就職をしたくても学歴がないため、面接のたびにことごとく不合格となる厳しい現実が存在するらしい。今回の新人採用では大がかりなリクルート活動はせず、従来から存在するいわゆる”職業安定所(ハローワーク)”をつてにし、やる気のある人材を優先的に選択した。彼女たちが育ったのはいわゆる”ゆとり教育世代”の始まりで、が育った詰め込み教育を受けた我々昭和世代とは明らかに異なり、何事にものんびりとしている。
新世代の彼女たちの性格は温厚だが、仕事のオン・オフの区別が出来ず、目を離すとだらだらと、いわゆる”ながら仕事”をしかねない。個人差も千差万別で、ある新人の動作は機敏だが落ち着きに欠けるが、別の新人は動作は緩慢だが落ち着きがあり、緊張感漂う手術助手として適正が高い場合もある。
要領のいいスタッフだと一度教えただけでわかるのに、2,3度教えてもまだ学ぶことが出来ず呆れてしまう場合もある。しかしそういった場合でも、根気よく繰り返し教育することで時間はかかるものの最終的には要領の良いスタッフのレベルまで到達することも、過去の経験から学んだ。
ことのほか手術に関しては甘えは許されず、新人たちは容赦なく厳しく躾けなければいけない。何故なら、常に最高の結果を出し続ける宿命にある手術で、仕事に甘えのある助手は迷惑となるばかりで役に立たないからだ。
実際、僕の手術の助手をひたすら繰り返しながら手厳しい指導をうけているうちに、それまでとは打って変わって集中力ある有能な人間に変身した姿を僕は何度も目の当たりにしている。彼女たちがいかに才能を開花させるかは僕の采配如何に関わっている。彼女たちが明るい日本の将来に貢献出来るよう、責任を持って教育したい。