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美容外科ブログ

2022年9月20日
ポルトガルー1

かつての海洋帝国、ポルトガル 日本からポルトガル間は直行便がなく、パリ、シャルル・ドゴール空港経由、乗り継ぎ便で行った。東京ーパリ間が約10時間、乗り継ぎ待ち時間が1時間、パリーポルトガルの首都、リスボン間が4時間と、東京の自宅を出発してからリスボン到着まで、結局丸一日近くかかった。旅疲れと時差ぼけで、ホテルのベッドに横になった途端深い眠りに落ちた。翌日僕は、リスボン市街で美容外科クリニックを営むアンジェロ医師を訪れた。アンジェロ医師にはその前年、中国・上海で開かれた国際美容外科学会で知り合った。美容外科医師同士の国際交流は一般的で、僕が彼の新しい治療に興味を持つと、すかさず僕にリスボンにある彼のクリニック訪問を受け入れてくれた。美容医療は南米など、ラテン系諸国で盛んに行われている。驚くことに、ブラジルは世界で有数の最先端技術を有する美容医療先進国だ。このブラジルをポルトガルはかつて支配しており、その歴史的背景からポルトガルもブラジル同様、美容医療が盛んに行わている。 ところで、ポルトガルはどんな国なのか?ここでポルトガルについて簡単にまとめてみよう。ポルトガルは15世紀頃から数世紀にわたって海洋帝国として世界中にその名を轟かせた。この国は香辛料貿易とキリスト教布教を理由に、アフリカ、東洋、南米に海を渡って進出し、これらの国々を植民地化した。ポルトガルの航海者、バスコダ・ガマは、アフリカ経由でインドまでの航路を開いたことで有名だ。しかし、19世紀頃になると、オランダやイギリスが台頭し、かつて海上帝国と君臨したポルトガルもその勢いを失った。 ポルトガルと日本の歴史的関係は、15世紀中期の種子島への鉄砲伝来が有名である。また、その直後にやってきたポルトガル人宣教師フランシスコ・ザビエルは日本に初めてキリスト教を布教した。キリスト教の影響は強く、当時2,000万人程度であった日本の人口の約70万人がキリスト教徒となったと言われる。また、日本人でおなじみのカステラやテンプラなどの語源も、ポルトガルから伝わった。 ポルトガルはヨーロッパの西、イベリア半島端に位置しており、気候は地中海性気候のため温暖である。夏は晴天の日が続き、海辺近くに行くと目を開けていられないくらいほどまぶしい。産業はオリーブやワインといった農産物、大西洋で取れる魚介類などの第一次産業中心なので、経済的には豊かではない。この国の西側には大西洋が一望に広がり、その背後東側はスペイン国境という地理的影響もあって、国民の目はイギリスやフランスなどの先進ヨーロッパ諸国に向いていない。どちらかというと、アフリカ大陸北端のモロッコや、大西洋のはるか彼方に位置するブラジルなどと文化的共通点がある。 リスボンの美容外科クリニック リスボン市街から少し離れた商業ビルの一階に、リスボンでも評判のアンジェロ医師のクリニックがあった。手術を執刀するのはこのクリニックの院長、アンジェロ医師1人だが、ブラジルの若手研修医が2名ほど勉強に来ていた。手術は院長のアンジェロ医師が執刀し、研修医が助手をする。クリニック経営は手術執刀医が多いほど売り上げが伸び、成功に結びつくような気がするが、必ずしもそうではない。クリニック経営を行う医師たちは、一般的次のようなことを口にする。”勤務医を雇っても、責任を持って治療をしないことがある。その尻ぬぐいをするのは経営者(院長)だが、他の医師の行った治療の後始末は大変な作業となる。結局院長一人で治療するのが一番だ。”と。このクリニック経営の鉄則はどこの国でも変わらないようで、アンジェロ医師のクリニックも執刀医は彼のみだった。 ラテン系の国、ポルトガルのクリニックの特徴は朝のスタートがやたらと遅いことだった。イギリスや米国のようにアングロサクソン系の国々は朝早くから仕事が始まるので、朝型人間でなければかなり辛い。僕は米国で臨床医になろうとしたが、外科系は朝6時から診療開始で、正直やっていけないと思った。僕はラテン系の性格なのか、夜更かしは割と平気だが、朝があまり強くない。ポルトガルの場合、診療開始が午前10時、終了は午後7時と理想的な時間帯で仕事が出来そうだった。初日研修の終了後、日本からやってきた僕のために歓迎会を催すことになった。レストランに到着したのは午後8時頃だったが、不思議なことにこのお店にお客さんは誰もいなかった。”もしかするとこの店はあまり流行っていないのでは?”と想像し、一緒ににいたブラジル人研修医に、どうして人がいないのか尋ねてみた。彼は「リスボンの夜はまだ始まっていなません。」と返答した。僕は”おや?”と思った。日本では午後6~7時には夕食が始まり、午後8時はその真っ直中のはずだ。だがポルトガルの夕食は、なんと午後9時近くから始まるとのことだった。僕たち4人の医師仲間は、”カピリィーニャ”と呼ばれるサトウキビ蒸留酒に、クラッシュアイスとライムを混ぜたカクテルで乾杯した。このカクテルがたまらなく美味しく、空きっ腹のせいか急に酔いがまわってきた。食事はイカやタコのカルパッチォ、イワシのフライなど、普段の日本食とほとんど変わず口にあった。酔いがまわり、お腹も満たされてきたが、時計と見ると時刻は午後9時を廻っていた。辺りを見回すと、さっきまで誰もいなかったレストランはいつの間にか満席で、とてもにぎやかになっていた。これぞ南ヨーロッパの夜と思える楽しい晩餐が終わったのは午前12時頃だった。

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