2022年9月20日
臨床医の心がけ
保険診療 整形外科研修医時代の僕は、痛みを中心とするいわゆる“切羽詰まった患者さんたち。”を治療していた。日々、腰や首の痛みを訴える患者さんたちが次から次へとやってきた。中には漁師が仕事中、ワイヤーに巻き込まれて手首を骨折し、救急車で運び込まれてくることもあった。骨折の場合、診察はレントゲン写真を撮れば一目瞭然、瞬間的に診断、治療方針が決まる。そういった場合のやりとりは次のようだった。「○○さん、手首の骨が折れています。」と僕が言うと、患者さんは「えっ!骨が折れているの?」と驚きを隠さない。僕は「ええ、このレントゲン写真を見てください。左右を比較すると、右手の骨折が一目瞭然ですよね?」僕は続けて「これから手術の準備をします。」と言うと、「えっ!手術ですか?」と患者さんは動揺した。僕は淡々と「手術をしなければ手が曲がったままになってしまいます。」と言うと、患者さんは「わかりました。お願いします。」と納得する。診察から手術への診断までものの2~3分、北海道の地域診療はいつもこんな感じだった。 例えば、お腹が痛くて病院に駆け込んだ場合、極論を言えば病院がどんなにおんぼろでも、治療してくれる先生がどんなにぶっきらぼうでも、痛みさえ良くなれば患者さんはそれで満足する。このような症例は急患で運ばれて来ることが少なくない。その際、医師は夜中など、診療時間外に呼ばれることが多いため、億劫だがしょうがなく患者を診察することになる。このように忙しく診療を行う日々が続くと、医師は患者より優位に立ち、いわゆる“上から物を見る。”習慣がいつの間にか身についてしまうことがある。 僕が美容医療の世界に飛びこぶ前の過去5年間、臨床医として身についたこの悪しき習慣は、美容診療を行う上で大きな障害となった。彼女、彼らたちはお腹が痛くてクリニックに駆け込むのではない。美容医療は経済的、社会的に恵まれた方たちが、自己投資をして若さや美しさを保とうとする新しいタイプの診療科目である。従って、美容クリニックを訪れる顧客を“患者さん”と呼ぶことすらふさわしくない。余裕のある彼女たちはクリニックに勤務する医師の一挙手一投足をくまなく観察するのみならず、スタッフの接遇やクリニックの内装にいたるまで、全てを見極めてから治療を行うかどうか判断する。もし、その医師が“上から物を見下す。”態度を示した場合、その時点で顧客は治療をキャンセルする可能性が高い。僕の場合もこの例外に漏れなかった。 美容診療 僕が美容医療を始めた最初の頃、クリニックに訪れる顧客たちを治療にうまく結びつけることができなかった。僕の診療態度のどこかに不遜な態度があったのだろう。そんなとき、美容医療に長く携わる先輩医師からある重要な助言を受けた。「いいですか。美容医療は保険診療と違って、誰でもすぐにあなたの患者さんとなって治療を受けるわけではありません。」と。僕は「それは痛感しています。」と答えると、先輩医師は「もう少し分かりやすい話をするためにこの医療を野球にたとえてみましょう。プロ野球選手であれば誰でも直球真ん中の球でホームランを打つことが出来ます。でも、ストライクぎりぎりの球や変化球はプロ野球選手でも簡単にホームランには出来ません。保険診療は直球、美容医療は変化球なのです。つまり、患者さんが何を求めているのかを見極めなさい。そして、あなたが有能な医師であることをさりげなく示し、まず始めに患者さんとの信頼関係を築きなさい。」と続けた。僕はその日以来、医療に関わる仕事のプロとして、診察態度を改善するように努めた。それ以後、少しずつ僕を信頼してくれる顧客を確保することに成功していった。 近年、日本社会の成熟とともに、美容医療のみならず、一般医療においても患者さんとの信頼関係を基本にした質の高い医療が求められるようになった。思い切って飛び込んだ美容医療の世界で生き残りをかけてもがき、気がつくと7年の歳月が経過していた。この経験を通して僕は、プロフェッショナルとして仕事をするということは、まず始めに自分自身を質の高い人間に向上させなければいけないという重大な事実を知った。