GINZA CUVO

2011年12月アーカイブ

早朝すでに太陽がまぶしい、ビバリーヒルズ、形成外科センター前で

資本主義の罠

僕は普通のサラリーマン家庭に昭和40年初頭に生まれた。両親ともに戦前生まれで、昭和20年の敗戦後の復興の中、懸命に生きていた。僕が幼少の頃の北海道はまだ貧しく、自宅や学校も石炭ストーブ、水洗トイレはもちろんなく、朝顔を洗うにはお湯を沸かして行うといった具合だった。

小学生に上がる頃からテレビが現れ、ようやく一般家庭に娯楽と言えるものが現れた。特に昭和40年代以降の日本は、めざましい経済発展を遂げ、父をはじめとする多くの日本のサラリーマンたちは、不眠不休の如く働き続けていた。その頃僕の父は、仕事に出ずっぱりで、僕の夏休み中に一緒に出かけようしても、3日続けて休めないほどだった。

すでに他界した父だが、このように日本が豊かな国になったのも、ひとえに彼らのおかげで、その勤勉さに感謝せざるを得ない。だが僕は最近になって、こういった日本に経済発展をもたらしてた勤勉な労働者たちが、実は資本主義社会をコントロールする一部の支配層の奴隷と化していたことを知った。

サラリーマンとして40年以上懸命に働いた父が他界した時、彼に残された財産はほとんどなかった。父が生涯努力して稼いだ収入のほとんどは、住宅ローン、生命保険、さらに時代の流れとともに値下がりした不動産などとして消えた。

その消えたお金は、銀行や保険会社を支配する大株主たちの懐を厚くするのに貢献したのだ。こういった一部の支配層は、父のような真面目なサラリーマンたちを生涯働き続けさせて、彼らしか手にすることの出来ない莫大な財を築いたはずだ。

僕は父がサラリーマンとして働くあまりに過酷な姿を見て、いつも将来サラリーマンにだけはならないようにと、子供ながら心に誓っていた。だが、そのような父の背中を見て育ったはずの僕も、いつの間にか資本主義社会の罠、すなわち拝金主義の洗脳につい最近までどっぷりと漬かっていたのだ。

ではこの拝金主義の洗脳とは何だろうか。 第二次世界大戦後のわが国は既存の文化、価値観がすべて取り壊された。そして 日本の復興にあたって、 先進国流資本主義が導入されたのは周知の事実である。 この先進国流資本主義こそが、拝金主義の洗脳と呼ばれるものだ。

すなわちそれは、お金は貯蓄するものであり、お金さえあれば将来も安泰なので、節約や貯金が何より大切といった考え方であった。敗戦後、自信を失っていた日本人は、この一見まっとうに思える考え方を頭から信じてしまった。

その結果、元来勤勉な我々日本人はひたすら働き、この経済発展を成し遂げた。だがそれは同時に、ほとんどの日本人が、先進国流資本主義を推奨し、そこから利益を吸い上げる一部支配階級の犠牲と成り果てる結果となった。

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クリニックの近所に、小さな革製品を扱ったお店がある。店主がイタリアで直に買い付けた物や、彼がデザインしたものをイタリアの職人が製造した物を、このお店では扱っている。実際に製品を手に取ると、その質感は一流ブランド品となんら変わらない。

店主はとても気さくな方なので、これらの製品について何でも教えてくれる。その話でとても驚いたのは、彼が仕入れるアイテムの材料や、それらを作る職人は、高級ブランド品メーカーとほぼ一緒ということだ。敷いて言うなら、このお店の製品と高級ブランド品の違いは、デザインとブランド名だけらしい。

すでイタリアを150回以上訪れたという店主の目は良く利き、このお店のデザインも高級ブランド品と何ら引けを取らない。すなわち、彼のお店のアイテムと高級ブランド品との違いはブランド名があるかどうかだけだ。

彼曰く、高級ブランド品は原価の10倍の値をつけるとのこと。つまり我々は高級ブランド品を購入するとき、製品価値そのものより、そのブランド名にお金のほとんどを費やしていると言っても過言ではない。ちなみにこのお店のアイテムは、製品価値はブランド品とほとんど変わらないにもかかわらず、その値段はブランド品の半額以下であった。

それにして日本人のブランド品好きは世界的に有名である。確かに他のどの国を訪れても、日本人ほどブランド品を身につけている人たちはいない。何故ここまで日本人はブランド品好きになったのだろう。それには下記の如くいくつかの理由が考えられる。

1.平均的日本人の懐が温かくなった。

2.戦後、日本の伝統固有文化が破壊され、価値観が曖昧になった。

3.ブランド製品のデザイン、性能が、それ以外のものより優れている。

4.周囲と同様であることに価値観を持つ日本人の性格。

5.広告代理店とメーカーの連携で、揺るぎないブランドイメージが日本人に定着した。

銀座に軒を連ねる高級ブランド品店の数々、その桁外れの家賃を支払う価値があるのも、高級感を我々に植え付けてこそ、これらの製品が売れるからだろう。だが冷静に考えると、その高い家賃は我々が購買する一つ一つの製品に加味されている。だからこそ、ブランド品はそれ以外のものより、大幅に値段が高いことを知っておく必要がある。

だが頭を冷静に考えると、本当に価値があるのはブランド品より、それを身につける我々自身の方だ。我々自体の価値が高まると、この店主のお店の製品を身につけても、十分素敵に見えるはずだ。

バブル時代のように、強引にお金を稼いで高級品を買い漁る時代はすでの遠い過去の話だ。今は何事に対してもその物の本当の価値を知り、無駄使いを節約すべき時なのだ。

そうすることによって、消費経済社会の奴隷になることなく、幸せな人生にとって不可欠な自由や余裕を得ることが出来るであろう。

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