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美容外科ブログ

2022年9月21日
それぞれの人生

正月休み、小中学時代を共に過ごした幼なじみたちと再会した。東京に出て10年、ちょくちょく帰省していたものの、クリニックが軌道に乗るまで心に余裕がなく、正直幼なじみたちと会いたいと思うことはなかった。だが、今になってようやくクリニックが軌道に乗り、精神的余裕が生まれ、彼らと再会してみたい気持ちになった。

僕が彼らと多感な時期を過ごしたのは昭和50年代だった。当時の日本は昭和60年代に起きた空前の好景気(バブル経済)の下支えになる時期で、誰もが経済的裕福豊をつかもうと懸命に働く時代だった。当時僕が暮らした札幌の新興団地は低所得者層向けに開発されたので、そこに集まったのは僕を含めて貧しい家庭の子供たちだった。

当時ここに暮らしていたのは、いわゆる”肉体労働者層”で、子供たちに十分な教育を与える環境とは言えない家庭が多かった。こういった家庭に育った彼らにとって、当時の日本は厳しい環境にあった。高度経済成長のあの時期、社会は学力偏重主義に陥っており、成績優秀であれば高学歴を得、高収入や将来の地位が約束されていた。

つまり成績優秀でさえあれば、学校や家庭での社会的評価が高まりもてはやされた。百に成績が悪ければ問題児として扱われたため、多感な10代前半の彼らは、いわゆる”落ちこぼれ”のレッテルを張られた。そしてその欲求不満のはけ口を求め、彼らの多くが不登校、校内暴力、シンナー薬物などの非行に走った。

それから30年、僕はそんな不合理な環境で育った幼なじみたちと再会した。医学部へ進学した僕が真面目な学生よりも、むしろ不良仲間たちと仲が良かったのは、サッカー、野球、スキーなど、スポーツで彼らと互角に渡り合っていたからだ。当時、学生の間では学力よりも、どれだけスポーツができるかで本当の評価が決まっていた。どんなに成績優秀でも運動や音楽で活躍していなかったり、けんかが弱いと学生間での人気はなく、評価されなかった。

その後世の中は一変し、高学歴はあまり価値がなく自分が何を成し遂げ、どれだけ社会貢献出来るかが評価されるようになった。不良仲間たちは社会に出た後更生し、学歴は中卒でも大工やトラック運転手として堅実に働いた。その後自分たちの経験を元に起業し、運送業や土建業、そして料理人の世界で成功を収めている仲間たちも多かった。もちろんその中には犯罪に手を染めたり、消息不明になっている残念な仲間たちもいた。

一方で、高学歴を得た学生たちが必ずしも成功している訳ではないことも知った。つまり、当時学校や家庭で得ていた学歴偏重の社会評価よりも、我々学生たちが下したスポーツや音楽の才能に基づいた評価もまんざらではなかったのだ。

僕は医師の道を選択し、外科医として何とかここまでやってきた。そんな僕の選択を彼らは心から喜んでくれた。それは僕たちが何ら利害関係を持たずに多感な時代を過ごした本当の仲間だったからに他ならない。過去の記憶とともに消えかけていた大切な仲間たちを取り戻す帰省となった。

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