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美容外科ブログ

2022年9月20日
アキレス腱断裂から一年が経過して

悪夢のような出来事 今年もすぐに8月を終えようとしている。昨年、僕の身に悪夢が降りかかった8月31日はかなり蒸し暑い夜だった。その夜、僕はアキレス腱断裂を受傷し、慈恵医大病院に担ぎ込まれた。玉のような脂汗が止めどなく流れ落ちた記憶が新しい。手術は当日の夜11時過ぎに緊急的に行われた。その理由は早く手術をすれば回復が早いので、僕が無理を言ってお願いしたから。通常、アキレス腱断裂の手術は脊椎麻酔と呼ばれる下半身麻酔をして行うが、僕の場合、局所麻酔のみで行った。アキレス腱の真上に打たれた局所麻酔の痛みはこれまで経験した痛みの中で最も激しかった。あまりにも痛いので、麻酔を打たれた後、思わず笑ってしまったほどだ。人間はあまりにも辛いとき、ついつい笑ってしまったりすることもあるが、あの痛みはまさにその閾値に達していた。2ヶ月間のギプス固定後、ギプス除去時の開放感は信じられないほど気持ち良かったが、マッチ棒のように細くなった左下腿を見て愕然とした。受傷後約4ヶ月間はびっこを引いたが、半年くらい経過すると、普通に歩きだし、スキーが出来るまでに回復した。現在、手術を受けた部分の赤い瘢痕が痛々しく残っているが、この傷跡もやがて薄くなるだろう。 あのときの怪我以来、何故アキレス腱断裂を受傷したのか腑に落ちなかったが、最近ようやくその真相を理解できた。そもそもアキレス腱とは何だろう?アキレス腱は正式医学用語で腓腹筋腱と呼ばれ、長さ15cm、体の中で一番長い腱組織である。主に歩行時や跳躍時に足首を伸ばす際に用いる。アキレス腱を断裂すると、つま先立ちが出来なくなる。僕はあのときフットサルの試合中だった。怪我は1時間の試合のラスト1分で起きた。去年の今頃、毎日の診療と友人たちとのつきあい等が重なり、疲労が蓄積していたことは事実である。通常、疲労が蓄積した場合、“足がつる。”と言った前兆が現れる。しかし、あのときは前兆なしに、突如アキレス腱が“ばちっ”と音を立てて切れてしまった。それはまるで後ろから誰かに蹴られたかのような感覚だった。アキレス腱は血行が悪いので、加齢とともに硬くなり易い。僕はあの日診療を終えた直後から、準備体操もせずいきなり試合に出た。それが最大要因であることに間違いない。 アキレス腱断裂の真相 アキレス腱の名前の由来は、ギリシャ神話に登場する英雄、“アキレウス”に由来する。アキレウスが生まれたとき、その生みの親の王が、アキレウスの肉体を不死身にしようと、まだ赤子であったアキレウスを“神の川”に浸した。そのときアキレウスのかかとをつかんで川に浸したため、かかとの腱(アキレス腱)のみが不死身とならなかった。アキレウスはトロイア戦争で、この弱点であるアキレス腱を弓で射抜かれ、命を落とした。この伝説からアキレス腱は致命的な弱点の代名詞となっている。 腑に落ちないのは何故僕のアキレス腱は、前兆もなく突然切れてしまったのだろう?この伝説を知り、僕は“ピン”とくるものがあった。ギリシャ時代の戦乱中、戦士たち身を守るため鎧を身にまとって戦った。鎧は相当な重さだっただろう。だが、ヒトのアキレス腱の強さは変わらない。この重たい鎧に耐えかねて、アキレス腱を切る戦士が少なからずいたことは想像するに易しい。僕も同様だった。当時の僕は友人の勧めでしきりに筋力増強のためのウエイトトレーニングを行っていた。筋力と体重が増加した結果、まるでギリシャ時代の戦士が鎧をまとったときのように、アキレス腱に強い負担がかかっていたのだろう。現日本ラグビー代表大畑大介選手(31歳)にも同様なことが起きた。今年1月、右足のアキレス腱断裂を受傷したが、ワールドカップ予選に向けて猛然とリハビリを行い、6ヶ月後に見事に復帰を果たした。しかし、今月25日、今度は左アキレス腱断裂を受傷した。彼の場合も過激な筋トレで身につけた強靱な筋力とその重みにアキレス腱が耐えきれなかった。 僕は去年の怪我以来、筋力増強のためのウエイトトレーニングは中止し、水泳などの有酸素運動のみを行うようにした。もちろん、サッカーにも復活したが、練習前に十分なストレッチ行うようにしている。僕は“自分の身の丈を知る。”ことがいかに重要であるか、アキレス腱断裂という過酷な経験を通して学んだ。

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