2025年9月27日
苦手なことにこそチャレンジの価値あり?
我々には何故か得意・不得意があるようで、例えば僕が人より若干得意なのはスポーツや英会話、多分手術もその一つと思われますが、では得意なことは何か述べると、楽しみながらさほど苦労しなくやっていることで、一般レベルより優れていることであり、逆に不得意なことはやる前から毛嫌いし、実際にやっても他人より劣っていたり、練習・努力してもなかなか上手くならない何かであり、僕の場合、楽器演奏やスポーツの格闘技や柔軟体操がそれに当たり、特に音楽(楽器演奏・作詞作曲)に秀でたらどんなに素晴らしいと思っても、その才能がないのでし方ないといつも落胆しています(>_<)(>_<)
我々に何故得意・不得意があるのか不思議でなりませんが、唯一”ピン”と来る答えが、科学(医学)を専門にする僕がこんなことを話すのも変に感じるかも知れませんが、我々の魂が前世(今回生まれてくる前の人生)に何をやってきたかの影響を受け、例えば音楽の得意な人は前世でも音楽をやっていた?などで、クラッシック音楽の巨匠アマデウス・モーツァルト(1756年1月生まれ)は3歳でチェンバロ(ピアノの一種)を弾き始め、5歳の頃には作曲も始めたというのですから、もはや努力などの介在余地はなく、彼の魂、もしくは遺伝子に音楽の才能が刻み込まれたとしか言いようがありません(O_O)(O_O)
我々はお母さんのお腹から”オギャー”と泣きながら、皆平等にこの世に生まれ落ちると信じて疑いませんが決してそうではなく、モーツァルトの例からも分かるように、彼は誕生した時から既に卓越した音楽の才能を有していた訳で、それをマラソンに例えると我々がランニングシューズで走っているのに、彼だけローラースケートで悠々と道路を滑るくらいの差があり、つまりモーツァルトに負けじとどんなに努力しても到底敵うはずはなく、最初から勝負がついていると言っても過言でないのです。。
なので僕も不得意な音楽は、どんなに努力してもたかが知れているでしょうから、これまで音楽に触れてこなかったことに後悔はありませんが(^0^;)、何故僕がこんな話をしたかと言うと、我々は得意なものは上記の如く”過去生”にてそれなりにやり遂げて得た能力なので、現世でさほど努力する価値は無く、”現世”ではむしろ不得意なこと、もしくはまだ今世でまだやり遂げていない何かに挑戦する為に我々は生まれてきたかもしれず、そうなると得意なことだけやるより苦手なことにも敢えてチャレンジすべきでは?と”ふ”と思ったからです。。
勿論、得意なことをやっていれば優越を感じて気分も良いのですが、実はそれと同様、もしくはそれ以上に達成感・喜びが得られるのは、不得意なことが努力の甲斐あってそれなりに出来るようになった時で、僕が楽器(ピアノ)演奏で一曲それなりに弾けるようになった際もそれを実感したのですが、特に年齢を重ねると”もう歳だから。。”と苦手なことは避けがちになるものの、それだと今世生まれた目的を貫徹したとはいえないので、辛くても苦手なことにチャレンジすべきと肝に銘じたいと思います(^0^;)

その後一ヶ月、練習を重ねて実際に演奏した映像がこちら
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(Dr.CUVOのYouTubeチャンネルより抜粋 )