2025年9月6日
日本にいると気付かないこの国の価値-3
このシリーズでは、以前僕がマリンスポーツ目的でインドネシアを訪れた際の経験から、日本で暮らす高い価値を痛感し、その第1回目はインドネシアについて述べているうちに紙面が尽き、次回にこの話しを先延ばしにしたにもかかわらず、第2回目はオーストラリア出身のサーファーから聞いた人喰いサメの恐ろしい話に終始、またまた日本の価値を述べる前に紙面が尽きたので、今回(第3回目)こそは本題に切り込む予定です(^0^;)
僕がインドネシアの田舎街に滞在しているある日、僕を含めてサーフィン仲間たちはスクーター走らせて向かうには遠すぎるビーチ迄、運転手付きの車を一日レンタルして遠出をしたのですが、そこはまさに人っ子一人いない見通しの良いビーチで、そこにある白みがかった砂浜海岸線がとても綺麗で喜びと感動に包まれましたが、そこへ到着した午前9時前にも関わらず強い太陽が燦々と照りつけ、沖からはそれなりに大きい波が次々とやって来るので、”今日は想い出に残る日になる良いになるだろう!”と覚悟を決めて海に入りました。
僕はパンデミック前からサーフィンを始めたものの年にせいぜい数回、しかも一度に3~4日しか海に入れないので、いつまでたっても初心者レベルを抜けきれず、このスポーツに関しては悶々としながら日々を過ごしていますが(>_<)、去年末辺りからサーフィン頻度を増やしたところ、ようやく’”このスポーツの勘所をある程度得たかな?”と感じるようになり、いつもお世話になっているインドネシア人のサーフィン·コーチからも「ようやく中級レベルに到達しましたね!」と言われ思わずガッツポーズをしたくなりましたが、今回訪れたビーチは普段の場所と波の向きが真逆でカラダが慣れておらず、またもや初心者に戻ったかのように波に乗れなくなり、改めてこのスポーツの奥の深さを知らされる羽目となりました。。
サーフィンは直ぐに体力を消耗し、特に僕のような”オジサン”年齢ともなると海に入っていられるのはたかだが2~3時間であり、昼前には既にサーフィンを終え帰路に着いたもののその道中でで皆お腹が”ペコペコ”となり、道路上に立ち並ぶ地元料理店の一軒に立ち寄るのに車を路肩に止め、知人たちが車を降りそのお店へ向かいましたが、この小旅行には運転手さんの奥さん(40代前半)も同行し、彼女はサーフィンをしない代わりに食べるのが大好きなようで、僕たちのサーフィン中も海辺でひたすら買い食いしていたにもかかわらずまたお腹が空いたようで、彼女もまた車から降りて皆に”ひょこひょこ”付いていったのですが、そのときとんでもないアクシデントが発生しました(O_O)(O_O)
その時僕はまだ車内にいたので直接目撃しませんでしたが、この奥さんが道路を横切る際、中学生くらいの子供たちが2人乗りしたスクーターがこの奥さんをはね、スクータが路肩に激突して倒れた音を聞いて僕もその事故を知ったのですが、身軽な子供たちこそ擦り傷·打撲で済みましたが、奥さんは路肩にまで弾き飛ばされ、そこに仰向けになったまま身動き一つしないので、美容外科転向して以来救急医療からすっかり遠ざかっていた僕も一瞬あわてふためきました。
そして一瞬パニックに陥った僕より素早く反応したのが僕のサーフイン·ストラクターで、彼はその場で事故を目撃した人たちと彼女を持ち上げ安全な場所へ移動し、軽く水を飲ませて彼女の生体反応を確認し、彼女は若干むせながらも水を飲んだのを観て彼女に意識があると確認しましたが、救命救急で真っ先にすべきことが生命兆候、所謂”バイタルサイン(意識·呼吸·脈拍·血圧)の確認であり、知人インストラクターは彼女に少しだけ水を飲ませることで、真っ先に意識·呼吸の有無を確認したので、多分こういった非常事態時に真っ先にすべきことを過去の経験から学んだのでしょうが、彼の素早くk適格な行動に僕は大変感心しました。

(患者さんが運び込まれたインドネシアの救急病院)
ただここからが大変で、インドネシアの田舎街でこのような事故に遭遇したらいかに大変か思い知ったのですが、日本であればたとえ僕のような医者が交通事故·被害者のすぐ傍らいても事故現場では何もせず、すぐに救急車を呼ぶのが常であり、僕は仲間たちに「救急車を呼んだの?」と尋ねましたが、彼らは即座に「救急車?そんなのは呼んでも来ません。。」と答え、僕のパニックはさらに拡大し、内心”この事態にしっかり向き合うのにまずは冷静になりべき”と覚悟を決め、まずは彼女の正確な被害状況(症状)を確認しようと、再度バイタルサインの確認をしたところ意識清明で、命取りになりかねない内臓(骨盤)出血などによる失血性ショックは無く、つまり現状では命に別状ある状態ではないと分かりひとまず”ホッ”としましたが、その後の顛末は次回報告いたします。