GINZA CUVO

2007年11月アーカイブ

臨床医の心がけ

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保険診療 整形外科研修医時代の僕は、痛みを中心とするいわゆる“切羽詰まった患者さんたち。”を治療していた。日々、腰や首の痛みを訴える患者さんたちが次から次へとやってきた。中には漁師が仕事中、ワイヤーに巻き込まれて手首を骨折し、救急車で運び込まれてくることもあった。骨折の場合、診察はレントゲン写真を撮れば一目瞭然、瞬間的に診断、治療方針が決まる。そういった場合のやりとりは次のようだった。「○○さん、手首の骨が折れています。」と僕が言うと、患者さんは「えっ!骨が折れているの?」と驚きを隠さない。僕は「ええ、このレントゲン写真を見てください。左右を比較すると、右手の骨折が一目瞭然ですよね?」僕は続けて「これから手術の準備をします。」と言うと、「えっ!手術ですか?」と患者さんは動揺した。僕は淡々と「手術をしなければ手が曲がったままになってしまいます。」と言うと、患者さんは「わかりました。お願いします。」と納得する。診察から手術への診断までものの2~3分、北海道の地域診療はいつもこんな感じだった。 例えば、お腹が痛くて病院に駆け込んだ場合、極論を言えば病院がどんなにおんぼろでも、治療してくれる先生がどんなにぶっきらぼうでも、痛みさえ良くなれば患者さんはそれで満足する。このような症例は急患で運ばれて来ることが少なくない。その際、医師は夜中など、診療時間外に呼ばれることが多いため、億劫だがしょうがなく患者を診察することになる。このように忙しく診療を行う日々が続くと、医師は患者より優位に立ち、いわゆる“上から物を見る。”習慣がいつの間にか身についてしまうことがある。 僕が美容医療の世界に飛びこぶ前の過去5年間、臨床医として身についたこの悪しき習慣は、美容診療を行う上で大きな障害となった。彼女、彼らたちはお腹が痛くてクリニックに駆け込むのではない。美容医療は経済的、社会的に恵まれた方たちが、自己投資をして若さや美しさを保とうとする新しいタイプの診療科目である。従って、美容クリニックを訪れる顧客を“患者さん”と呼ぶことすらふさわしくない。余裕のある彼女たちはクリニックに勤務する医師の一挙手一投足をくまなく観察するのみならず、スタッフの接遇やクリニックの内装にいたるまで、全てを見極めてから治療を行うかどうか判断する。もし、その医師が“上から物を見下す。”態度を示した場合、その時点で顧客は治療をキャンセルする可能性が高い。僕の場合もこの例外に漏れなかった。 美容診療 僕が美容医療を始めた最初の頃、クリニックに訪れる顧客たちを治療にうまく結びつけることができなかった。僕の診療態度のどこかに不遜な態度があったのだろう。そんなとき、美容医療に長く携わる先輩医師からある重要な助言を受けた。「いいですか。美容医療は保険診療と違って、誰でもすぐにあなたの患者さんとなって治療を受けるわけではありません。」と。僕は「それは痛感しています。」と答えると、先輩医師は「もう少し分かりやすい話をするためにこの医療を野球にたとえてみましょう。プロ野球選手であれば誰でも直球真ん中の球でホームランを打つことが出来ます。でも、ストライクぎりぎりの球や変化球はプロ野球選手でも簡単にホームランには出来ません。保険診療は直球、美容医療は変化球なのです。つまり、患者さんが何を求めているのかを見極めなさい。そして、あなたが有能な医師であることをさりげなく示し、まず始めに患者さんとの信頼関係を築きなさい。」と続けた。僕はその日以来、医療に関わる仕事のプロとして、診察態度を改善するように努めた。それ以後、少しずつ僕を信頼してくれる顧客を確保することに成功していった。 近年、日本社会の成熟とともに、美容医療のみならず、一般医療においても患者さんとの信頼関係を基本にした質の高い医療が求められるようになった。思い切って飛び込んだ美容医療の世界で生き残りをかけてもがき、気がつくと7年の歳月が経過していた。この経験を通して僕は、プロフェッショナルとして仕事をするということは、まず始めに自分自身を質の高い人間に向上させなければいけないという重大な事実を知った。

カンボジア

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カンボジアの歴史 先日遅い夏休み休暇を取って、友人とカンボジアに行った。カンボジアではアンコールワット遺跡が有名である。どうしてカンボジア旅行?僕の場合、アンコールワット遺跡を観光に行ったのではない。それはカンボジアは日本人が足を運ばない国の一つと聞いたから。東京を始めニューヨーク、ロンドン、パリ、これまで僕は脚光を浴びる都市を訪れた。先日訪れたソウルも屈指の大都会になりつつある。大都市は今後学会等でいくらでも訪れるだろう。せっかくの夏休みくらいは大都会を離れ、ほっとしてみたかった。 カンボジアはタイの隣に位置する人口1300万人の農業主体国。僕のカンボジアの第1印象は鮮烈である。それは医学生時代にみた映画、“キリングフィールド”の影響がある。映画はプノンペン市郊外に埋められた無数の遺骨が荒野を埋めつくす様子を映し出しす。映画はジョン・レノンの名曲“イマジン”を主題歌にして戦争がいかに残酷で、平和を維持することがいかに尊いかを訴える名作となった。 カンボジアはタイとベトナムに挟まれる地理的背景から、有史以来、これらの隣国から干渉され続けてきた。19世紀に入ると、強国フランスの植民地になった。第二次世界大戦時、日本軍侵攻によってフランスから一時解放されたが、日本軍降伏によって再びフランスの植民地になった。なんとか1953年に独立を果たしたが、それ以降ベトナム戦争のあおりを受け、内線が続いた。カンボジア独立時のシアヌーク国王は1970年、アメリカから支援を受ける政権によるクーデターで国を追われ、中国北京に脱出した。このシアヌーク国王をカンボジアに戻したのが、中国共産党支援で力をつけた共産主義勢力クメール・ルージュのポル・ポトだった。 1975年以降、ポルポト派はカンボジアの都市住民を強制的に農村に入植させ、強制労働を行わせた。また、知識階級層を不穏分子として虐殺、粛清しその数は200万人にも上った。その後、政府派、反政府派との間で泥沼の内線が繰り返され続けた。ようやく1992年、国連の仲介で立憲君主制が敷かれ、20年にも及ぶ内線の歴史に終止符を打った。 予定のない旅行 休暇のための旅行にはいくつかの目的がある。買い物、観光、食事。カンボジアはこのどれも満たすことができない。実際にこの国を訪れると、60年前の終戦直後の日本はこんな状態だったのだろうかと思わせるほど雑然としている。カンボジアで唯一の都市、人口134万人のプノンペンですら、ひとたび主要道路をはずれると道路はいまだに舗装されていない。そのせいか車の多い日中、街はほこりだらけとなる。今回の旅行はのんびりした時間を過ごしせたらと思ったので、特に予定は入れなかった。プノンペン市内で数日過ごし、その後、海辺の小さな街、シアヌークビルに行くことにした。つい最近まで続いていた血まみれの内線が、カンボジアの印象をどことなく悲しいもにしている。だが、シアヌークビルは世界屈指のリゾート地にも負けないほど綺麗である。 カンボジア旅行通の友人曰く、「ここでは他では決して出来ないことがある。」と。それは軍施設から流れてきた手榴弾や機関銃を実際に撃つこと!かなり過激な話だが、手榴弾を投げられるのは世界中でカンボジアだけらしい。好奇心旺盛な僕は早速挑戦した。手榴弾を野原の奥にある池に向かって歩いて行くと、案内者が「勝手に歩き回るな。」と言う。まだ、野原には地雷があるかもしれない。案内者の手を見ると片方の手首から下がない。明らかに爆発が原因で失ったのだろう。なんだか怖くなってきたが、池の縁までたどり着いた。言葉が通じないから見よう見まねで行うしかないのが不安を駆り立てる。手榴弾のピンを抜くと5秒後に爆発する。暴発したらどうしよう?間違いなく命を落とす。そんなことは起こりえないと自分を説得しながら手榴弾のピンンを抜いた。破片が飛び散らないよう、ピンを抜いた途端、手榴弾は池の中に投げ込んだ。しばらくの沈黙のあと大きな水柱が立ち、爆弾の衝撃で池の底から泥が上がり、水の色が鉛色に変化した。 本当の幸せ カンボジアの食事はどうだろう。ホテルの食事はハーブを一杯に取り入れたエスニック料理でとても美味しい。しかし、友人と踏み入れたカンボジア現地人のお店で出てきた食べ物はとてもまずくて一口も食べられない。人は一度美味しいものに舌が慣れてしまうと、まずいものを受け入れなくなる。もう少しましな料理にありつけないかと、外国人の集まる料理店を探した。そこはフランス人の経営する小さなベトナム料理専門店だった。このフランス人店主は25年ほど前、カンボジアに来てベトナム人女性と結婚した。それから本国に帰ることなく、奥さんと二人でこの料理店を経営しているらしかった。カンボジアの夜は10月でも気温30度を下回らない。このお店ではエビの入ったトムヤンクンなどを食べながらオープンテラスで心地よく食事が出来た。 旅行も最終日、友人とカンボジアビールで乾杯をした後、お会計をしてもらうことにした。料金はレシートに50と書いてある。カンボジアの通貨はリエルが存在する。しかし、リエルの貨幣価値があまりにも低く、一般的には米ドルが用いられる。当然米国の50ドルだろうと思い、現金で支払いを済ませようとすると、フランス人店主が慌てて戻ってきた。「これはゼロを省略していますが、5万リエルのことです。」換算すると、米ドルで12ドル、つまり日本円で1500円程度だった。僕は“正直な店主だ。”との好感をもった。店主は続けて「カンボジア人の平均月収は日本円にして3万円程度です。この料理にそんな大金を支払う必要はありません。」と続けた。 先進国と発展途上国との明確な経済格差はカンボジアのように観光客が踏み入れない場所に行って初めて実感する。“ツクツク”と呼ばれる屋根付きオートバイの後ろに乗って帰るホテルまでの道のりは、海風が体に当たってとても気持ちが良い。帰りがけににぎやか路地があったので立ち寄った。日本で言えば、江戸時代の長屋であろうか?みなが共同で楽しそうに暮らしている。辺りは無秩序な感じと貧しさが漂っている。僕がデジタルカメラを取り出すと、元気な子供たちが一斉に集まり、好奇心旺盛な目で一生懸命のぞき込む。この子供たちには今はお金がなくても、将来の夢と可能性がある。好奇心、情熱や将来への夢、人々が幸せに生きてゆく上でお金よりもっと大切なものの存在を感じる旅となった。

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