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美容外科ブログ

2022年9月20日
美瑛町

ダイヤモンドダスト 2月の北海道の美瑛町、今朝もこの上なく冷える。時計を見ると時刻は朝の八時、布団の中で寝返りを打つと寒さで体が震える。頭まで布団をかぶらないと顔が痛くて眠れない。だが、そろそろ大学に行く時間が近づいている。思い切っ布団から出て窓から外を覗くと、空気の中にキラキラと輝きを放ちながら舞うものが見える。「あーっ、ダイヤモンドダストだ。」僕は寒さで体をこごめながら、そう独り言をつぶやいた。ダイヤモンドダストとは旭川のような極寒の地で、雲一つない冬の快晴の日に、気温がマイナス20度以下になると現れる。それは大気中の湿気が凍りつき、光を反射して宙に舞う。ダイヤモンドダストはこの地方の冬の風物詩とあって神秘的で美しい。部屋の中があまりにも寒く、また布団の中に潜り込みたい気持ちだった。しかし、授業に間に合うためには勇気を奮い起こし、冷たくなったジーンズに足を通すことにした。枕元においた飲みかけの水の入ったコップを見ると、芯までしっかり凍り付いている。おそらく部屋の中の温度は冷凍庫並みだ。 極寒の地での暮らし その頃、僕は北海道のへそ、旭川郊外の美瑛町の農家の廃屋で暮らしていた。何故、そんな場所の暮らしていたか?それは親から送ってもらった生活ぎりりの仕送りの中で一番の比重を占める家賃を節約するためだった。大学近くで下宿をしていた頃は、2食付きの六畳一間でも約5万円の下宿代がかかった。当時の僕は8万円程度の仕送りだったから、食べ盛りの僕にとって外食などすると、あっという間に仕送りは消えてしまった。家庭教師などのアルバイトもしていたが、医学部も高学年になると、アルバイトもそうそう行っていられない。お金を貯める唯一の方法は5万円の下宿代を削るしかなかった。その頃の僕は、サーフィンのメッカ、ハワイでのサーフィン修行を行なう夢を捨てきれずにいた。大学に入ってから始めたサーフィンの腕は北海道の短い夏の間の小さな波では満足出来ないところまで上達していた。医師国家試験が終わってから医師として働くまで約1ヶ月半の猶予があった。この期間になんとしてもハワイに行くために、ある程度まとまったお金が必要だった。その頃、大学山岳部に所属していた一つ上の先輩が、旭川から真っすぐ富良野に向かって車で20分の距離にある、美瑛という小さな町に農家の廃屋を借りて住んでいた。家賃は一人5000円、電気は通っているが、水道は井戸水、暖房は石炭ストーブという原始的な環境だった。“ここに住めばハワイに行ける!”そう確信した僕は大学5年の秋からお金が貯まるまで、この廃屋に住む決心をした。悩みは汲取式トイレ、これだけが寒さより何よりも辛い。お金節約のためにと思い、鼻をつまみながら用を足さざるを得ない。寒い日には車のエンジンがかからないことが多い。バッテリーが冷えきってエンジンに発火しない。友達から譲ってもらったおんぼろの車はただでさえ調子が良くなかった。毎晩家に返ってくると、バッテリーを車から外して家の中に持ち込む。しかし、家の中でさえ気温は氷点下10度を下回る。先輩に「この家の中で、どこが一番暖かいかな?」と尋ねると、「冷蔵庫のなかだよ。」と答えた。こんな寒い時期はなんと冷蔵庫が保温室に変わる。僕は先輩の許可を得て、冷蔵庫の中に車のバッテリーを保温のためにしまうことを日課にした。 それぞれの目標 暖房は石炭ストーブ、すっかり時代が逆戻りしたようだが、ストーブの火をいじるのが意外にも楽しい。石炭は友人が廃鉱となった夕張炭坑跡地から、近くの農家から借りたトラックで拾ってくる。捨てられていた石炭のせいか質が悪く、その中から燃えやすい石炭を探す必要がある。僕はその選び方を友人から習った。そして凍えそうになりながら、燃えそうな石炭を懐中電灯を照らしながら拾う。“今夜も極端に冷える。”と思いながら空見上げると、雲一つない満天の星空だった。拾ってきた石炭をストーブの中に“よく燃えてくれよ。”と祈りながらくべる。一学年上の先輩は、なかなか暖まらないストーブに身を寄せながら、間近に迫った医師国家試験の勉強をしている。彼は学生時代に訪れたチベットで、精神的にすっかり感化されてしまったらしい。そこで得た精神的パワーを東洋医学に盛り込んで、西洋医学以上に価値のあるものを体得することが彼の夢。そのためには現代社会の利便性を捨て、もう一度人間本来の道に戻るために、あえてこのような原始的環境に自分の身を置いている。僕はある程度、彼の考えには共感出来きたが、お金を節約する以外の目的でこのような劣悪な環境下で生活続ける気には最後までなれなかった。 朝には石炭ストーブは消えてしまっているから、目を覚ます頃には家の中は冷凍庫のように冷えきっている。僕はジーンズをはいた後、厚手のジャンパーを着込んで廃屋の二階から石炭ストーブのある一階へと階段を足早に降りた。すると、ストーブの前で先輩が厚手のアノラックと呼ばれる防寒具をまとって座ったまま寝ている。「じゃあ、先に行くよ。」と僕が先輩に声をかけると、先輩は目を覚まして僕の方を振り向いた。僕はその顔を見た途端、思わず吹き出さずにはいられないかった。先輩の顔は不完全燃焼をおこした燃えにくい石炭のすすで真っ黒になっていた。「先輩、危ないよ。そんなことしてたら!」僕は笑いながらも彼の身の危険を案じた。先輩は「大丈夫、この家は隙間だらけなんだから、決して一酸化酸素中毒になんかならないよ。」と答えた。 山の好きな彼、そして海の好きな僕、自然に魅せられた一風変わり者の医学生たちがそれぞれの目標に向かって、極寒の地、美瑛である時期生活をともにしていた。

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