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1.4 医療としての「美」,美意識としての「美」

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美容外科医の父・フルニエの「美しさとは何か?」

 
1980 年代,フランスのパリでは多数の著名な美容外科医が開業し,美容整形の 在り方をめぐって最先端の個性と流行を競い合っていたが,中でもパリ中心部で開 業するフィリップ・フルニエは,美容外科医の立場から具体的に「美」を論じ,美 を求める女性たちの願望や理想と向き合い,双方の出合いの場所を模索した「現代 美容外科の父」と呼ばれる名医である.
フルニエ博士は美容外科医の理論的中枢であったばかりでなく,脂肪吸引の安全性を高めた器具の開発者の一人であり,ケミカルピールの向上にも貢献し,現実的な手法の取り組みの上でも改革者として異彩を放っていた.
 
以下はフィリップ・フルニエ博士の「美容外科と美」を主題とする代表的な論文の翻訳である.フルニエ博士の指導の下,主旨を損ねない範囲で日本語表現に置き換え,私なりに解釈を施した「超訳」で,美容外科医の立場と美についてまとめてみた.
 
美容外科医の場合,手術技術の修練もさることながら,〈美しさとは何か〉を掌 握しておくことも非常に重要である.「美は治療に先立つ存在である」と言ってよ いだろう.いかに技術的に卓越していても,その結果が美容外科医の持つ美しさの 概念やバランスから逸脱したり,患者の想いや望みとすれちがいが生じたり,ある いは受け入れられないというものであれば,その治療結果は決して成功したとは言 えない.
したがって,美容外科医は精緻な治療技術に卓越していると同様に,「美とは何か」 をイメージする芸術的な感覚を習得し,絶えず論理的に美を追究し,患者と向き合 う人でなければならない.
 
 
 
「健やかさ」と「美しさ」の定義
 
WHO(世界保健機構)では,健康の定義について「病気でないとか,弱ってい ないということではなく,肉体的にも,精神的にも,社会的にも,全てが満たされ た状態」としている.「健康と疾病」は,静的に固定された別々の状態ではなく,連続したものであ り,人間の尊厳の確保や生活の質を考えるために必要な本質的なものだと言うので ある.こうした考え方は現在のところ,世界共通の認識・定義となっているが,古代の 人々はどのように考えただろうか.ギリシャの哲学者プラトンは,健康とは沈黙の 臓器であると定義したが,これはありていに言えば,「健康は目には見えないもの」 という意味であろう.
 
プラトンは,「美」について,「健康の後に位置するもの,富よりも重要なもの」 とも言っている. また,これも古代哲学者らしく深遠な言い方で「最も大切なのは健康で,美は二番目に大切なもの,そして物欲よりは上位にあるもの」とも言っている.
要するに,「美」はこの現実を超えたとらえにくいもの,崇高にして神秘的なもの, と解釈して差し支えないだろう.
しかし,われわれ美容外科医の現場にあっては,「美」は現実を超えたとらえに くいものであってはならない.美はこの手の中でとらえられる明白なものでなくて はならないのである.望みや好みはさまざまだから,時には「健康よりも美を上位と考える人」もいるかもしれないし,実際にそういう願望を突きつけられる危いケースも無きにしも非ずである.
 
しかし,医師としてはどんな場合も健康を損ねない範囲で,「明白な美」を追究 しなければならない.健康と美,「健やかさ」と「美しさ」は,われわれ美容外科 医の現場ではどちらかが上位ではなく,「同等の価値」として存在することが原則 である.
 美容外科医が参考とする症状・治療等に関する優れた研究・テキストは,いまや世界中に数多散在しているが,一方,不思議なことに「美容外科医の美学」として発表された論文や研究成果を寡聞にして私は知らない.それは,美容外科医の美に関する教育・研究が十分に行われていないことを側面 的に物語るものだろう.それは美容外科医に問題意識のせいばかりではなく,「美」 がもともと移ろいやすく,とらえがたいものだからである.
 
「美」は制度や概念や因習ではなく,いまそこにあり,生きて動くものである. 無数の姿・形となって瞬くものである.
いろいろな人たちに「美の所在」について訪ねると,さまざまな答えが返ってくる.その多くが満足のいく「完全な返答」にならないのは,美が一つの正解を得たとしても,すぐにそこからこぼれ落ちるような多様性のあるものだからである.
 
したがってここでは,「群盲象をなでる」という古い教えを逆手に取って,美容 外科の現場から見た〈美の断片〉について,実感的に,実践的に,われわれの思索 を展開してみたいと思う.とらえがたい崇高な美ではなく,いまここにある,見て ふれることの出来る美の話である.
 
私の体験では,美容外科医として「美とは何か」という問いにふれるためには, 心理学的に接近することが,一つの有用なアプローチであった.つまり治療の現場 で対等に向き合った際,その人の求めを理解するように努め,患者たちが感じて取っ ている「美」について共感しようと接近することが,一つひとつの私の「美」に接 近する具体的な手がかりだったのである.
患者の望む「美」というものに心理的に接近し,共感することが,「美の希求」にふれる美容外科医としての私の立場だったと換言してもよいだろう.
 

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