美容外科の歴史-1

2013年08月31日

美容外科の歴史を紐解くと、最初の整形手術は紀元前1500年頃、インドで造鼻術が行われたという説がある。当時のインドでは刑罰として"鼻そぎの刑"というのがあったらしいが、そのそがれた鼻を元に戻すために額の皮を移植して鼻形成したという歴史が残されている。時を隔てて近代では、1845年にドイツのディーフェンバッハがユダヤ人に特徴的な鷲鼻を、当時美しいとされていたギリシャ・ローマ人のような均整の取れた形にする鼻形成術が行われていたらしい。

 

我が国の美容外科技術は、昭和初期にヨーロッパから導入されたといわれるが、その技術は第二次世界大戦で負傷した兵士たちの治療に大いに役立ったと言われる。また逆の見方をすると、この戦争による負傷者の治療成果が我が国の美容外科の大いなる発展に貢献したとも言える。戦後日本の美容外科で先駆者的な役割を果たしたのが、総合病院の形態をとりながら多くの美容外科手術を求める患者を治療した十仁病院である。

 

だが当時の美容外科医療は手探り状態で行われており、その中でもパラフィン製剤を用いた豊胸治療等による後遺症などが後年社会問題となり、1956年に東京大学整形外科の特別診療班として形成外科が発足した。そして形成外科は1972年に厚生省から標榜科としての認定を受けた。尚、美容外科に類似する美容皮膚科や美容内科はクリニックが独自に用いている例もしばしば見受けらるが、これらの名称は標榜科としての正式な認可は認められていない。

 

一方美容外科は1978年、十仁病院初代院長梅澤文雄による政治的な強い働きかけにより、標榜科認定を受けたといわれる。そしてこの頃を契機に、美容外科は社会的認知度を急速に広めた。その後美容外科は、一党一派にとらわれることなくさまざまな診療科から美に対するあくなき情熱を有する医師を広く受け入れ歩み始めた。

 

その後我が国は高度経済成長時代を迎え、国民生活が豊かになるとともに我々一人一人の美意識も向上していった。つまり、外見的美しさを獲得するための美容外科医療は、右肩上がりの社会とともに発展していったのである。そして美容外科の老舗、十仁病院から多くの美容外科医を輩出され、美容外科を標榜する開業医が次第に増加していった。

 

当時東京や大阪など、大都市のみで展開していた美容外科医療であったが、テレビ・ラジオなどのマスコミ媒体の急速な発展により、この医療は都心部のみならず、日本全国にこの新しい医療の存在を知らしめることになった。そしてこの医療のビジネス価値をいち早く知った医師の中からは、全国チェーン展開する新手の美容外科クリニックも誕生し、瞬く間に拡大していった。

 

だがその一方で、確実な技術を有すことなしに強引な手術を行ったことに起因する医療トラブルが増加し、社会問題になり始めた。また、治療を提供する医師側の明らかなモラル欠如と思われ金銭や女性関係にまつわる刑事事件なども発生し、この医療の評判を下げる結果となった。そして人々が、美容外科医療に対して他医療とは一線を画した印象を持ち始めたのも、人を救うという医療の本来あるべき姿から大きく逸脱する例が跡を絶たなかたからだろう。逆の見方をすると、モラルが欠如した医師でもすぐに美容外科医の仕事に従事出来るほど、当時は美容医療が需要過多となっていたのだろう。

 

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