クリニックが落ち着いた現在、僕は月に1度ほど、生まれ故郷の北海道に戻るようにしている。この時期としては珍しい晴天の休日、実家の近所では一家総出で漬け物用の大根を干したり、もうすぐやってくる冬の前に庭の木々囲いなど、のどかな光景が見られた。
普段、僕は東京のど真ん中で現代文明にどっぷり埋もれた毎日を送っている。こういった生き方が、人間にとって望ましい生活だとつい最近まで信じていた。だが、本当は僕のような都会生活は特殊であり、今でもほとんどの日本人は自然と共存しながら静かに生きていているし、そのほうが人間にとって望ましい生活なのだと思う。
たとえば、札幌近郊ではこの時期、2メートル近いヒグマが山沿いの至る所に出没している。このところの天候異変のせいか、ヒグマが冬眠前に食べるドングリなどの木の実が不足していて、普段暮らしている山奥から食物を探しに街近郊まで出てきているのだ。
ヒグマは時として人を襲い、殺すこともあるどう猛な面を持っていて、ヒグマ出没地域は厳戒態勢だが、逆に見ると、北海道はまだこんな大自然が残された、かけがえのない場所の証拠でもある。紅葉と冷たくさわやかな空気に覆われた山中を、僕はマウンテンバイクで走り抜けたが、これ以上の気持ち良さはないと思えるほど感動に包まれた。
現代社会で我々に多大な影響を与え続けるテレビなどのマスコミ媒体は、残念ながら自然と共存する静かな生活を軽視している。その代わり、拝金主義に陥った派手な生活にばかり脚光を当て、そういった生活こそ価値があると我々に勘違いさせている。
我々が健康で幸せな人生を送るのに不可欠なものは、お金では買うことの出来ないきれいな水や空気、そして緑など自然の中にあることにそろそろ気づくべきだ。幼少時代から北海道で育った僕は、そういった自然の大切さに東京暮らしが10年を越えた今、ようやく気がついた。
Posted on | 11月 1, 2011 | 2 Comments
僕がはじめてアップル・コンピュータと出会ったのは、医学部を卒業して大学院に入学した頃だから、今から20年近く前のことになる。理系なのに数学やコンピュータサイエンスが苦手だった僕は、当時のMS-DOSの使い方がちんぷんかんぷんで、いざパソコンを使おうとしてもどうして良いか分からず、途方に暮れていた。そんなとき、たまたま大学院の先輩がアップル・コンピュータを持っていたのだが、このコンピュータを見たとき、”これであればコンピュータ音痴の僕でも使える!”と直感し、早速手に入れた。
アップル・コンピュータの当時のキャッチフレーズは、”What you see is What you get(画面上のアイコンで操作可能)”から分かるように、当時の難解なMS-DOSを知らない初心者でもすぐにこのコンピュータであれば使うことが出来た。当時スティーヴジョブ氏は、彼自身がコンピュータの専門家ではなかったので、誰でもすぐ使えるコンピュータの開発にこだわったらしい。
アップル・コンピューターの使い勝手の良さは言うまでもないが、そのデザイン性も卓越しており、無駄が一切省かれ、このコンピュータの裏側さえも美しい。スティーヴ・ジョブ氏のデザインへのこだわりは並大抵ではなかったらしく、コンピュータ内部の無駄すらも一切排除したため、これほどまでコンパクトで美しい製品が完成されたのだろう。
その一貫した姿勢は、最近大人気のiPod、iPhone、iPadにも受け継がれており、アップル製品は彼のおかげで世界中で愛されるようになった。そんな偉大なスティーヴ・ジョブ氏だが、数年前から膵臓がんに冒され、つい先日帰らぬ人となった。
日本人の僕ですら、彼がこの世を去ったことを知って大変ショックを受けたのだから、米国人たちの彼への喪失感は甚大で、今世紀を代表する偉人の一人を失ったと認識しているらしい。スティーヴ・ジョブ氏の徹底したこだわりによって産み出されたアップル製品は、これからも我々に愛され続けるであろう。
彼のような偉人は、たとえこの世を去っても我々の中に生き続けると思う。我々は彼のような不滅の人を偉人と呼ぶのではないだろうか。スティーヴ・ジョブ氏の冥福を心よりお祈りしたい。
http://www.youtube.com/watch?v=OaMT8fZpEXA&feature=related
Posted on | 10月 14, 2011 | No Comments
今から約10年前、ニューヨーク・マンハッタンに、脂肪吸引や豊胸などで有名なで、常にマスコミに引っ張りだこだったある開業医がいた。僕の米国出身のある友人はテレビ出演で知ったこの医師を訪れ、下腿を太く見せるシリコン・インプラント挿入手術を受けた。
だがその後間もなくすると、片足が思わしくなくなり、炎症や痛みが出現した。上半身に比較すると、下半身の血流は悪く、シリコン・インプラント等の異物を挿入すると、”蜂窩織炎”と呼ばれる下肢全体に波及する感染症を起こすことがある。
当時彼はエクスパットと呼ばれる超一流の株トレーダーだったが、結局左足に炎症を抱えたまま日本に戻ることになった。彼は日本からすぐにこの医師に連絡をしたが、なんとこの医師は多忙を理由に友人の連絡を無視したのだ。
途方に暮れた彼は、日本の友人の紹介で僕の元を訪れた。僕は自分のクリニックで彼の治療を行うのはいかがなものかと悩み、とりあえず某大学病院に紹介することにした。だが彼はその大学病院を受診直後にメールで「その大学病院では投薬以外何も処置をしてもらえず大変失望している」との訴えた。彼の話では「担当医は自分が外国人で日本では行わない特殊な治療をしていることを理由に治療を拒否した。これは差別だ」と述べた。
だが彼の症状を診察すると、投薬のみで解決する状態ではなく、抗生物質の点滴静注と感染部位を切開して、ばい菌を排出するドレナージ治療が必要なのは明らかだった。大学病院で治療拒否されたのであれば、僕が治療を引き受けざるを得ず、僕が治療を行うことにした。その後彼の足は完治し、これを契機に僕は彼と無二の友人となった。
それから10年余りの歳月が経ったが、最近になってこの友人から治療を行った米国人外科医のその後の話を聞いた。この医師は数年前、ボディビルダーが使用するステロイドホルモンの管理不行き届きで医師免許を剥奪されたとのこと。米国では医師の薬剤不正使用には厳格な処罰をすることで有名である。
この医師が僕の友人にとったような無責任な診療態度が原因で、彼の運気は次第に下がり始め、最終的に医師免許を失う結果になったのではないだろうか。医師資格を失った彼はその後西海岸に移り、トレーニングジムトレーナーとして再スタートを切った。だが彼はニューヨークの花形医師として活躍した過去の栄光を忘れられなかったのか、ジムトレーナーとして働くうちにうつ状態に陥ったらしい。
たとえ再スタートを切ったとしても、過去の栄光にしがみついていてはいつまでたっても日の目を見ることは出来ず、こういう状況では運気は下る一方となる。何があったかしらないが、ある日彼は自分の妻を射殺した後、自分のこめかみを打ち抜いて自殺した。
嘘のような話だが、動物性肉を常食とし、薬物を常用する白人社会ではこのような衝動的犯罪が発生することがある。(動物性肉摂取量と犯罪率は相関性が示されている)こういった事例からわかるように、我々は謙虚さを失った途端、運気(波動)が下がり始め、そのまま反省せずにいるとこの米国人医師のような悲惨な結果に陥ることが少なくない。
逆に謙虚さを持続していると、万一物事が思わぬ方向に向かったとしても、すぐにその誤りに気がつくので、早期に軌道修正可能となる。僕が今日までさまざまなことを経験しながらやってきたのは、この重要な事実を知るためだったと言っても過言ではない。
(Burce Nadler 医師の記事)
Posted on | 10月 5, 2011 | No Comments
外科医に不可欠な良運気
外科医の運気が下がると思わぬ問題に遭遇しかねない。僕の場合も、過去のある時期、度重なる困難に遭遇し始めた。その原因は何だろうと思い起こしても何一つ思い当たらず、頭を悩ませた。自分の調子の落ち込み様を自覚しているにもかかわらず、そこから抜け出せずにいるのは予想以上に大変だった。その原因をもう一度ここで検証してみたい。
僕が7年前に開始したレーザによる目の下のたるみ治療が大好評を博した。それまで目の下のたるみ治療は皮膚切開を用いて行われていたため、多くの患者さんが治療に踏み切れずにいたのだろう。開業してしばらくするうちに、1日6〜7件の手術予約が4ヶ月先まで埋まるようになった。それ以来、手術に追われる毎日が続いたが、当時の僕は一例でも多くの手術をこなそうと躍起になっていた。気がつかないうちに疲労が蓄積し始め心身ともに疲弊してしまった。
疲労困憊した心身とともに運気も低下し始め、ネガティブな事象(エネルギー)を引き寄せ始めたのが度重なる困難に遭遇した主な原因だったと思われる。どの業界でも人気急上昇、いわゆる”ブレイクすると、その後は何かをきっかけに人気にかげりが生じるのが世の常だ。僕のクリニックもこのブレイク状態は2006年初頭に始まり、2008年のリーマンショックを契機にして終焉に向かった。
健全なビジネスとは、一瞬で燃え尽きる炎のように”ブレイク”するのではなく、炭が長時間燃え続ける如く、”ブレイク前状態”を維持することである。つまり、目先の利益を追うのではなく、長期展望を持ちながら、現状維持させることが本当の成功なのだ。この重大な事実に気がつかず、むやみやたらに仕事をしていたため、その代償として運気低下、憂鬱感や焦燥感などに苛まれたのだった。
挙げ句の果てに、何のために仕事をしているのかわらない、いわゆる”本末転倒”に陥ってしまったのだ。だがしばらく悩んだ後、その原因に気がつき考え方を改めた結果、次第に僕の運気は軌道修正し始めた。現在は憂鬱感からも解放され、楽しく充実しながら仕事ができるようになり安堵している。次回は僕以上に運気の低下した米国人外科医の話を述べたいと思う。
Posted on | 9月 13, 2011 | No Comments

どこまでも続く万里の長城の基で
実年齢とは字の如く、いくつ歳をとったかという年齢だが、生物学的年齢とはその人間の肉体や心の年齢を表す。一般的に実年齢と生物学的年齢は一致するが、各々の個体差(遺伝子の違い)や生活習慣の差異によって一致しないことがある。
実年齢より若く見えたり老けて見えたりするのは、この生物学的年齢の差による。一般社会では実年齢を重んじるが、現実的には生物学的年齢のほうが重要である。何故なら、何歳になっても心身ともに健康でいてこそ充実した人生を送れるからだ。
我々は実年齢の若さにこそ価値があると思い込み、社会全体で実年齢の若さをもてはやす。 だが、実年齢が若いと言える時期は20代までのほんの一時期に過ぎず、その時期に固執しても幸せは得られない。この固執は自分たちが失ったと感じる若さへの羨望から生じている。
実は我々の心身は正しい生活習慣、適切な美容医療の活用、積極的な生き方などを日頃から取り入れると、簡単には老化しないように出来ている。たとえば、我々の肉体は実年齢とともにすべて老化してゆくように思えるがそうではない。放置しておくと実年齢とともに老化するのは皮膚に過ぎず、筋肉、骨格、脳などは実年齢とともに老化はしない。
皮膚が老化する主な原因は日光の紫外線、喫煙、体内に入る有害物質等の影響によるもので、こういった有害因子を取り除けば、皮膚の老化も食い止めることが出来る。その証拠に研修医の頃、ウイルス性脳炎で幼少時から寝たきりのまま40代となった患者さんを担当したことがあるが、この患者さんの皮膚はまるで10代のようであった。それはこの患者さんの皮膚が日光や有害因子に暴露されることなく40代を迎えたからである。
骨、筋肉、脳などの部位は普段から活用していれば、70~80代であっても年齢に比例して衰えてゆくことはない。僕が大学院生時代に病理学教室に所属していた頃、病気で亡くなった方々の病理解剖を行った。その際、皮膚内側にある筋肉などの臓器は何歳になっても衰えておらず、若年者のそれとほとんど変わらないことに驚愕したことを新鮮に憶えている。
つまり老化の本当の原因は、”我々が実年齢とともに老化する。”といった偽りの暗示にかかり、老化を予防する努力を怠っていることに他ならない。また、我々は”病気になって死を迎える。”といった恐ろしい暗示にも捕らわれているが、これも重大な偽りである。実は”老化=病気”の公式があり、老化を食い止めることが病気を予防することになる。
僕自身そういった努力を30代後半から開始した結果、40代中半を迎えた現在、世の中でイメージする40代半ば実年齢と生物学的年齢が解離し始め、いわゆる”年齢不詳”のような状態になってきた。僕自身がアンチエイジング医療を実践する者として”生き証人”になりたいと思っている。
Posted on | 8月 27, 2011 | No Comments

北京大学医学部附属病院外来前にて
先週末出張で北京を訪れた。真夏の北京は猛暑で街に降り立った途端、汗が噴き出した。今回訪中の目的は、北京で近い将来始まるであろう抗加齢医学への協力を求められて、その関係者たちとミーティングを行うためだった。
僕が中国で具体的に美容医療を実践する際に必要となるのは中国医師免許なので、今回はその試験官である北京大学医学部附属病院形成外科教授と面接をした。附属病院の会議室に着くと、白衣に身を包んだ総勢40人ほどの医師たちが症例検討会を開いていている真っ最中だった。
医師たちの症例検討会が終了すると、僕に同行した中国語通訳者からいきなり僕の発表を求められた。これまで中国や韓国の学会で多くの発表を行ってきたので、発表自体はそれほど苦手ではないが、このようにいきなり発表するのは初めてで僕は当惑した。
何故なら1時間もの発表時間を割り当てられていたこと、また発表は英語で行うつもりだったが、彼らがどの程度英語を理解出来るの皆目検討がつかなかったからだ。なんとか発表を終えてほっとした途端、僕の発表への質疑応答が行われた。その際教授、助教授は米国で長く留学経験があったらしく、流ちょうな英語で僕に質問を浴びせかけたてきたので、僕は自分の発表通じたことに安堵した。
午後は中国共産党の、いわゆる官僚の一人と面会した。共産党国家の中国では公務員、そしてその中のエリートである官僚の権力は絶大らしい。もちろん官僚にまで上り詰めるには並々ならぬ努力とその人間の能力が必要となる。僕が面会した官僚もその能力を証明するかの如く活力に満ち溢れていた。
中国では秦の始皇帝が不老不死の薬を求めて世界中を探し求めたように、アンチエイジングに対する関心は日本以上に強い。そのため美容医療需要も非常に多く、美容系クリニック等が乱立し始めている。
特に北京のような大都会ではその傾向が強いらしく、最近になって医療事故が増え始めているとのこと。そこで医療関係の官僚たちが昨年あたりから美容医療の法制化を進めているらしい。
夜は北京の友人たちが食事会を催してくれた。食事会は豪勢な中華料理をご馳走になったが、男性は僕一人で残りの5人のお客様はすべて女性陣だった。だがこの女性陣たちは社会的成功をおさめた女性社長で、この国では女性が男性と方を並べるか、それ以上に活躍しているらしい。
日本では遭遇しないこのような機会に幾分戸惑ったが、彼女たちは僕の大切なお客様でもあるので、楽しい時間を過ごすよう努力した。近い将来、間違いなく世界を牽引してゆくであろう中国と、出来るだけ仲良くすることが日本の生き残る道のような気がしてならない。そんなことを感じながら酷暑の北京で数日を過ごした。
Posted on | 8月 10, 2011 | No Comments

沖縄中部のビーチ
外科医の生きる道
美容外科を専門にしている僕は、来る日も来る日も手術をしながら日々暮らしている。このような生活を10年以上続けていると、手術がない日は拍子抜けしてしまうほどだ。僕のクリニックは週休2日で営業していて、友人たちには休日に何をしているのか良く聞かれる。普段の生活が非常に集中力が要求されるので、正直休日は特に何もせず、リラックスするよう極力努めている。
つまり僕の生活は手術が仕事であるとともに生き甲斐(趣味)でもある。手術を極めると、それ以上の達成感や充実感を感じる経験はなくなってしまい、他のことにあまり興味がなくなってしまう。”好きこそものの上手なれ”ということわざがあるように、人の身体や命を直接預かる外科医は、その生活の中心が手術であるべきなので、ようやく僕もこの道のプロ領域に達したと自負している。
外科医の仕事で最も大切なのは、その手術結果が常に正確で安定していることに他ならない。外科医は手先が器用かどうかなどの向き不向きあり、その道を目指す誰しもが必ずしも生き残れるわけではない。外科医療は一流外科医を目指す多くの医師が日々競争しながら、能力のある者のみが生き残れる険しい道でもある。そして選ばれた外科医は、数多くの症例経験から確実な技術を体得し、その結果として安全で確実な治療結果を出し続けるようになれる。
運気の正体
このように優秀な外科医には才能、集中力、そして多くの症例経験が必要不可欠だが、もう一つこれらの要素と同様に重要な要素がある。それはいわゆる”運気”を高める、もしくは運気を良好に維持することである。そもそも運気とは何であろうか?それはこの世界におけるすべての事象は波動から出来ていて、物質、光や音、そして運気もすべて波動から成るといった、いまだ現代科学では解明されていない話である。
つまり運気にも振幅数や波長の違いによるエネルギーの差異があり、音でいうと綺麗な和音のような状態が良い運気、そして耳障りな不調和音のような状態が悪い運気ということになる。ようやく最近になって、量子(クォンタム)理論と呼ばれる最先端物理学で波動なるものが具体的に解析され、このエネルギーが万物の根源であることがわかり始めた。
だが運気などは我々の五感で察知しえないので、論理的に物事をとらえる人たちにとって、その存在を頭ごなしに否定するだろう。だが我々は人類が誕生して以来、運気の存在を無意識に自覚している。その証拠にお祈りや信仰、占いなどは我々が運気を高めるために最も大切なものとして、人種、国境の壁を越え世界中で尊重され続けているのだ。
Posted on | 7月 23, 2011 | 2 Comments
新橋の十仁病院に勤務しながら4年が過ぎ去った頃、そろそろ独立して自分の理想とする美容医療を展開したいと思うようになた。それは今から6年以上前の話だが、当時の銀座にはすでに多くの美容外科が存在しており、新規開業してもうまくゆくかどうかはわからなかった。
周囲の医師たちは、当時の銀座で開業するのは自殺行為に近いと言われた。そんな中僕は挑戦することに価値があると信じ、開業を決行した。幸運なことに2005年の開業時、日本の景気は上向で、その追い風を受けて、2008年のリーマンショックが訪れるまで多忙な毎日を過ごした。だが開業にあたって、多額のお金を借り入れたこと、職員給与、家賃、家賃などの経費等、つい最近まで常にお金の心配、いわゆる”経営者の苦悩”が常につきまとった。
したがって、日々の売り上げを意識しながら診療を継続せざるを得なかったわけだが、最近になって借入金はすべて完済し、まるで足枷から解かれたように気持ちが楽になった。そもそも医療は人命救助、痛みなどに苦しんでいる人たちを助けるためのものであり、お金儲け優先に行う行為ではない。
しかし借金返済やクリニック経営維持に関する不安や悩みがある時期は、売り上げ維持にやっきになっていたことを認めざるを得ない。医療行為は常に100%の結果が得られるとは限らない。症例によって、治療後の再処置が必要な場合もある。美容医療ではそういった場合、高額な治療費をいただいたているので、再治療は原則的にその保証範囲内で行うべきであった。だが売り上げ優先で診療を行ってい時期は、再治療料金すらも売り上げの足しになるように考えていた。
インターネットで成功症例を提示して患者を誘導している以上、治療にお越し頂くすべての方々が、同様の結果を期待して治療を受けている。仮に治療結果が完全でない場合、真摯な姿勢で対応すべきだったが、売り上げ重視で診療をしていたため、不満をもたれることもあったことを認めざるを得ない。
美容治療に満足した人が、もし他の人一人にそのことを伝えるとしたら、不満足な人は10人にその不満を言うのが世の常である。つまりどんなに一生懸命診療をしても、不満足な人を増やせば、10倍返しでクリニックの評判を落とし、自らの首を絞める結果となる。
だがどんなに確立された医療技術でも、それを受ける患者さんの状態によって、その結果にぶれが生じるのが事実が存在する。肝心なのはそういった場合でも不満を感じさせることなく、最終的に良好な結果へ結びつけることなのだ。残念ながら、売り上げ優先に治療を行うとクレーム患者が増加するのは避けられない。だが、経営面に不安なく治療を行えるようになった当クリニックは、今後治療にお越し頂いたすべての方に満足していただける下地が完成した。
売り上げ優先ではなく、人の幸せを最優先し、そのためにはボランティア精神を惜しまずに診療することが何より大切なのだ。この姿勢がクリニックの信用を獲得し、本当の安定経営に結びつくことに僕は気がついた。過去にさまざまな経験をさせていただいたお客様への感謝の気持ちを忘れずに、今から本当の医療を目指してゆきたい。
Posted on | 6月 25, 2011 | No Comments

北京の友人の招待で中国最南の島、海南島を訪れた。北京から空路で四時間と、北京-
東京間よりも遠方で、ベトナム、ハノイやハワイと同じ緯度にある常夏の島だ。こういったリゾートを訪れる人々の目的は、日常生活からかけ離れた大自然の中で気分転換をするためにある。
海南島のリゾートホテルもバリやハワイなど一流のリゾートとほぼ変わらない豪華な作りだった。 ハワイ、マウイ島などを訪れると、人口密度が少ないせいか、自然が圧倒的で人々の生活感を感じさせないほどだ。だが海南島はあくまで人口過多な中国のリゾートなので、それ以外の市街地には通常の暮らしがあり、リゾートとは正反対の生活感が漂っていた。
友人たちとプレジャーボートを借りに市街地の港に行くと、そこには木造の漁船が所狭しと停泊していた。その船内を覗くと、いわゆる”ボートピープル”が船上生活していた。日本では信じられない光景だが、中国では今でもこのような生活をしている人々がいる。
問題は人間の生活に伴う汚染の問題で、便や生活排水はすべて港に垂れ流していた。そのためか、港の海水は茶色く濁っており、港一体には汚臭が漂っていた。港を離れて沖へ向かうと、海の色はエメラルドグリーンに輝いていたが、そのあまりの差に驚きを隠せなかった。
中国や韓国を訪れて常に気がかりなのがトイレの衛生観念だ。日本に比較するとこれらの国々のトイレは、常に清潔とは言えず、しばしばアンモニア臭が漂う。繁華街の市民レストランなどでは、水回りを一緒にするためなのか、トイレと厨房を同じ場所にしている場合もある。つまりトイレのアンモニア臭が漂う中で。食器を洗う場合も少なくない。
日本人との感覚の違い、便尿など体から排出されるものは汚くないと認識しているのだろうか。東京の場合、水洗が完備されていて駅のトイレなどを例外として、どこでも嫌な思いをせずに用を足せるのは非常にありがたい。自然と普通の生活感が混在した海南島は、人々の意識が洗練化されてゆくとともに、中国の一流リゾートとして将来成長してゆくであろう。
Posted on | 6月 9, 2011 | No Comments

中国海南島、植物園にて
随分前、僕は北海道のある街で研修医をしていた。その頃、年齢が一回り以上離れた看護学生たちが病院に住み込んで働いていた。彼ら、彼女たちは高校卒業後、准看護師資格を取得するため、朝晩病院に勤務しながら、日中学校で勉強していた。普通であれば勉強そっちのけで恋や遊びに夢中になる高校卒業後間もない若者たちにとって、仕事をしながら勉強するのはとても大変なことだった。
そんな彼ら、彼女たちの学校に、時々整形外科の講義をしに僕はでかけていた。その中の学生に人一倍お転婆な女子学生がいた。彼女は授業中も学校の後、遊びに行くためのお化粧をしているか、さもなければ徹夜で遊んだ疲れのせいか、講義中も居眠りしているかどちらかだった。
真面目に授業を聞く学生よりも、こういったお転婆な学生がより印象に残るのもので、この学生さんの将来がどうなるのか、僕は人ごとながら心配だった。この学生さん、高校でもほとんど勉強していなかったようで、教科書を読ませてもその中の漢字すらまとめに読めなかった。この学生さんは僕の勤務していた病院に住み込みで働いていたが、夜も門限までに戻らず、すぐに病院でも問題児に成り果てた。どうなることかと思いきや、やはり学校で進級できず、落第してしまった。落第がショックだったのか、准看護師になるこをあきらめて結局学校を辞めてしまった。
彼女は典型的な落ちこぼれケースで、一般社会はこういった学生には救いの手を伸ばさず、落第者の烙印を貼ってしまう。だからこのような経歴の人間がまともな就職しようとしても、ほとんど不可能に近い。ではこの女子学生さんは一生社会の落伍者として負け犬の人生を暮らさなければいけないのだろうか?
彼女が病院も学校も辞めてしばらくしてから、風の噂で彼女はいわゆる”夜のお水の仕事”を始めたことを知った。当時の彼女のお酒の飲みっぷりやそのノリからその世界では成功するだろうと想像したが、案の定、彼女はすぐに頭角を現し、いわゆる”ママさん”にまで上り詰めたらしい。
僕が10年前に上京して以来、北海道の仕事仲間たちとの連絡は次第に途絶え、その後彼女がどうなったかは全く知らなかった。だが彼女の学生仲間の一人が最近になって僕に連絡をしてきたので、あの時のおてんば学生さんがその後どうなったかを尋ねた。予想では夜の世界で活躍しているだろうと思った。だが予想と反して、お水の世界からすぐに足を洗って結婚し、一児の母となりながら再度準看護学校に入り直し、准看護師になった。その後彼女はさらに上を目指し、数年前に正看護学校に入学し、この春見事正看護師になったらしい。
漢字も読めなかったはずの彼女は自力で立ち直ったからたいしたものだが、一般的には20代そこそこの経歴で”だめ人間”のレッテルを貼られたが故に、伸び悩んでしまった人間も少なくないはずだ。このように世間は無限の可能性を持つ人間の芽をいとも簡単に摘んでしまう。
我々成長した人間は若者の芽を摘むのではなく、育てる努力を惜しまないことが全うな社会のあり方だと思う。 若い時から出来の良い、いわゆる”お利口さん”を見つけることに躍起しても、そんな人間がいるはずがない。たとえいたとしてもそれは見せかけで、意外に根性がなかったりするものだ。だから僕のクリニックでは学歴不問で、ただガッツのある人間を採用するようにしている。通常の診療のみならず、将来の日本を担う若者たちを育てることも僕に与えられた使命だと思っている。
Posted on | 5月 18, 2011 | No Comments