GINZA CUVO

2012年12月アーカイブ

1999年のノストラダムス世紀末予言の後、今度はマヤ歴終焉説が話題となっていた。宇宙に関する卓越した知識を有していたとされる古代マヤの人々が、2012年12月21日にマヤ人の暦が終了するので、我々現代人たちはこの日が世界の終焉を意味するのではないかと危惧したのだ。このマヤ歴終焉と世紀末を絡めた天変地異の映画等も放映されたせいか、この事実を知る誰しもが心のどこかに一抹の不安を持ちながらこの日を迎えたに違いない。

マヤ歴終焉に関する情報は、テレビなど一般メディアで広がらなかったものの、ネッでは無数の情報が掲載されていたようだ。そして中国では、ある新興宗教団体が世界終焉を口実に、信者たちから財産をだまし取ったとして詐欺告発を受けたようだ。また西欧の現実的な人々は、12月21日の天変地異に備えてシェルターなど、安全な場所に避難した人たちがいたらしい。


ところマヤ歴終焉に関する日本人の反応は至って冷静で、こういった非科学的な噂を按ずるより、明日の我が身の方が心配というのが一般的だったようだ。僕も数年前、初めてマヤ歴終焉説を知って以来、何故かこの予言にある程度の信憑性があるような気がしてならなかった。その日以来、この予言を常に頭の片隅で気にしながらこの日が来るのを待っていたのだ。


そしてついに12月21日はやってきたが、結局天変地異は起こらず平穏無事に過ぎ去り、いつもどおりのクリスマスや年末を迎えられた。そこでこの騒動の原因を冷静に分析してみた。2008年秋に発生した世界規模の経済ショック以降の4年間、我々の社会は出口の見つからない閉塞感に捕らわれてしまった。この閉塞感を打開する何かを期待する我々の心が、この世紀末思想を世にはびこらせる一因となったのだろう。


今回のことから我々は、外界に何かを期待しても、それが起こらなければ、その期待は時間の無駄使い以外の何物でもないことを学んだはずだ。逆に、現在の如く強い閉塞感の世の中でも、前向きに生きる揺るぎない勇気と決意を保ちさえすれば、明るい未来はいつでもどこでも切り開けるはずなのだ。今回のマヤ歴終焉は、天変地異事象の予言ではなく、新たな時代へ向けたこういった内面的覚醒へのターニング・ポイントなのではと思っている。


年末の繁忙期に突入するわずかな時間を用いて、僕は現在米国での美容外科手術に参加している。その目的は、同様の治療を繰り返し行う毎日からの気分転換と、米国で主流のよりダイナミック(活発)な手術を学ぶためだ。


僕は医学生の頃、いつか米国で生活が出来たらと常日頃憧れていた。そして大学院での博士号取得のための基礎研究を米国で行い、その夢に到達することが出来た。だがそこでは米国に憧れていた夢と現実のギャップを思い知らされることとなった。


当時の僕は日本の医師免許は取得していたものの、米国医師免許を取得していなかった僕は医師としての扱いを全く受けず、海外からやってきた一研究者としみなされ大変悔しい思いをした。米国で行った博士号取得の研究は、思いの外順調に進み、大学院3年生で終了した。そこで僕は、大学院最終学年を米国医師免許取得のために費やし、その努力の甲斐あって、こ米国免許取得に成功した。


だが日本の医師免許とは異なり、米国医師免許を取得したからといってすぐに医師として働けるわけではなく、なんとかスタートラインに立ったに過ぎなかった。日本の医師免許試験の合格ラインは60%に正しい回答をすれば、その成績の良し悪しは一切問われない。そして将来、何科を選択するかは本人の自由意思に任されており、外科を志望すると即座に外科医としての研修を開始することが可能だった。


それと比較して競争社会の米国では、医師免許試験での成績が将来の医療科目選択に大きな影響を及ぼす。それは何科を選択するかによって、所得や仕事のやり甲斐が大きく異なるからだ。米国では日本のような国民皆保険システムを持たず、民間保険に加入するか、高齢者や身体障害者、低所得者のためのメディケア、メディケイドと呼ばれる公的保険制度がある。


すなわち、米国民は、その人の生活レベルに応じた医療を享受すると同時に、医療を提供する側の医師も、外科のような専門性の高い医療に従事する場合ととそうではない場合、大きな所得格差が生じる。したがってこの国では、必然的に脳外科医、心臓外科医、整形外科医など専門性が高く、高収入で将来を約束された科目に人気が集中する。


専門性の高い外科科目を専攻するには、医師国家試験でトップクラスの成績を収める必要がある。そしてもし合格ラインぎりぎりで試験にパスしたとすれば、その時点で外科医になるチャンスは消えるほど熾烈な競争が米国の医療社会には存在する。


僕の米国医師免許試験の成績は平均的で、日本というマイノリティ(少数民族)のハンデもあり、家庭医、リハビリテーション医、もしくは感染症内科医としの選択肢しかなかった。その頃から次第に外科医の道に関心が高まり始めたころだったので、僕は米国で医師になることををあきらめ、日本に戻った。


それから15年余りの歳月が経過したが、現在、自国で外科医として達成感を強く感じる仕事に従事することができ、当時の自分の判断が正しかったと自負している。そして今回の如く、時折米国で外科手術に参加することで過去の自分を懐かしく感じるとともに、当時米国で行った努力が無駄ではなかったと思っている。


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