GINZA CUVO

2012年8月アーカイブ

韓国鼻のライブサージェリー僕のように一人で診療やクリニック経営を行っていると、一般社会から隔離、孤立しかねない状況にある。何故なら、自分の関心や注意が常にクリニックに向き、それ以外のことに向ける時間や意欲がなくなるからだ。


だが開業医は時折、クリニック経営に関して税理士、司法書士、弁護士、そして労務士さんたちと相談する機会にも恵まれる。僕はこういった機会に、異業種分野で活躍する方々から、世の中の見識を深めるようにしている。


先日、クリニック人事や労務管理をする労務士さんが、僕に産業医資格を有しているか尋ねた。産業医とは、企業等において労働者の健康管理等を行う医師を表す。医師が産業医資格を取得するには、厚生省管轄で日本医師会が運営する産業医研修会に参加して、必要単位を取得する必要がある。


開業医が一般診療を行いながら、産業医資格を取得するために数多くの講義に参加するのは非常に困難で、僕自身もこれまでこの資格を取得できずに来た。だがこの8月のお盆期間中、1週間で必要単位が取得出来る集中講義が開催され、僕もこの機会に産業医資格を取得することにした。


この講義には日本各地から300名ほど集まったが、その中には多くの若手医師たちが参加していた。若手医師の一人に、産業医資格取得の理由を尋ねたところ、'"特別な理由はないが、一つでも資格を増やした方が、給与等の病院就職条件が良くなるから"との回答を得た。


それは上がり続ける医療費削減のため、医師診療保険点数を下げざるを得なくなっており、その結果、かつてほど医師待遇は恵まれなくなったためである。そしてこの事実に不安を感じる医師が増え始め、少しでも有利な条件を得ようと若手医師たちがこういった資格を積極的に取得しようとしているの。


僕の場合はどうだろう。外科医は永久に手術をし続けることは不可能で、集中力や体力、情熱を失ったとき、メスを置き、非外科的なことに転身せざるを得ない。僕が美容外科医を目指し、開業を考え始めたのはすでに30代後半だった。外科医療に詳しい友人から、"外科医として一番充実しているのは、35~45歳の10年間である"と言われ、即座に開業に向けて行動を起こしたことが記憶に新しい。


確かに外科医は、情熱、集中力などの精神的能力のみならず、視力などの身体的能力も45歳を境にして衰え始めるから、この友人のコメントにはある程度信憑性があるだろう。僕自身にとっても、この外科医のいわゆる"プライム・タイム(最高の時期)"が過ぎ去ろうとしている。


今回産業医資格を取得したのは、将来メスを置いた時のための準備の一環でもあった。だが、外科医のプライ・タイムが過ぎたからといって、その能力が急速に衰えるわけではなく、その間培った技術と経験により円熟味が増し、60代になっても良好な結果を出し続ける医師も少なくない。僕は手術をしている時こそ、最大の充実感が得られるので、可能な限りこの仕事を続けたいが、いつかはメスを置く時が来ることを知っておかねばならない。


大震災の後で


僕には昨年の大震災前まで、東京に暮らす仲の良いカナダ人の友人がいた。彼とは、彼が下肢感染症を起こして、当時僕が勤務していたクリニックを受診したことがきっかけで知り合った。この患者さんが元ラグビー・プロ選手だったこと、年齢が近かったことから、スポーツ好きの僕は彼とすぐに親しくなり、プライベートでも会うようになった。


それから10年近く、僕たちはともにジムに通ったり食事をしたりと、友人として多くの時間を過ごした。当時彼は証券会社トレーダーとして勤務していた。2008年のリーマンショック前まで日本の好景気に後押しされ、彼は素晴らしい業績を上げた。どうやら株トレードで成功を収めるには、発達した運動神経が必要なようで、元プロスポーツ選手の彼にはそれが備わっており、それが功を奏したようだった。


株トレードはうまく行うと多大な利益を得るが、時には数億円の損失を一瞬に出すリスクもある。そして万が一、多大な損失を出すと即刻解雇になる可能性もある、いわゆる"ハイリスク・ハイリターン"の大変ストレスの多い仕事でもある。そのせいかこの友人は会うたびに早く今の仕事を辞めたいと愚痴をこぼしていた。


昨年、大震災が日本を襲ったとき、この友人は日本に暮らす欧米人ネットワークを通して、福島原発メルトダウンと、東京への大量放射能汚染をいち早く察知した。彼は僕にも密かにこの情報を伝え、即刻東京を離れるべきと指示した。そして彼は、それまで長年暮らした日本をためらわずに去った。


昨年3月14日に福島第一原子力発電所3号機の水素爆発後の放射能汚染レベルは凄まじく、都内でも全市民が避難すべきレベルだったことが事後報告された。だが僕には開業以来、クリニックにお越し頂いた多くの患者さんに対する重大な責任が伴っていた。その時、この友人の忠告に従い東京から避難することは、極めて自己中心的だと判断した。そしてたとえ被爆したとしても、僕は東京に残るべきと決意を固めた。

2011年12月、誰もいないハリウッド。

価値観の相違


昨年末、僕は米国ロス・アンジェスルを訪れ、そこに滞在するこの友人と久しぶりの再会を果たした。彼はすでに、生涯生活に困らないほどの財産を蓄え、欧米人たちが理想とする、いわゆる"早期退職(early retirement)"を40代中半で成し遂げていた。お金を得るために働く必要のなくなった彼は、ジム通いや、自己資産の個人運用に時間を費やしながら日々暮らしていた。


開業間もない頃の僕は、この友人の如く出来るだけ早く蓄財し、さっさと仕事を辞めて悠々自適に暮らせたらどんなに幸せだろうと考えていた。だが、実際に"早期退職(early retirement)"達成した友人の姿を見て、僕はこれを人生の目的にすべきでないと感じた。


彼はすっかりお金の奴隷に成り果て、自分がいかにお金を持ちか、そして今は自由の身となったかを、暇さえあれば自慢げに話していた。僕はその話を聞いて、羨ましいと思うどころか、すぐに嫌気が差してしまった。そして彼と僕との間には、深く大きな溝が出来てしまったことにも気がついた。そもそも西洋人たちと我々東洋人たちの間には、正反対の価値観が存在する。すなわち、西洋人たちは労働を悪とするが、我々はそれを善とする、真っ向から対峙する考えたである。その証拠に西洋では、囚人の罪状として就労を課すことが一般的だ。


この友人の如く、生涯困らないほどの財を得、働かずして暮らしてゆける人生は、一見理想的に見える。だが、実際に彼と会うと、彼の内面にある種のジレンマがあるように見ええてならなかった。そのジレンマは、元来有能な彼がその才能を発揮せず、時間を浪費していることに、彼自身心から満足できない葛藤によるのではないだろうか。そしてストレスの多い株トレーダーの頃の彼のほうが、愚痴はこぼしていたものの、むしろ充実して見えた。


そもそも我々は、お金を稼ぐことを目的にこの世に生を与えらてはいない。だから、お金さえあれば人生の目的を果たしたかのような彼の生き方は、根本的に正しくないと僕は信じている。我々この世にいる本当の目的とは、何らかの使命を見つけ、それを果たすことなのだ。そして我々は、その達成感にこそ幸福を感じるように作られている気がしてならない。


最近僕は、以前よりゆとりを持ちながら仕事を継続しており、毎日そこから得られる達成感と幸福感を糧に日々暮らしている。そして、この幸せを与えてくれる仕事に感謝しながら、末永く継続することこそ、僕の生きる道だと信じている。

2011年12月、ハリウッドの空は雲一つない。

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