GINZA CUVO

2011年11月アーカイブ

[caption id="attachment_488" align="alignright" width="369" caption="北京大学医学部形成外科カンファレンスへの参加"]IMAG0143[/caption]

このような医療の中でも最も過酷な分野で働く外科医たちは、僕たちのような学生に構っている暇などなく、邪魔をしない程度に見学させてもらうのがやっとだった。そんな過酷な外科医たちの姿を見て、僕たち学生は”外科医になるのはよほどの覚悟がないと。。”と話し合ったものだ。

ある時、一人の心臓外科医がつぶやくように、”あー疲れた。こんなに大変な仕事を俺はやっているのに、他科の楽な医師たちと同等の給与だと思うと嫌になってしまうよ”と。この外科医の一言に、学生の僕は確かにあれほど過酷な仕事にもかかわらず、そうではない医師と同等の給与というのは割に合わず、明らかに不平等だと思った。

僕はそういった既存の給与体系よりも、能力主義、成果報酬と呼ばれるように、医師がこなした仕事量に応じて、給与が増加するほうがやり甲斐があると思った。結局、自分が医師となってもこの考え方は変わらず、保険診療体制よりも、能力主義が可能な自由診療に惹かれるようになった。

だが、保険診療を行っている医師の中には仕事のみにその価値を見出し、給与体系は全く気にしないといった非常に高潔な考え方をする医師もいた。この考え方こそが、人の命を預かる医師として最も尊敬すべきものであろう。

最後に

これまで述べたように、現代医療には僕を自由診療へと向けたいくつかの矛盾点が存在する。だが、医療をビジネスとして多くの人々が生きている限り、この体制はすぐには変わらなであろう。また、いくつかの矛盾点があるものの、国民皆保険制度は、多くの人々に分け隔て無く、安全な医療を提供する優れた体制であることには間違いない。

例えば米国では、医療費を支払えない患者さんは、たとえ瀕死の状態であっても病院から追い出すようなこともあるらしい。それに比べると、いかに日本の保険体制が優れているかがよくわかる。

現代人は政治や社会にすっかり無関心になってしまった。我々一人一人がもっと政治に関心を持ち、医療における矛盾点を是正しようとすれば、さらに良いシステムが導入されるであろう。その結果、医療費、税金が軽減され、より豊かな生活の実現に近づくはずだ。

近い将来、我が国ではTPP(環太平洋経済連携協定)導入が現実味を帯びてきた。このシステムの導入で懸念事項の一つが医療サービスの自由化である。米国流の民間保険制度が導入されると、これまで培ってきた保険制度が崩壊する恐れもある。

そうなると、比較的平等であった我が国の医療が、所得に応じて医療の質が異なるような不平等医療が現実化しかねない。今こそ、知らない間に我々に根付いた無関心や日和見主義を改め、一人一人が明確な意見と、それを主張する勇気を持ち、皆が幸せになれる国造りのための努力をするときが来ている。

IMG_0984僕が通常(保険)医療を離れ、自由診療を開始して10年が経過した。10年前の日本では、人口に占める老人の割合、そして国民医療費は現在ほど大きくなかった。だが、時代の変遷とともにこういった指数は次第に増加したため、現在我が国は多大な財政赤字を抱え込むこととなった。

当時、その穴埋めに行われた健康保険負担アップは1割負担から3割負担へとすぐに引き上げられた。この経験を通して僕は、国家予算における医療費の占める割合が激高している現実を知り、このまま健康保険制度の枠組みの中で医療を行うことに危惧を感じた。それと同時に、国民健康保険を用いることなく、自己負担で行う美容医療などの自由診療へ次第に興味を持つようになった。

外科研修を終了した今から10年前、僕は美容外科の老舗、十仁病院の門を叩き、それ以後僕は自由診療主体の診療を展開している。当時、自由診療の世界に足を踏み入れるのは希で、周囲からはアウトロー(無法者)のように思われたので、僕は人目を忍んでこの世界に飛び込んだのを鮮明に覚えている。だが、何故そんな逆境を踏み越えてまで僕はそうしたのか、いくつかの決定的理由があるので、今回はその点について述べたい。

1,患者数の減少:外科研修初期の頃、僕は手術症例の多い個人病院を選択した。個人病院で勤務する上で重要なのは、なんと言っても患者数の確保だった。だが、先述したように国家医療費激増の中、どんなに人気のある医師でも、患者の負担額が増えるにつれ、患者数が減少してゆく現実を見た。つまり、患者数確保に関して、医師の能力以上に国家政策の影響力が強いのでは、自分の仕事の舵取りがままならないことを意味する。それに比べると、自由診療では医師の能力がそのまま患者数に比例するので、その方がやり甲斐があると僕は思った。

2.病気があってこそ成立する医療ビジネス:保健医療に携わっていたころ、僕は薬剤会社さんたちと会食に出かけた。そこで言われた次の一言は今でも忘れない。それは「先生、なんとか風邪患者さんを増やしてくれませんか。このままでは風邪薬の売り上げが目標に達しないのです。」の一言だった。

この一言は現代医療の矛盾点を見事に示している。本来、医療は病気を減らし、我々が健康に生きるために存在するはずだ。だが実際は医療には製薬や医療機器などの収益を得ることを目的としたビジネスが密接に絡んでいる。このように国民が病気に罹患することで収益の上がるビジネスがつきまとう限り、患者さんの利益を最優先とした本当の医療を追求するのは難しいと思った。

現状健康保険制度下では検査項目を増やせば増やすほど、病院、検査会社などの関連ビジネスが儲かる仕組みになっている。例えば五十肩と呼ばれる老化性肩関節炎があるが、これは経験豊富な整形外科医だと、診察のみで十中八九その診断はつく。しかし診察のみの保険点数は低いため、収益が上がらないので、病院側はたとえ診断に不必要なことがわかっていても、血液検査、肩関節造影、MRIなど病院の収益に結びつく検査を行わざるを得ない。

だが最終的にたどりつく診断結果は、結局五十肩というのがほとんどの場合なのだ。このように非効率な医療体制では、今後我が国の医療費は上昇する一方で、我々の貴重な税金から捻出されている。これ以上財政赤字が深刻な状態になれば、明るい将来を脅かすことになりかねず、僕は医師として無意味な医療費の増加に加担しかねないことに疑問を感じはじめていた。

IMG_0941クリニックが落ち着いた現在、僕は月に1度ほど、生まれ故郷の北海道に戻るようにしている。この時期としては珍しい晴天の休日、実家の近所では一家総出で漬け物用の大根を干したり、もうすぐやってくる冬の前に庭の木々囲いなど、のどかな光景が見られた。

普段、僕は東京のど真ん中で現代文明にどっぷり埋もれた毎日を送っている。こういった生き方が、人間にとって望ましい生活だとつい最近まで信じていた。だが、本当は僕のような都会生活は特殊であり、今でもほとんどの日本人は自然と共存しながら静かに生きていているし、そのほうが人間にとって望ましい生活なのだと思う。

たとえば、札幌近郊ではこの時期、2メートル近いヒグマが山沿いの至る所に出没している。このところの天候異変のせいか、ヒグマが冬眠前に食べるドングリなどの木の実が不足していて、普段暮らしている山奥から食物を探しに街近郊まで出てきているのだ。

ヒグマは時として人を襲い、殺すこともあるどう猛な面を持っていて、ヒグマ出没地域は厳戒態勢だが、逆に見ると、北海道はまだこんな大自然が残された、かけがえのない場所の証拠でもある。紅葉と冷たくさわやかな空気に覆われた山中を、僕はマウンテンバイクで走り抜けたが、これ以上の気持ち良さはないと思えるほど感動に包まれた。

現代社会で我々に多大な影響を与え続けるテレビなどのマスコミ媒体は、残念ながら自然と共存する静かな生活を軽視している。その代わり、拝金主義に陥った派手な生活にばかり脚光を当て、そういった生活こそ価値があると我々に勘違いさせている。

我々が健康で幸せな人生を送るのに不可欠なものは、お金では買うことの出来ないきれいな水や空気、そして緑など自然の中にあることにそろそろ気づくべきだ。幼少時代から北海道で育った僕は、そういった自然の大切さに東京暮らしが10年を越えた今、ようやく気がついた。

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