GINZA CUVO

2011年1月アーカイブ

SANY0192正月休み、小中学時代を共に過ごした幼なじみたちと再会した。東京に出て10年、ちょくちょく帰省していたものの、クリニックが軌道に乗るまで心に余裕がなく、正直幼なじみたちと会いたいと思うことはなかった。だが、今になってようやくクリニックが軌道に乗り、精神的余裕が生まれ、彼らと再会してみたい気持ちになった。

僕が彼らと多感な時期を過ごしたのは昭和50年代だった。当時の日本は昭和60年代に起きた空前の好景気(バブル経済)の下支えになる時期で、誰もが経済的裕福豊をつかもうと懸命に働く時代だった。当時僕が暮らした札幌の新興団地は低所得者層向けに開発されたので、そこに集まったのは僕を含めて貧しい家庭の子供たちだった。

当時ここに暮らしていたのは、いわゆる”肉体労働者層”で、子供たちに十分な教育を与える環境とは言えない家庭が多かった。こういった家庭に育った彼らにとって、当時の日本は厳しい環境にあった。高度経済成長のあの時期、社会は学力偏重主義に陥っており、成績優秀であれば高学歴を得、高収入や将来の地位が約束されていた。

つまり成績優秀でさえあれば、学校や家庭での社会的評価が高まりもてはやされた。百に成績が悪ければ問題児として扱われたため、多感な10代前半の彼らは、いわゆる”落ちこぼれ”のレッテルを張られた。そしてその欲求不満のはけ口を求め、彼らの多くが不登校、校内暴力、シンナー薬物などの非行に走った。

それから30年、僕はそんな不合理な環境で育った幼なじみたちと再会した。医学部へ進学した僕が真面目な学生よりも、むしろ不良仲間たちと仲が良かったのは、サッカー、野球、スキーなど、スポーツで彼らと互角に渡り合っていたからだ。当時、学生の間では学力よりも、どれだけスポーツができるかで本当の評価が決まっていた。どんなに成績優秀でも運動や音楽で活躍していなかったり、けんかが弱いと学生間での人気はなく、評価されなかった。

その後世の中は一変し、高学歴はあまり価値がなく自分が何を成し遂げ、どれだけ社会貢献出来るかが評価されるようになった。不良仲間たちは社会に出た後更生し、学歴は中卒でも大工やトラック運転手として堅実に働いた。その後自分たちの経験を元に起業し、運送業や土建業、そして料理人の世界で成功を収めている仲間たちも多かった。もちろんその中には犯罪に手を染めたり、消息不明になっている残念な仲間たちもいた。

一方で、高学歴を得た学生たちが必ずしも成功している訳ではないことも知った。つまり、当時学校や家庭で得ていた学歴偏重の社会評価よりも、我々学生たちが下したスポーツや音楽の才能に基づいた評価もまんざらではなかったのだ。

僕は医師の道を選択し、外科医として何とかここまでやってきた。そんな僕の選択を彼らは心から喜んでくれた。それは僕たちが何ら利害関係を持たずに多感な時代を過ごした本当の仲間だったからに他ならない。過去の記憶とともに消えかけていた大切な仲間たちを取り戻す帰省となった。

P1000940新年おめでとうございます。 2005年春に開業以来、今春いよいよ7年目を迎えることとなりました。新しい年の始まりに、これまでのクリニックの経過、そして 今後の抱負を述べさせていただきたいと思います。 開業まで 今から7年前、自分の思い描いたクリニックを築きたいという思いに駆られ、僕は開業を思い立った。いざ思い立ったものの、何から始めて良いのかさっぱり分からず、先輩たちのアドバイスに耳を傾け、少しずつ情報を集めた。 開業には先立つ資金調達が最初の課題であった。当時勤務医だった僕は必要開業資金の3分の1程度しか持ち合わせておらず、残り3分の2を工面する必要があった。サラリーマンの息子である僕は、親から借金することも出来なかったので銀行に融資を頼み込んだ。だが何ら実績のない僕は即座に銀行からの融資を断られ、開業への道は非常に険しいことを思い知らされた。 一時途方に暮れたが、哲学者デカルトの名言、"困難は分割せよ"を喚起し、国民金融公庫や信用保証協会など、いくつかの公的機関からの分割融資を求めた。その一機関が融資に応じると、次の機関がさらに融資に応じてくれ、残額を銀行に頼んだところ、なんと最初断った銀行までもが融資に応じてくれた。 資金調達に成功した時点で開業を現実味を帯びたが、さらに必要なのは開業立地や集客への具体的プランニングだった。銀座で勤務医をしていたので、僕を応援してくれる常連客さんたちの要望もあり、銀座での開業地を探し、なんとかそれを確保することに成功した。 残りは"何を売りに集客するのか?"、当時僕は眼周囲治療を得意としていたので、こういった治療を特化しようと考えたが、いざ始めてみるまでどうなるかの予想はつかなかった。"開業したものの、お客さんがこなかったらどうしよう?"、この不安は最後までつきまとったが、僕と同年代ですでに起業に成功した友人の、"たとえ失敗したって命をとられるわけじゃないんだから挑戦してみるべき"、の一言に開業の決意を固めた。 ターニングポイント 幸運にも勤務医時代から僕に付いていたお客さんたちに開業直後からクリニックへ来ていただいたので、開業は順調に滑り出した。また、いわゆる"目の下のクマ(くま)、たるみ"を、皮膚切開せずに目の裏(結膜)側から行う下眼瞼形成術を開始したところ、この治療を希望する客さんたちが増え始めた。その理由は従来まで 皮膚切開を行う以外、"目の下のクマ(くま)、たるみ"解消法する方法がなく、その治療をためらっていた人々が僕の皮膚切開を伴わない治療の価値を見出しからである。 だがその後大きな落とし穴が待っていた。当初一日3人ほどの"目の下のクマ(くま)、たるみ"治療をこなしていたが、その後どんどんお客さんは増え、2007年末はなんと一日7人、そしてこの治療を希望するお客さんの予約は4ヶ月待ちという事態に陥った。 僕は次第に疲労困憊し、治療は流れ作業的で粗雑になり始めた。こういった状況では一定の割合で治療結果に不具合が現れる。眼周囲治療は非常にデリケートな操作が要求されるので、疲労困憊下では良好な結果を出し続けることが困難となる。 治療後にクレームが生じると、その対処に大変な労力が必要となり、ストレスを抱えることになる。その結果、クリニックの評判は落ち、次第に集客も減少するという、"負のスパイラル"、いわゆる"一度ブレイクするとその後は下降する"典型的状態に陥ってしまった。 僕は2008年初頭に深く反省し、治療、経営方針の大幅な軌道修正(改善)を行った。その後、同年秋にどんな症例に対しても安全で確実な結果を得る治療手技を確立することに成功した。また、すべての治療を確実に精巧に導くよう、一日の治療を3〜4人までにと限定し、集中力が切れないように配慮した。その結果、従来経験した治療上の不具合等をほぼすべて回避する自信を得るに至った。 今後について( ボランティア精神を忘れずに) 眼周囲のコンプレックスは一見、些細な問題に見えるが、実は多くの人々にとってなんとしても解決したい悩みである場合が少なくない。僕自身もこの問題を抱えており、この治療を受けた経験があるので、患者さんの気持ちがよく分かっているつもりだ。この治療が成功すると、表情豊かな目元へと改善し、その魅力ある目元につられるかの如く、顔全体の若返りや魅力度がアップする。 このように外科治療の効果は多大であり、治療が成功するとその恩恵は計り知れない。だが逆に不具合を起こすと、その対処に大きな労力を要することとなりかねない。したがって、どんな症例でも治療を行う限り、必ず治療前より良好な結果へと導かねばならないし、その自信がなければ治療を引き受けるべきではないとさえ思っている。 だが、僕も一介の人間であり、 月100人程の手術をこなしていると、すべての治療を完璧に終えるとは断言できない。そういった状況で大切なのは、患者さんが満足するまで、最後まで責任を持って治療し、その際、クリニック経営より顧客満足度を優先にしなければならない点である。つまり、僕(治療を行う側)が自己犠牲(ボランティア精神)を惜しまず、お客さんの満足度を最優先にすることが非常に大切なのだ。その誠意はお客さんにも伝わり、この誠意こそクリニックの安定維持に必要不可欠であると僕は確信した。 我々の社会は一人一人が幸せをつかむと、その幸せが周囲に伝わり、巡り巡って皆の幸せに結びつくように出来ているはずだ。当クリニックが美容医療を通じてそういった"幸せの発信地"の一つになれることを僕は強く望んでいる。 最後に 今後も診療を行う上でいたらない点、配慮に欠ける点などがあるかもしれません。そういった際は、お客様から遠慮なくどんどん指摘していただきたいと思います。皆様の声に謙虚に耳を傾けることが僕自身、そして当クリニックの成長につながります。そして僕が上記に掲げた目標(皆様の幸せに貢献する医療)に近づくはずです。今後とも末永く、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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