GINZA CUVO

2010年5月アーカイブ

P1000313学会に参加する本当の価値

日本ではこのような医師の集いがあっても、ややもすればお互いの腹の探り合いになりやすい。だが、韓国では先輩、後輩の主従関係が明確で、たとえ競合関係があろうともこういった集いではまるで休戦協定を結んだかのようにお互い仲良く交流を図っている。こういった人間関係の基盤がしっかりしているのは、韓国では医師といえども徴兵制という、国家のための忠誠心を誓い合う仲間意識があるからなのだろうか。

僕が午後11時過ぎに宴会場に到着するやいなや、祝杯が酌み交わされたが、その盛り上がり方は日本では出来ない貴重な経験となった。もちろん学会参加の目的は、美容医療の最新の知見を得えることだが、違う国の医師たちと友情を深めることが同様に大切だなのだ。知識や技術は教科書や手術手技ビデオ等から得られるが、人間は感情を持っているので、本当に大切なことは友情を基盤とした人間関係から得られることが少なくない。

翌日の学会に備え宴会は午前12時過ぎに終了した。翌朝8時半に起床し、学会場に向かうと、そこは多くの参加者で溢れていた。海外から招待されたのは米国から1人の医師と、日本から僕を含め2人だったので、我々以外の発表はすべて韓国語でなされた。お隣の国と言えども言葉の壁は厚く 学会で何が議論されているかは、スライドを見て想像する以外ない。

リー医師のクリニック

僕は自分の発表を無難にこなし、夕方6時に学会は盛況のうちに終了した。今回、僕が韓国を訪れたもう一つの目的は、韓国美容外科学会の将来を担うリー医師のクリニックを見学することであった。リー医師は韓国の南部光州市出身、40代後半の新進気鋭の美容外科医である。だが、光州でリー医師が学生だった頃、当時の朴大統領を暗殺した軍事政権と学生が対立し、暴動が勃発し、市民に多くの犠牲者が出た。

リー医師はその真っ直中で、韓国の悲劇の歴史を経験している。その後彼は心臓外科医として8年間の研鑽を積んだ後、美容外科医に転身した。現在はソウル、漢南の一等地で美容外科クリニックを開業して13年目のベテランである。親分肌のリー医師は情に深く、彼が韓国美容外科学会を統率していると言っても過言ではない。そんな影の実力者であるリー医師のクリニック見学は大変興味深かいものになった。

クリニック内の広さは50坪程度であったが、目を見張ったのは待合室の造りであった。なんとクリニック全体の4分の1程度のスペースを待合室としており、少なくとも10人以上がゆったりと時間を過ごせるようになっている。そこはまるで喫茶店のような空間で、しばしば訪れる患者さんたちは思い思いにお茶を飲んだり、友人たちと雑談をしていた。リー医師に直接その理由を尋ねた訳ではないが、それは患者さんをリラックスさせるための空間を惜しまない彼の演出なのだ。その結果、患者さんがリピーター化したり、紹介患者さんが増えたりと集客につながり、決してその空間が無駄に広いわけではないと察することが出来た。

P10003854月初旬、韓国美容外科学会での講演を頼まれ、ソウルに向かうことになった。土曜日の診療を終えた後、羽田発午後7時20分発ソウル行き便に搭乗するため、午後5時過ぎにクリニックを出発した。通常、国際線は2時間前に空港到着するべきだが、羽田空港発なので、一時間半前に到着すればよいと高を括った。だが、浜松町に到着しても誰も人がおらず、”おやっ”と思った。

事情を駅員さんに尋ねると、羽田空港国際線ターミナル新設工事に伴うモノレール線引き込み工事で、その日は全線不通とのこと。突如慌てたが、すかさず京浜急行線に乗り換え、駆け足で空港に向かった。空港に到着すると、すでに出発時刻1時間を切っていたが、搭乗にはなんとか間に合った。

韓国と日本には時差がないので、2時間余りのフライトを終え、午後9時過ぎに金浦空港に到着し、そのままタクシーでソウル新興地、江南に向かった。タクシーの運転手さんは僕が日本人とすぐに察して、流ちょうな日本語で活気よく話しかけてきた。一般的に言って、韓国人が日本人より元気があって気さくなのは、キムチなど健康的な食べ物と、もともと楽観的な韓国人の国民性なのだろうか。毎回、韓国を訪れるたびに感じる韓国人に対する僕の第一印象である。

土曜日の午後10時近くになっても、ソウル市街に向かうハンガン川沿いの3車線道路はいつものように大渋滞で、なかなか車が進まない。暇にまかせて周囲の車種を見ていると、ほとんど韓国製の車ばかりだ。ついこの間まで、車や電化製品で世界を席巻していた日本技術の時代は終焉を迎え、韓国や中国などの新興国製品がそれに変わろうとしている。東京の街並みにもかつてはソニーやパナソニックの広告が目白押しだったが、現在はサムソンやLGなど韓国企業の広告のほうをよく見かけるようになった。

第二次世界大戦後の高度経済成長時代から現在まで、日本は物作り経済を中心に世界の大量消費社会に支えられ、高度経済成長を遂げた。だが21世紀に入り、先進国の人々は、ほぼ欲しいものを手中にし、過去のような物質に対する執着が消えつつある。もちろん、発展途上国では未だに必要な生活必需品が多くあるだろうが、これらの供給はインド、中国、韓国などの新興国が日本に代わり行うようになった。

そんなことを考えながら、渋滞に巻き込まれた江南までのタクシー道中を過ごした。学会に参加する医師たちのと懇親会場にたどり着いたのは午後11時を過ぎていた。タクシーを降車すると、4月上旬といえどもソウルの夜は東京以上に冷え込んでいた。だが、宴会は土曜日夜に催されたせいか、大変盛況だった。

ご存じの通り、韓国美容外科の需要供給は日本のそれと比べものにならない。それは国民性の相違によると思われるが、韓国人はより、はっきりとした結果を求め、そのためには多少侵襲が大きくなろうともいとわない。それに比べて日本人は可能な限り低侵襲な治療、そして自然な結果を求める。僕が美容医療のためにしばしば韓国を訪れる理由は、大胆かつはっきりとした結果が得られる韓国の治療手技を知ることで、繊細かつ、自然な結果が得られる、より洗練された手技を体得することに他ならない。

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