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ある夜の出来事ー5

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尊い命


暖房の効いた当直室ベッドの上に横になると、あまりにも気持ちが良く、”このまま好きなだけ寝られたらどんなに幸せだろう。”と思った。けたたましい電話のベルとともに、1時間後には無理矢理目を開けざるを得なかった。電話口の看護師さんは「先生、朝方の救急患者さんの家族が説明を聴きにいらしています。」と伝えた。僕は「すぐに外来に降りてゆくから。」と言って電話を切った。

外来には患者さんのご主人とその息子と娘の3人が心配そうな顔をしながら座っていた。僕は次のように切り出した。「○○さんは本日未明、港から海に落ち、それを見ていた釣り人が警察に通報し、20分後に救出された後この病院に運ばれました。」普段着のまま自ら海に飛び込んだことを釣り人が目撃しているので入水自殺したことは明らかだったが、僕はその事には触れず、事実のみを正確に伝えた。

このようなあまりに突然の出来事に遭遇した場合、家族は涙を流すなどの感情を示すことはなく、あまりに動揺しているせいか、逆に黙りこくってしまうことのほうが多い。

ご主人が重い口を開いて「どのような状態なのでしょうか?」と僕に尋ねた。僕は出来るだけ冷静に「一命は取り留めましたが、現在意識不明の状態で、どこまで回復するかはっきりと申し上げることはできません。」と答えた。

ご主人は「よろしくお願いします。」とだけ言って、また口を閉じた。もしかすると、家族には奥さんが自殺を試みた心当たりがあるのかもしれないと思ったが、それは医師が興味本位で関与するべき点ではなかった。医師は出来る限りの手を尽くして、この患者さんを回復するよう、最善を尽くすことがその使命なのだ。

その後、小康状態が続いたが、肺炎が思いの外早期に回復に向かい始め、自発呼吸できるようになったため、治療4日目に人工呼吸器をはずした。治療1週間後にには開眼したり、呼びかけに反応するようになり、脳機能も回復の兆候を示し始めた。

家族は毎日入れ替わりで付き添っていたが、意識の回復を見て安心したのか、笑顔を見せるようになった。

治療開始10日後には意識が完全に戻った。だが、話すことは出来ない。言葉は喉の筋肉を円滑に動かすことで発生されるので、脳神経が傷害されると、こういった高次機能が回復するには時間がかかる。医療的な治療が終わると、リハビリ治療に引き渡される。ここからは作業療法士さんたちが繰り返し、歩行訓練や言語機能回復へ向けてのリハビリ療法を根気よく行った。そのおかげで治療1ヶ月後にはほぼ言葉が戻り、歩行も出来るようになった。

回復するにつれ患者さん本人も元気になり、笑顔を見せるようになった。 入院から2ヶ月後、患者さんはやや歩き方がおぼつかないものの、それ以外の機能は順調に回復し、退院するにいたった。”真冬の海の20分間の溺水状態からの回復”、珍しい症例なので、僕は治療過程をまとめてその春行われた救急学会で発表した。

”何故自殺しようと思ったのか?助かったのは嬉しかったのか?それとも本当は助かりたくなかったのか?”僕は患者さんの自殺の動機を知りたいと思ったが、最後まで聞き出せなかった。せっかく、順調に回復したのに、自殺したことを思い出させたくなかったからだ。

この患者さんはご主人の女性関係に悩んで自殺を思い立ったことを風の噂で耳にした。多分、彼女はこの辛い事実を知ったとき、衝動的に命を絶とうと思ったのかもしれない。しかし、彼女も冷静に考えれるようになれば、夫の女性問題も、彼女にとって、命を捨てるほどのことではないと思い直すだろう。

だからこそ、自殺未遂の人の命を救うことも意味があると僕は考えた。北海道の遠隔地で救急医療を行っていると、多くの自殺関連の治療に遭遇した。何らかの理由で将来を悲観し、鬱状態となり、自ら命を絶とうとする場合が多かった。北海道遠隔地で自殺が多いのは、都会に比べて経済的に困窮する場合が多かったり、 希薄な社会関係から孤独に陥るなど、鬱状態に導く悪因子があるのかもしれない。

尊い命を自ら絶つ行為の自殺は、治療していても何とも言えなく後味が悪い。自殺のない社会を築くことこそが我々を幸せに導く健全な方向性であろう。

その後僕は救急医療を離れ、僕は東京で美容医療に従事することになった。あるとき、その街に里帰りする機会があり、ふとあのときの溺水患者さんのことが気になった。あの事故から数年が経過していたが、僕は当時の看護師さんに彼女がどうしているかを尋ねた。その看護師さんは「先生、知らなかったんですか?」と言いにくそうに答えた。嫌な予感だしたが、僕は「どうなったの?」と聞き返した。その看護師さんは「あれから1年後、今度は首を吊って、発見されたときには亡くなっていたんです。」と答えた。



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非常に興味深いお話でした。
私のいくつかのProfessionalな仕事の一つに電話相談というものがあります。多くの方が心の病を持っているのを
隠しながら話しをしてきます。何度か回数を重ねると
同じ方でもご自分の方から病院から薬を処方されていますと答えます。
ところがです。。それらのお薬の名前を尋ねますと
簡単にアメリカのネットでそれらの効能とサイドエフェクトを読みますと、すべてが脳になんらかの障害を
もたらせることが可能なお薬なんですね。
20代の女性でも簡単に心療内科に行く時代になりました。が。。。反面、間違った治療法により鬱等の症状が
緩和するどころか悪くなって行くように感じます。
むしろ。。。精神科医がお薬として、芸術療法を推薦していただければ脳に害無く改善の糸口を作ることができるのに。。。と切なく思います。必ずそのようなお客さまには、お薬をあまり飲まないように。それよりこんな楽しみ方をしましょう等アドバイスに努めます。
しかしながら、一般的にお医者様から出たお薬だからといって信用しているんですね。
矛盾を感じます。先生のこのお話のかたも、折角生き返ったのに、考え方が変わっていないため自殺を選んでしまった訳ですね。本当に辛いお立場ですね.先生のお仕事.
現代はやく30%の人口の方はは鬱っぽいそうです、
私はこれは70%にまで数字は上がると見ています.残念ですが世の中の全ての仕組みを私一人で変えることはできません。
次いでですが。。。一般的に夫の女性関係のために
夫が家でをする等の場合、その事実を受け入れるのに
悩み尽きて燃焼するくらいまでに3=5年かかります.
受け入れるのではなく、理解するというのでしょうか。
その間女性はさまざまな体の不調を体験します。なかには大病を病む方もおおいのです。それらは喘息、重度のアレルギー疾患などです。
しかも家族がいて子供もいてと言う状態だと一人で
考え抜く暇もなく。。。悪い所にどうどうめぐりでしょう。
実際にはそのような問題を抱えていたら、電話相談など
見知らぬ方に聞いていただくだけでも、かなり緩和されます。友人や家族は助けになりません。
このお話を医療の立場、精神科学の立場、教育の立場、
セラピストの立場から考えますと非常に示唆ある体験を
読ませていただきました。ありがとうございます。
セラピスト、芸術家、。。他。
Angie

angieさん
いつもコメントありがとうございます。
医師として薬に対して否定的なコメントをあまりすべきではありませんが、やはり薬に完全依存するのは私としてもあまり賛成できません。
うつ病にはやはりそれを引き起こす環境原因や、考え方の習慣があると思います。
それをカウンセリングや環境を変えたり、音楽など良い波動を与えることで、良い方向に方向づけることが極めて重要と思えます。
現代のように、物質的に恵まれた環境にいると、内面的な生きる価値を見いださなければ、生きる動機に欠け、やる気を失ったり、鬱っぽい精神状況に陥ることにつながります。
ですから、今後は我々が物質主義に陥った考え方を変えなければ、鬱病が増えることは避けられないかも知れません。
夫婦間、家族間、友人関係の悩みをどのように解決すべきか?これも現代人にとって、大変重要な課題の一つです。
自分を取り巻く仲間たちに相談するより、第三者の意見を聞くのは極めて有効でしょうね!
今後はそういったカウンセラーの価値が非常に高くなるのでしょう。
是非、angieさんにはご活躍いただきたいと思いいます。

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