GINZA CUVO

2009年7月アーカイブ

夜の始まり


午後の手術を終え、窓の外をのぞく外はすでに暗くなり始めていた。この地方は4月でも夕方から急に冷え込んでくる。医局に戻ると昼過ぎまで屋根の雪から溶け 出していた水はつらら変わっていた。春が近づき明るくなりつつあある空にはすでに月が明るく輝いていた。雲一つないこのような夜は、冷え込みが一段と厳し なる。 

今 晩の救急当直が平穏に終わることを心の中で祈りながら、 窓の外の冷たい空気を大きく吸い、窓をしっかりと閉めた。夕刻6時過ぎ、外来診察室に降りると、勤務を終えた職員たちが真冬の格好で足早に帰宅している。 病院内は南国のように暖かかく、今晩この中に過ごせることはありがたいとさえ思った。

当直時間中は病院内にいれば、何をしていてもよいが、特に何をすることもない。就寝前であれば、患者さんを診ていたほうが気が紛れるのにと思うくらい、何もすることがない。願わくば、夜中は誰も来なければいいが、往々にして救急患者は夜中に駆け込んでくることが多かった。

当 直室のベッドの上で仰向けになったが、特に眠たくもないのですぐに退屈した。こんな時は入浴するのが一番よい気分転換になる。僕は電話で呼び出されるのに 備えて、入浴室の扉を全開にしたまま、湯船に肩までどっぷり漬かった。この上なく気持ちが良かったが、仕事を終えた後、入浴していると"いつまでこの生活 を続けるのだろう?この先自分は何をすべきなのか?"そんなことが頭の中を駆けめぐった。しかし、いつも答えは見つからないままだった。

気が抜けないのは、救急外来勤務中はいつ何時救急患者がやってくるかわからないことだった。水の音で電話のベルの音がまぎれないよう、僕は耳を澄ましながら入浴する習慣が身についていた。

あ る時、シャワー中に電話のベルが鳴り、 濡れたままの足で 慌てて浴室を飛び出したため、勢いよく転び、自分が怪我をしそうになった。当直着にすかさず着替え、濡れたままの髪で診察することもあったが、地方の救急 外来ではこの程度のことは多めに見てもらえることが多かった。

その後、電話はいつまでたっても鳴らなかった。通常、救急外来当直では、夕方から午後10時頃までに、腹痛や発熱などの患者がやってくることがあったが、この夜はやけに静かで、僕は時間をもてあました。

テ レビをつけて、バラェティ番組を何も考えずに眺めたが、すぐに飽きてあくびやため息ばかりが出た。外を見ると、さきほどまで快晴だった空から小雪が舞い始 めていた。時刻は10時を廻っていた。"このまま何も起こらないで欲しい"、そう祈りながら、電気を消してベッドに潜り込んだ。冷え込みの強い夜は、昼間 より遠くの音が良く聞こえる。

昔、 この地方にはアイヌの集落があったらしい。、半年以上雪に覆われるこの地方では冬の間、農作物を得ることが出来ず、 食料確保のためしばしば山に狩猟に出かけた。鹿などが主な獲物だったが、時には熊を狩猟することもあったらしい。数キロ先の山で、銃などの武器を持たない アイヌの男たちが、熊と戦う様子が鮮明な音を通じてわかったらしい。

熊は体が大きいから、ライオンが大きな獲物を襲うときのように、頸椎など獲物の急所を狙って一撃でしとめるようなことはしない。だから、人間と戦うときも、頭や手足にかじりついて引きづり回すため、悲鳴や骨が砕ける音が聞こえたらしいのだ。

そんな恐ろしい昔話を、僕が担当したアイヌ民族の患者さんから聞いたことがあった。そんなことを思いながら耳を澄ましながら布団の中に潜り込んでいると、遠くに犬の遠吠えが聞こえた。静かに眠れることを祈りながら、目を閉ていると、いつの間にか眠りに落ちた。

夢心地の中でパトカーのサイレンが聞こえ、目を覚ました。夢を見ていたのだろうと思った。一体何時なのだろう?時計を見ると午前4時を廻っていた。また目を閉じ朝まで数時間寝ようと思った。

外は相変わらず静かだった。だが、良く耳を澄ますとかすかにサイレンの音が聞こえた。サイレンの音は夢ではなく、???では現実に何かが起こっていた。全身を緊張感が一気に包み込み、 僕の目は見開いた。

 春の兆し


4月初旬の道東地方、春の兆しが見え始めたが、まだまだ寒い日々が続いていた。救急医療に従事してから丸4年が経過していた。僕の体はこの4年の間にいつのまにか病院使用になっていた。4月といっても、日中、屋根の上の雪が溶け始めたが、夕方になって冷えるとまだつららになるほど寒い。

病院宿舎から歩いて1~2分の距離を歩くだけで寒いと感じるほど体は寒さに弱くなっていた。それもそのはず、病院内は病人たちのために室温は常に25度以上と快適な温度に保たれ、その中で4年間過ごしていたわけだから、僕の体は病院使用に変わってしまっていた。すっかり外に出るのがおっくうになり、一日中病院にいることが多くなっていた。

こんなんじゃいけない。もっと体を使わなきゃと思っていても、毎日仕事に追われていると、運動をする機会もめっきり減ってしまった。日中の仕事が終わっても週2~3日の夜間救急外来勤務が待っていた。このような生活をしていると自分をいじめるのが好きになり、いわゆるマゾ的な要素が現れる。僕は病院食を食べ、病院着を身につけ、一日中ただただ働いていた。

午前中の診察を終え、病院の最上階で昼食に向かう。病院食は決して美味しいものではなかったが、お腹が空いていればとりあえず何かは口に入れたくなるものだ。

退院間近で自分で歩けるようになった患者たちは病室から食堂までやってきてくる。毎日の回診で、入院患者たちとはすっかり顔見知りになっているから、食堂に入ってきた僕に患者さんたちは「先生はいつも忙しそうですね。」と誰にあっても同じ声をかけてくる。僕は「そうなんですよ。この地域は医師不足なので。」と、やはり同じ答えを返し続けた。

昼休みは少しでも患者さんたちから離れて一人になりたかったので、僕はトレイにご飯とお味噌汁、いくつかのおかずを乗せて、医局に向かった。医局にはすでに春の日差しが差し込み、数日前に積もった屋根の雪が溶け、勢いよく窓の外に流れ落ちていった。窓を開けて新鮮な空気を吸い込むと、まだ外の空気はひんやりとしたが、春の香りが漂い始めていた。晴れ渡った空の向こうの山々はまだ真っ白な雪で覆われていたが、春の訪れを感じたせいか、僕の気持ちも軽くなった。

何しろ、この街では10月中旬には雪がちらつき始め、冬はあっという間に訪れる。12月から3月いっぱいは厳冬期だ。特にロシア方面から下降してくる流氷がオホーツク海沿岸に押し寄せると、最高気温が0度以下の真冬日が連日のように続き、まるで冷凍庫のような状態になる。だから、長い冬が終わりを告げる4月に春の気配を感じるだけで、心が軽くなった。

しばらく窓から景色を見ていると、医局内にいた同僚医師が「えーっと、今晩の救急当直は誰かな?」とつぶやいた。壁に貼り付けた当直表を確認すると、そこには僕の名前が書いてあった。あまり前から当直表は見ないことにしていた。近い将来の予定を知ることで憂鬱になりたくなかった。救急当直があると、前の日から翌日まで、仕事が24時間絶え間なく続くことになるのだ。僕は憂鬱な思いを隠しながら「今晩は僕です。」と答えた。


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