GINZA CUVO

2009年2月アーカイブ

合理主義の国、アメリカ 週3日の手術日に、外科医たちは朝から晩まで手術を行った。残りの2日間、医師たちは外来診察を行う。昨日まで、まるで大工職人のように関節手術を5~6件終えた医師たちは、今日は朝からワイシャツにネクタイ、その上に白衣と、いかにも医師らしく身なりを整え、診察を行っていた。外来診察も日米で大きく異なる。日本の医師は、診察室で座りながら患者さんを診察室に呼び入れて診察する。米国ではいくつかの部屋にあらかじめ患者さんを入室させ、待たせておく。そこに医師が入り、椅子に座って待つ患者さんを、医師が起立したまま診察を行う。こちらの医師は一人の患者さんの診察が終了すると、隣の部屋で待つ患者さんの診察を行い、この流れで次から次へと診察をこなしてゆく。また、日本の医師はどちらかというと、患者さんを上から見る印象があるが、米国の場合、医師と患者は同等か、むしろ医師が患者さんをお客様として丁重な姿勢で扱う。米国には国民皆保険が存在せず、基本的に自費診療中心なので、医療も通常のサービス業で必要ないわゆる”顧客(患者)あっての商売”の精神で診療するので、医者は決して患者さんの前で偉ぶらない。ビジネス面から見ると競争の激しい米国医療業界の中で生き残ってゆくには、こういったサービス業の精神が医療でも必要なのだ。 僕は朝8時半から夕方5時近くまで、通しで行われる外来診察を一日見学した。その間、彼らは一度も休むことなく、立ちっぱなしで仕事をした。時折、診察室から出たところにあるカウンターテーブルにたたずみ、そこでカセットテープに診察記録を吹き込む。カルテを記載する時間がないため、この録音されたテープを秘書たちが後からタイピングしてカルテとして保存するのだ。昼食はとらないのだろうか?よく観察していると、医師たちは15分程度の空き時間を利用して、カフェテリアに足を運び、サンドイッチなどを口にしていた。その後、ダイエットコーラやコーヒーを持ち帰り、直ちに診察に戻った。このように、時間を一分も無駄にすることなく、効率よく仕事するのが米国流合理主義だが、一日の見学を終了すると、僕の足は棒になるほど疲労した。米国の外科医は高収入を稼ぐと言われるが、それに見合うだけのハード・ワークをこなしてるからそれも当然なのだ。 米国と日本の医療事情の違い 早朝から始まる手術、そして立ちっぱなしでおこなう外来診察を眼の辺りにして、正直その厳しさに狼狽した。しかし、この研修中に志高く、米国で外科医を目指す日本人医師にも遭遇した。彼はその当時、米国での外科医研修枠が見つからず、その枠が空くのをなんと3年間、浪人生活を送りながら待っていた。米国で外科研修を完了するには少なくとも6年の歳月が必要である。当時、その日本人医師は30代半ばの働き盛りだったから、これから外科医研修を開始するとその間、研修医として薄給での生活が強いらる。そして、彼が外科医として一人前になる頃、年齢は40代に到達している外科医が最も有能に働けるのは35~45歳とされるので、彼は外科医研修のためにその大切な時間を犠牲にすることになる。僕にはそこまでの覚悟が出来ず、このまま日本で外科医として生きる道を選んだ。 ところで、日本の医療制度は国民皆保険で治療費の7割が税金で支払われる。勤務医の場合、原則的に医師は給与制で、何科の医師であろうと支払われる給与は一律である。僕が学生時代、研修を行った病院で、眠る暇もないほど多忙な心臓外科医の次のようなぼやきを耳にしたことがある。「俺たち心臓外科医は命をすり減らして仕事をしているのに、他科の医師たちと同じ給料では、正直やっていられないよ!」と。ここに日米の決定的な価値観の違いがある。この心臓外科医はどちらかというと、米国流の考え方であり、米国では労働に見合った収入を得るのが常識である。それに対して、日本の場合、仕事の価値は必ずしも収入で評価されないが、医師たちがやりがいのある仕事をすればそれでよし、と言った、内容主義的な考え方が一般的だった。人助けという医師の仕事上、日本の考え方のほうが、より高尚なのかもしれない。しかし、外科医のように、自分の能力がこなした手術の数や成績が評価される場合、プロスポーツ選手のように収入に反映される方が、やる気を維持する上では良いのかもしれない。 人種の壁 多忙な米国外科医たちの生活も、週末は完全休養だった。短期研修中、僕に知り合いは誰もおらず、何をすることもなく時間をもてあました。ある程度孤独に陥ることは覚悟していたが、週末誰一人と話す機会がないと強い孤独感を感じた。どんな場所に行ってもその街に慣れるにはしばらく時間が必要なのだ。街に慣れるに従い友達が少しずつ出来るから、完全お客さん扱いのこの程度短期留学で、友人を作ることは不可能だった。 こうなれば英語の勉強にと週末は映画を見に行くことにした。散歩がてら、研修病院の寮から徒歩で1時間近くかかる映画館まで歩いた。米国の映画館はシネコンプレックスになっており、たくさんの映画が一本500円程度で鑑賞できた。僕は昼過ぎから夜まで、立て続けに3~4本の映画を見た。 ある週末、映画が終わる頃になって、辺りで突然激しい雨が降り始めた。これほど激しい雨の中を傘も差さずに1時間も歩けいたら、必ず持っていた携帯電話壊れるので、タクシーで帰ろうと思った。休日の突然の激しい雨によってタクシーはどこにもいなかった。映画館の出口にはたくさんの人がタクシーを今かとばかりに待っていた。だが、タクシーは待てども全然来なかった。しばらくすると、10分に1度くらいの間隔でタクシーは来始めたが、まだ前には10人ほどいて、僕がいつ乗れるかわからなかった。タクシーが来るのをあきらめた人たちは、携帯電話で家族や友達に迎えに来てもらい始めていた。知人が誰もいない僕は、そこに取り残された。一時間近くタクシーを待って、時刻は午後11時近くなり、映画館の出口も閉まった。 雨は依然として激しく降っていた。最後に僕の前にいるアメリカ人の若者3名と僕だけが残った。ようやく1台のタクシーが久しぶりに来た。このタクシーは彼らが携帯で呼んだらしかった。僕はタクシー会社の連絡先すら分からなかった。彼らがこのタクシーに乗ってしまうと、僕は一人だけ完全に取り残されてしまうと思うと、急に不安になった。僕は勇気を振り絞って、彼らに相乗りさせてもらうようお願いしてみた。偶然にも帰る方向が一緒だったので、彼らは僕を乗せてくれた。僕は彼らの行為にとても感謝したが、見ず知らずの米国人たちと相乗りのタクシーの中で、全く口を開くことも出来ず、凍り付いたようになっていた。日本人の僕が、もし他国で暮らすことを選択したら、こういった孤独感に耐え、それを克服していく必要があった。だが、すでに30歳を超えていた僕にはそれは予想以上に困難だった。その後しばらくしてから、もう一人の日本人研修医がやってきた。残りの研修期間、僕は彼と一緒に行動するようになり、僕は孤独から解放された。僕はこのような海外経験から、日本人同士の絆の価値に気がつくようになり、日本で生まれた自分の意義を考えるようになった。
米国人外科医の過酷な日々 かつて暮らした米国での生活を想い出しながら、フィラデルフィアの街を足早に歩いた。気がつくと市街中心部を流れるデラウエア川のほとりまでたどり着いたが、すでに太陽は沈みかけていた。12月の米国東海岸は木枯らしが吹き、陽がかげると体感温度は一気に下がる。明日からいよいよ整形外科研修が始まるが。その間、しばらく寝泊まりをする寄宿舎に戻る頃にはあたりは真っ暗になり、体は冷え切った。僕はコーヒーをすすりながら明日の予定表に目を通した。研修は早朝6時から始まる予定だったので、朝の弱い僕は少しでも長く睡眠時間を確保するため、午後10時には床についた。 フィラデルフィアでの整形外科研修は3ヶ月程度の予定だったが、研修中はこの病院に勤務する米国外科医たちと同じスケジュールで行動することになっていた。米国の外科医の朝はとても早い。彼らは術前ミーティングのため、早朝6時から会議室に集まっていた。僕は初めてのミーティング参加にとても緊張したが、この病院には僕のような海外からの短期研修制が常に来ているのせいか、誰も僕に関心を示さなかったので、すぐに平常心を取り戻した。ミーティング間際になると、若手医師の一人がコーヒーをすすりながら、寝癖のついたままの髪の毛で慌てた様子で現れた。そんな彼を見ていると、まるで日本で働く自分の姿を見ているようで安心した。ミーティングでは、新しい治療手技や今週行うやや難しい症例などの紹介が行われ、医師たちが活発に論議を交わした。ミーティングが終わると、手術は午前7時頃から始まった。日本でこの規模の総合病院の場合、どんなに早くても手術は午前9時開始だから、僕は米国の医師のほうが日本の医師よりも過酷な仕事をしていることにすぐ気がついた。病院の外は早朝のせいか閑散としていたが、手術室の中に入ると、そこは看護師や医療技師たちが忙しそうに動き回り、とてもにぎやかだった。 手術見学(病の原因は肥満だった) 僕は日本から整形外科研修に来た医師として、手術を間近で見学することを許された。手術予定表を見て唖然とした。朝7時から始まる膝や股関節の手術は、2時間枠で延々と続き、午後5時頃までびっしりと入っていた。しかも手術室は全部で20室ほどあり、10室くらいが同時進行で進んでいた。つまり、一日50件以上の整形外科手術がこの病院では行われていた。どうしてこれほどまで米国では整形外科(関節疾患がほとんど)の手術が多いのだろう?その理由は米国で3人に1人が肥満であることに他ならない。肥満の人は膝や股関節に負担がかかりやすく、当然長年そのような状態にあると、骨が痛み慢性疼痛が発生する。一度痛んだ関節内の骨は再生困難で、人工関節置換手術が必要となる。この人工関節手術が、まさにベルトコンベアーの如く、次々と行われていることに僕は驚愕した。股関節や膝が悪くなるのも肥満が原因なので、肥満さえ解消されればこのような手術をする必要ないはずだ。 一体、この国では何故、肥満が多いのだろう?それはカロリーオーバーになりやすい食習慣が背景にある。米国ではマクドナルドなどのファーストフードが至る所にあり、誰しもが幼少時代からハンバーガー、コカコーラやフライドポテトなどの高カロリー食を気軽に口にする。また、普段から食べる通常食も並大抵ではなかった。僕が米国で3年近く暮らしていた時、ちょくちょく知人の家の夕食に招かれた。その頃大変苦労したのがその食事量の多さと、必ず食後に用意されるデザートだった。デザートはアイスクリーム中心だったが、日本の一人前の少なくとも3倍ほどあり、出された手前、完食しない訳にはいかなかったが、とても辛い思いをしたものだ。このように明らかにカロリーオーバーな食事の翌朝は、摂取カロリーを消費するため、必ず1時間近くジョギングに出かけた。このような食生活を日常的に続けていたら、相当ハードに運動しない限り、確実に肥満に陥ったであろう。 さらに肥満の原因は米国の車社会にも責任がある。広大な面積を有するこの国は、どこに行くにも車を使うように整備されている。そのため、車がなければ何も出来ないことすらある。ある時、サンフランシスコ空港の近くで、飛行機遅延のためやむを得ず一晩過ごしたことがあった。夜お腹が空いたので、近くに何か食事が出来る場所がないか歩いて出かけたことがあった。歩道すらなかなか見つからない空港近くの道を、明かりが見える方に向かって30分ほど歩いたが、結局何も見つからず引き返した。車に乗れば、すぐにドライブスルーなどが見つかったのだろうが、歩行者のためには残念ながらこの国の街は設計されていないのだ。だから、米国人たちは車に依存した生活を強いられ、運動不足となり、その結果肥満となる。米国で唯一、車優先ではない街はニューヨーク、マンハッタンだろう。マンハッタンは車より歩行者優先に設計されており、ここに暮らす人の肥満率は10人に1人程度と他州よりも極めて少ない。それはニューヨーカーが車を利用せず、徒歩で行動するので、消費カロリーが多いからなのだ。

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