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フィラデルフィアー1

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多忙な毎日 当直室のけたたましい電話の音で僕は目を覚ました。週3日程度の夜間当直を長く続けているうちに、どんなに深い眠りに落ちていても、電話の音で反射的に起きるのが当たり前になっていた。外科研修生活は4年目を迎えていた。過去4年間、僕は交通事故などの外傷をほぼこなせるようになっていた。午前中の外来診療、入院患者の回診や検査等を行い、気がつくと昼休みというような毎日だった。昼休みは職員食堂に向かい、病院食を食べる。午後は骨折や人工関節の手術が毎日待っていた。仕事の疲れから回復するにはゆっくり眠ることがもっとも効果的なはずだったが、週3回の当直は安眠を妨げ、ボディブローのように身に堪えた。疲れが溜まるとすべてに悪影響を及ぼした。体調は崩れがちで、多少の寒さで風邪を引くようになった。神経も高ぶり、多少のことでいらだちを感じ、同僚の看護師さんにあたったりするようになった。このままではまずいと思い始めていた。昔、”ショーシャンクの青い空”という映画を見たことがあった。その中で、何十年も収容された囚人の一人が「こんなに長く刑務所生活が続くと、普通の生活に戻るのが億劫になる。街に戻るより、ここにいたほうがましさ。」と。僕もこのまま多忙な毎日を続けていたら、この囚人と同じように、環境を変える意欲を失い、このままの生活が永遠に続くことを危惧した。”そろそそろ気分転換が必要なのかもしれない。と思うと同時に、”外科医として何を専攻すべきなのか?”など、自分の将来を考える時間が必要だと思った。 ある昼休み、当直室にあった医学系新聞を何気なく見ていた。その中に”米国医師短期研募集”というページがあった。その場所は米国、フィラデルフィアだった。僕は迷うことなくこの短期研修に応募した。当時勤務していた病院の院長が気分転換が必要な僕の気持ちを理解したのか、すぐに3ヶ月程度の研修を認めてくれた。外科研修を始める前、僕は4年間の大学院生活の半分以上をニューヨークで過ごしていた。その間、共同研究の関係で、何度かフィラデルフィアに足を踏み入れたことがあった。フィラデルフィアは、トーマス・ジェファーソンやベンジャミン・フランクリンが18世紀後半、アメリカ独立宣言をした、米国でも由緒ある街だ。今回、僕がフィラデルフィアを訪れたのは秋の深まった10月後半だった。時差ぼけを少しでも早く解消しようと、到着した日の夕方、眠い目をこすりながら散歩に出かけた。数年前にちょくちょく来た街なので不安はなく、むしろ懐かしい気がした。秋風が吹く10月のフィラデルフィアはかなり寒かったが、気がつくと街の中心を流れるデラウェア川ほとりまで歩いていた。この通りを歩きながらこの街並みを眺めていると、数年前までの米国で暮らしを想い出した。僕はかつてこの国で臨床医になろうと試みたことがあった。 米国での夢 僕がニューヨークに留学中していたのは、その時点から4年以上前だったが、ロックフェラー大学院の一研究員として試験管を振る毎日だった。僕の住んでいたアパートのあるニューヨーク、アッパーイーストサイドは上流階級とインテリが暮らす街として有名だった。この近辺にはロックフェラーやハワードヒューズ財団など、莫大な資金力による大病院や大型の研究機関が軒を連ねていた。この国での臨床医の地位はとても高く、僕は彼らをいつも羨望のまなざしで見ていた。数年間このような環境で研究生活を続けていると、”いつか僕もこの国で臨床医になりたい。”と思うようになった。留学生活が2年ほど経過した頃、僕の英語力はこの国で通用するようになった。だが、滞在が長期になり、この国で給料を生活しながら、米国人たちと同じレベルで生活するようになって、あらためて気がつくこともあった。それは、この国では我々東洋人たちには決して超えられない人種の壁が存在することだった。”アングロサクソン”と呼ばれる英国系白人たちには、白人であるが故に社会的に高い地位が与えられており、彼らの人生はそれ以外の人種とはスタートラインが異なっていた。逆に、白人以外の人種は、経済的に豊かで、恵まれた人生を手に入れたければ、自力ではい上がるしかなかった。米国の医師や弁護士にはユダヤ人が多い。ユダヤ人は”アングロサクソン”系白人とは違うが、彼らは一般的に頭脳明晰で、社会的地位の高い医師や弁護士資格を取得することにたけていた。その結果、彼らはアングロサクソン系白人たちと同等の地位を得ることが出来たが、白人以外でこのような高い地位を得るには、それなりの努力が必要だった。 僕の日本医師資格はこの国では全く通用しなかった。”この国で臨床医として認められたければ、この国の医師免許を取得するしかない。英語で医師国家試験勉強をやり直すガッツさえあれば、試験に合格できるはず”、お金も地位もない雇われ研究者の僕はそう心に決め、猛勉強を開始した。努力の甲斐があって、僕は米国医師免許を取得することに成功した。だが、資格を取得しても、すぐに臨床医になることは出来ない。また、僕が望んでいた外科医の道は固く閉ざされていた。それは、米国では外科医は医師の中でも最も地位と収入が高く、競争率が激しいからだ。内科医としての研修先であれば、イスラエル系の病院で募集があった。僕は正直迷った。当時の僕は、米国で臨床医になることにただ漠然と憧れを感じているに過ぎなかった。しかし、このように人生の大きな選択肢を迫られると、”人生で何を優先順位に選ぶべきなのか?”を慎重に考えるようになった。”米国で暮らすことが本当の目的ではない。自分が本当にやりたいことを選択しよう”と思った。それが外科医への道であり、その夢が米国で叶わなければ、日本に戻ろうと思った。悩んだ末、僕は米国での内科医より、日本での外科医の道を選択したのだった。

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コメント(2)

すごい!
英語での医師国家試験のパスなんて。。。
目的を見つけると必ず達成していくところは
お見事!ゴッド!
外科医の選択はまちがっていませんでしたね!
今あるのはその時の選択の正しさ。
しかし
先生が外科医になりたいと
思った根底にある理由とは・・・・
やはり一番技術が要求され、達成感やりがいのある仕事だからでしょうか??
chai屋

医師として何科に向くかはその人それぞれで違います。僕も医師なりたての頃は、内科医として研修したこともあります。しかし、外科医としてメスを持ったとき、これだ!っていう感覚があったんです。それが外科を選んだ理由です。それから10年以上、外科医をやっていますが、とてもやりがいのある仕事だと感じています。(^_^)

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