GINZA CUVO

2008年12月アーカイブ

ロス・アンジェルスを訪れた理由 24歳の夏、僕はロス・アンジェルスの南に位置する高級住宅街 、オレンジ・カウンティを訪れた。バンクーバーから夕刻南に向かって飛びたった飛行機は、カリフォルニア沿岸をどんどん南下しながら飛んだ。僕は飛行機の窓から太平洋をのぞいた。そのはるか彼方には日本があるはずだが、平線上には真っ赤に沈む夕日と遙かに広がる水平線がどこまでも続いていた。日本を離れてから2ヶ月が経過していた。夏休みはすでに後半を迎え、あと数週間で日本に戻らなければならない。初めての北米旅行で僕は夢のように充実した毎日を過ごしていただけに、日本に帰ることを考えると気が重くなり始めた。 前年の冬、僕はスキーインストラクターとして山ごもり生活を続けていた。 ある時僕は無謀なスキー滑降で激しい転倒をした際、右肩靱帯を痛めた。この怪我はかなりひどく、それから1~2ヶ月、肩を動かすことが出来ないほどだった。肩がが回復したと思うと、昼夜を問わず行った激しい練習の疲労から膝や肘などの関節も痛めた。そんな経験から、将来医師としてスポーツ整形外科に関われたらと思うようになった。好景気の時代、僕が所属していた著名プロスキーヤーのスキースクールには有名人たちがちょくちょく訪れた。 僕はそんな彼ら彼女たちの華やかさに憧れを感じながら、人生を模索している最中でもあった。ある日、招待された有名人の中に、ロス・アンジェルスで開業するスポーツ整形外科医師がいた。この医師の妻が日系人だったこともあり、僕はロス・アンジェルスのこの医師のクリニックを見学させてもらう承諾を得た。そんな理由で僕はロス・アンジェルスに向かった。 オレンジ・カウンティ空港のアクシデント バンクーバーからロス・アンジェルスまでは約3時間のフライトだが、夕暮れとともに眠気を感じた。放射状に広がるロス・アンジェルスのオレンジ色街明かりは、内陸に向かってどこまでも続き、この街が巨大であるのは一目瞭然だった。飛行機は着陸態勢に入ったが、長旅のせいか眠気はいっこうに収まらず、いつの間にか眠りに落ちていた。着陸の衝撃とともに僕は目を覚ました。 オレンジ・カウンティは ロスアンジェルス南部に位置し、富裕層が多いため、この地区には独自の空港があった。 飛行機が停止すると、僕は客室乗務員の指示に従うまま、 タラップから滑走路に降りた。だが正直言って、僕はまだ寝ぼけたままだった。 この空港に到着ロビーはなく、滑走路の上を空港職員に誘導されるまま歩いた。滑走路と飛行場外を分ける金網フェンスの外に出た途端、僕は機内に眼鏡を忘れたことに気がついた。僕は駆け足でフェンスの中(空港内)に戻り、飛行機に向かった。その瞬間だった。「フリーズ!」と言う大きな声が聞こえた途端、僕は何のことかわからないまま、スーツを着た何人かの頑強な男たちにあっという間に取り囲まれた。中には拳銃を手にした男もいた。僕は慌てて「機内に眼鏡を忘れたので、取りに行こうと思ったのです。」と訴えた。彼らの一人が声を荒立てながら、「あなたはこの飛行機の乗客ですか?パスポートと航空券を出しなさい!」と僕に命令した。
グアム島について 日本は晩秋を迎え、気温も一段と下がったこの時期、僕は友人の結婚式に参加するため、週末を利用してグアムに飛んだ。グアムは日本から飛行機で3時間半、北緯11°の太平洋上に位置する常夏の島である。この島も太平洋上の他の島国と同様、強国に支配された歴史がある。その昔、この島は10万人以上の原住民(チャモロ人)たちが平和に暮らしていた。16世紀に入って、海洋大国スペインが世界を君臨し、グアムもまたその植民地となった。19世紀になると、米国とスペインでのグアム争奪戦(米西戦争)に勝利した米国がグアムを支配下に入れた。第二次世界大戦中、グアムは一時日本軍の支配下に入ったが、日本軍が敗れ米国の統治領となった後、現在まで続いている。グアムは太平洋南部に位置するため、米国が中国や北朝鮮などの国々と万が一有事に陥った際、米海軍にとって重要な役割を果たす。そのため、この島の経済は軍事関連施設によるものが中心となるが、それ以外では日本からの観光客相手の産業がほとんどである。 グアムは小さな島なので観光する場所もさほどないが、しいて言えば恋人岬が有名である。恋人同士のチャモロ人の女性に目をつけたスペイン総督の手から逃れ、永遠の愛を誓い、二人はお互いの髪の毛を結んで海抜123メートルの断崖絶壁から身を投げた。この伝説の場所を恋人岬と呼ぶ。恋人岬の先端から下を見下ろすと、あまりに高くて足がすくむが、遠方を見渡すと、一面に広がった太平洋がこの上なく美しかった。 晴れ渡った青空の下の結婚式 友人のカップルは、海辺の小さな教会で、家族と友人を呼んで結婚式を行った。真っ青に広がった晴天と海を見渡しながら、絵に描いたような結婚式が行われた。以前にも記載したが、結婚式は原則的に一生に一度の大舞台、その思いはなみなみならぬものがあっただろう。二人の異なる人間が同じ屋根の下で暮らしてゆくには、決して平坦な道のりばかりではない。万一障壁が訪れたとしても、一度結婚したからには簡単に結婚をあきらめるわけにはゆかない。結婚式は、何が起きても人生の荒波を二人で乗り越えてゆくことを誓う日である。また、この日はこれまで育ってきた自分の家族から巣立ちし、新たな家族単位を作るある。教会はこのように新たに旅立つカップルを迎える神聖な場所のせいか、僕は教会に入った途端、ある種の感動を覚えた。 結婚式をどのような形式で行うかはさまざまな考え方がある。ホテルで数百人単位の人を招いて大々的にやることもあれば、たった二人の小さな結婚式もある。結婚式全く行わないで、入籍するのみの場合も考えられるだろう。どの形式の結婚が良いかはそれぞれのカップルの環境に合わせて選択する以外にない。だが、二人の幸せが末永く続く可能性を高めるには、良い日や気に入った場所を選び、 大切な家族や友人から祝福してもらい、納得のゆく結婚式を行うことが肝心なのかもしれない。そして、結婚式から得た”成功イメージ(達成感)”を保ち続けることが出来れば、人生上の紆余曲折を乗りこえてゆけるのかもしれない。

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