GINZA CUVO

2008年4月アーカイブ

野生児、マーク サーフィン生活は一ヶ月を過ぎた。僕はもはやこのバンガローの古株の1人になっていた。もっと古株だった南アフリカ出身のマークは、トライアスロン・ワールドカップ出場のトレーニングを行っていた。年齢は24歳、僕と同じくらいだったが、度胸と体力に秀でたこの白人の若者は、バンガローの番長格だった。マークはトレーニングの一環としてビーチバレーを行っていた。球技が得意な僕は、ビーチバレーのセッターとして、マークにスパイクの打ちやすいトスを上げると、彼にすっかり気に入られた。マークと僕のチームは、他のバンガローの連中と試合をしても、負けなしだった。“スポーツで頭角を示すと、周りから認められる。”このルールは世界共通なのだろう。僕はマークの相棒として、バンガローでは一目置かれる存在になっていた。 サーフィンの出来ない波の小さい日、僕たちはハイキングやダイビングに出かけた。波の小さいある日、マークが「クリフ・ジャンプ(崖から海へのダイビング)に行こう。」と提案した。マウイ島の南側、ラハイナ、カアナパリは、風光明媚な観光地帯だが、ここには断崖が海に落ち込む場所がいくつかある。その一つは高さ20メートル、ビルの高さだと五階に相当する崖が、海の上にそびえ立っていた。崖下をのぞき込むと、濃紺の海が波で大きく揺れていた。その波は岸壁にぶつかると、大きな白い波しぶきをあげていた。海の色から、この高さから飛び込んでも、十分な水深があるのは一目瞭然だった。日頃のサーフィンのトレーニングで、泳力には自身があったので、僕は飛べると思った。 この冒険にはバンガローのサーフィン仲間、10名が参加した。マークは「さあみんな、飛ぼうぜ!」と、風に負けない大きな声で言った。仲間の1人が恐る恐る崖下をのぞき込み、「風が強すぎる。風に押されて、体が崖にぶつかるかもしれない。危ないからやめよう。」と言った。マークは「崖から助走をつけて、できるだけ遠くに飛べば大丈夫さ!いいかい、みんな俺が飛ぶのを見てろよ。」と言った後、いきなり着ていたT-シャツをはぎ取った。彼は僕に向かって「タカ、俺が飛んだら、次にお前が飛ぶんだぞ!」と言った。その後すぐに、彼は雄叫びを上げなら、勢いよく海に飛び込んだ。僕たちは崖ぷちに近づいて、海の中のマークを探した。飛び込んでからしばらくすると、マークが海面に顔を出した。波風の音でマークの声は聞こえないが、しきりに身振りで僕たちに“早く飛べ。”と合図していた。相棒のマークが飛んだからには、僕が飛ばないわけにはいかなかった。僕は度胸を決めて、思い切り飛び込んだ。風で体が揺れているのがわかった。次の瞬間、ものすごい衝撃とともに海に着水した。体はどんどん海の深くに沈んでいった。これ以上沈まないところで、僕は海面に向かって必死に泳いだ。海面は大きな波で揺れていたが、周りを見渡すとすぐそばにマークが浮かんでいた。彼は「なかなかいいジャンプだったよ!」と僕に声をかけた。 裂けた唇 結局5名がクリフ・ジャンプを試みた。飛び込んだ皆が海面にそろった段階で、マークは皆に「陸に戻るからついてこい。」と言った。飛び込んだ崖の下まで泳ぐと、マークは波が彼の体を押し上げる勢いを利用して、崖にしがみついた。彼がやったように、波のタイミングをうまく利用しなければ、逆に体は引き波で崖から遠くに引きずられる。仲間の1人は壁にくらいついたが、引き波に捕まって、海中に逆戻りした。僕は、波のタイミングを見計らって、なんとか崖にへばりつくことに成功した。上を見上げると、マークがどんどん崖を登ってゆく。水際の崖壁は、海草が生えていてつるつる滑る。マークのように易々と崖を登ることはできなかった。 僕は飛び込むのに精一杯で、どのように戻るかは全く考えていなかった。実際には飛び込むより、崖をよじ登るほうがずっと困難だった。僕はなんとか登りきったが、極度の疲労で全身が脱力感に襲われた。崖上の地面で、しばらく真っ青に広がる青空を見ながら、大の字になって横たわっていた。すると、マークが僕の顔をのぞき込んで、「お前、口の中から血が出ているよ。」と言った。僕は上半身を起こして口の中を指でさわってみると、上唇の中が裂けていた。マークは続けて、「クリフ・ジャンプのように高所から飛ぶ場合は、しっかり口を閉じていないと、水圧で唇の中が切れてしまうよ。」と言った。僕はそんなことも知らずに、口を開けっぱなしで飛び込んでいたのだ。マークに唇の怪我を指摘されると、上唇の中が突如、ひりひり痛み出した。マークは、「タカ、もう一回飛ぼうぜ!今度は口をしっかり閉めるんだぞ。」と笑いながら言ったが、僕は今度飛んだら、崖の上に戻れる自身がなかった。「もう、止めておくよ。」とマークに言った。その後、マークはたった1人で、また例の雄叫びをあげながら、再び崖下に飛び込んでいった。
世界中から集まった若者たち バンガローでの共同生活は、自然のリズムに調和した極めて健康的な毎日だった。エアコンのない木造のバンガローの共同部屋は、就寝中も窓が開けっ放しだった。朝、辺りが明るくなり始めると、涼しい風と小鳥の鳴き声が開いた窓から部屋の中に入ってきた。日々のサーフィンの疲労のせいか、ベッドから簡単には起き上がる気がしない。だが、この自然の朝の気配は時間の経過とともに強くなり、午前9時にもなると、うかうか寝ていられなかった。 朝食にはマフィンやシリアル、バンガローの庭に育つバナナやマンゴーなどの果物を庭で食べた。朝食が終わる頃、ハワイ特有の容赦ない日差しが照りつけ始めていた。ヨーロッパ人の友人たちと全部で5名、僕が借りたレンタカーに便乗して、バンガローから15分程度の海へ向かった。一番仲良しのドイツ人、ヨルグは、窓から吹き込む風に見事な金髪をなびかせながら、短パンのみの格好で助手席に座っている。ヨルグはバッグ・パックからおもむろににんじんを取り出し、丸かじりし始めた。ヨーロッパ人たちはお腹がすくとリンゴやバナナなどの果物や野菜をよく食べる。僕も彼らの影響を受け、健康的な生活習慣が身についた。 長期間、彼らと生活していると、各々の国で人々の気質が違うことに気がついた。ドイツやスェーデン、ノルウェーなどのスカンジナビア諸国の人たちは、日本人の気質に似ていて、集団行動が得意で4~5人で行動する。一方、ヨーロッパでもイタリア、フランス人は、どちらかというと単独行動を好み、多くても二人程度で行動する。英国人も単独行動する場合が多いが、イタリア、フランス人よりも友好的で、独特なユーモアがあった。ニュージーランド、オーストラリア人も多数いたが、彼らは人なつっこく、純粋なキャラクターのことが多かった。遠方からはブラジルや、南アフリカに住む白人もいたが、彼らは自己主張が強く、髪型やファッションが個性的だった。ハワイはアメリカ合衆国であるにもかかわらず、驚いたことに約30名いた宿泊客の中に米国人は一人もいなかった。何故だろうと思い各国の人たちに尋ねると、「個人主義をとても重んじる米国人たちが、このような共同生活に自ら参加することは極めて稀です。」と答えた。さまざまな国の若者たちと交流することで、 ある日の夕方、僕はマフィンを一ダース買って、その一つを食べた後、共同冷蔵庫にしまっておいた。翌朝、残りのマフィンを食べようと冷蔵庫をのぞき込んだが、跡形もなかった。お腹をすかした若者たちとの生活は全てがこんな感じ。つまり、共同生活においては自分の物はみんなの物でもあった。僕は、この生活を通して日本と世界の常識の違いを知ることになった。しかし、こういった経験が、その後、世界基準で生きてゆくのに不可欠な要素となった。

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