GINZA CUVO

2008年3月アーカイブ

飯島夏樹さん その午後、僕はこのビーチで無我夢中でサーフィンの練習を行った。ハワイの4月の気温は30℃と暖かい。だが、北カリフォルニア方面からから西に向かって流れる寒流の影響で、海水温は25℃程度と意外に低い。体幹部を包むウエットスーツを着用していたが、陸に海の中に3~4時間近くつかりっぱなしでいると、強い風に体温を奪われ、体が冷えた。夕刻4時近くなると、日中燦々と照り続けていた太陽はマウイの海に沈み始め、すでにその勢いを失っている。太陽光で暖をとることはできないが、ビーチの砂はまだ暖かい。僕は冷えた手足を砂に埋めると意外に暖かく、ほっとした。仰向けになっていると、顔についた海水が目に流れ込んできた。海水で凍みる目をなんとか開けると、ハワイの澄み切った青空が一面に広がっていた。それは「ついに憧れのハワイでサーフィンが出来た。」と充実感と幸福感に包まれる瞬間だった。 しばらくすると太陽は真っ赤に染まり、海の彼方へ沈み始めた。もう誰もいないだろと思いながら遠くの海を眺めていると、1人のサーファーがすでに暗闇に包まれ始めた沖か戻ってきた。この男性は真っ黒に日焼けした大柄な日本人だった。彼は当時日本のトップサーファー、飯島夏樹さんだった。僕は「こんにちは、飯島さん。いつも応援しています。」と声をかけてみた。彼は「ありがとうございます。なんとか世界で勝てるよう頑張ります。」と、さわやかなほほえみを浮かべた。飯島夏樹プロは数年前、肝臓癌で他界するまで、日本のサーフィン界で圧倒的な強さを誇っていた。持ち前の体力で最後まで癌と闘い、あきらめないことの大切さを彼は著書や映画で訴えていたのが記憶に新しい。20年近く前のこの日、彼が情熱を注ぎ続けたサーフィンの姿を僕はマウイ島で垣間見た。 外人コンプレックスの解消 帰り支度をする頃、辺りは真っ暗になっていた。まだハワイに滞在して2日目であったが、次々に起こる新しいことの連続に僕の心は躍った。“やっぱりここへ来て良かった。” 砂だらけの裸足のまま、海辺からハイウェーに通じる凸凹道をゆっくりと運転しながらそう思った。バンガローに戻ると、お腹がぺこぺこになっていた。夕食はバンガローの外庭で5ドル払うと、ステーキ、焼芋、サラダがたっぷり食べられる。夜7時から始める夕食には世界中から集まったサーファーやバックパッカーたちが勢揃いした。食事をしながら僕は一人のドイツ人に「ハワイにどれくらいの期間滞在する予定ですか?」と尋ねた。 「2週間です。」 「学生ですか?」 「はい。新学期前の休みを利用して3ヶ月ほど世界を旅しています。」 「随分長い休みが取れるのですね。」 彼は「ドイツでは社会人になっても、一年に6週間の連続休暇を取ることが義務づけられています。休みを取らないと違法となり、減給されることもあります。」と言った。 僕は「僕の父は日本のサラリーマンですが、過去30年間3日以上連続で休みを取ったことありません。」と続けた。 彼は「そんなこと信じられません。あなたのお父さんは何のために生きているのですか?人生は楽しむためのものです。仕事をするために生まれてきたようでは本末転倒です。」と訴えた。彼らとの会話を通して世界と日本の常識の隔たりを強く感じることになった。 コミュニケーションを続けるうちに、僕はドイツ、スェーデン人たちと、とりわけ仲良くなった。サーフィンに行くのも、食事に行くのも彼らと一緒に行動を共にするようになり、一種の連帯感が芽生え始めた。肌の色の違いはほんのちっぽけなもので、その中にある物(ハートや感情)はどの人種だろうと変わらない。自己主張をしっかり相手に示すこと、それは自分の存在意義を相手に認めさせることになる。これが世界基準のコミュニケーションの核心なのだ。それを実践出来るようになると、僕がその頃強く感じていた外人コンプレックスはいつの間にかなくなっていた。それから一ヶ月間、僕は毎日海に通い、現地の人と見分けが付かないくらい真っ黒に日焼けした。サーフィンの腕もみるみる上達していった。
ハワイの海 朝9時近くになると、部屋の仲間たちは目を覚ました。彼らは新しい同居人の僕に、眠たい目をこすりながら挨拶と自己紹介をした。昨夜このバンガローに到着したときの緊張感はもはや感じなくなっていた。このバンガローには常に旅人が出入りしている。僕が彼らを意識するほど、彼らは僕のことを意識していない。きっと彼らは僕のことを小柄な東洋人がやってきた程度にしか考えていなかっただろう。そんな開き直りが出来てから、僕は次第に自身と元気を取り戻した。その日の朝、僕はサーフィンの道具を調達にサーフィン・ショップに向かった。ハワイでのサーフィンは一体どんな感じなのだろう?胸をわくわくさせながら海に向かって車を走らせた。海辺までの道は防風林で覆われていて、なかなか海が見えない。道路が丘に向かって上り始めると防風林がとぎれ、見通しが良くなり、急に海が見えてきた。ハワイの波は北太平洋の彼方から一定のリズムでやってくる。沖からやってきた大きなうねりは岸辺近くの珊瑚礁リーフの浅瀬に近づくと、大きな白波に変化する。その様子が車を止めた丘の上からよくわかった。“おやっ?”と思った。大きな波の中に何かが見える。さらに車を近づけるとそれがサーファーだとわかった。波の大きさは少なく見積もってもサーファーの背丈の3倍以上はある。こんな大きな波を見たのは初めてだった。僕は車を丘の上に止めて、水際まで夢中で駆け下りた。浜辺は風と波が砕ける音が鳴り響き、水しぶきが強風で目を開けるのもやっとだった。ついにここまでたどり着いたと思った。 波は浜辺近くで大きくせり上がった後、ブレイクする。その大波に数人のサーファーたちが果敢に挑戦していた。1人のサーファーは大きな波に乗ったと思いきや、その波に飲み込まれた。その波は浜辺近くの浅瀬で砕け、真っ白に混濁した泡状の海水に変化した。僕は固唾を飲んでそのサーファーの行方を追った。だがサーファーの姿はなかなか見つからない。しばらくすると、真っ白な海水の中からサーフボードとサーファーが姿を現した。その間数十秒、サーファーは水面下で波にもまれていたのだ。“もし僕自身があの波の中に飲み込まれたらどうなるだろう?”、僕の心は恐怖心でいっぱいになっていた。浜辺には多数の観客がいた。僕はその中の1人に「随分波が大きいようですが?」と尋ねてみた。その男は「これがハワイのビッグウエーブ、この春一番の大きさだよ!」と興奮気味に答えた。腰くらいの高さの北海道の波しか経験したことない僕は、世界中で一番大きな波を間近で見ていた。ハワイ滞在期間は1ヶ月余りしかない。僕は丘の上に止めた車に戻り、マウイ市街近くのビーチに戻った。この波風穏やかなビーチでサーフィンの腕に磨きをかけなければ、あの大波には到底太刀打ちできない。その日の午後、僕は1人でサーフィンの特訓を開始した。

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