GINZA CUVO

2008年2月アーカイブ

バンガロー到着 車を右往左往させながら、僕はなんとか宿泊予定のバンガローに到着した。時刻は午後3時を廻っていた。中に入ると正面カウンターあたりから、テンポの良いラジオソングが流れている。中に人影はなく、皆出払っているようだった。僕は「誰かいませんか?」と呼びかけてみた。何度が呼び続けると、上半身裸、ジーンズを膝上まで切り取ってショートパンツを履いた大きな白人男性が現れた。身長は190cmくらいだろうか。僕は彼を近くで見上げると長い金髪をなびかせていた。僕は一瞬たじろいだ。彼は「今日は暑いね。でも波が大きいからサーフィンには最高だよ。」と言った。僕は「えーと。今晩からここに宿泊したいのですが。」彼は「ようこそ、私たちのバンガローへ。あなたの名前は?」と続けた。僕は自分の名前を告げた。彼は「部屋は4人部屋、前払制で一泊10ドルです。何泊する予定ですか?」僕は黙った。新しい環境、言葉の壁、この男との体格差、全てに圧倒された。ここでしばらく暮らしてゆく自身がすぐにはなかった。彼は僕の不安そうな様子を察したのか、「心配しないで。退出前日までに知らせてくれれば結構。」と言った。 チエックイン終了後、彼は僕を部屋へと案内した。部屋に入った途端、汗の臭いがぷんとした。一泊10ドルの共同部屋なので、その程度のことは覚悟していた。僕は部屋の中を見回した。二組の二段ベッド部屋の壁側にお互いが向き合うように置かれていた。バックパッカーと思われる若者が宿泊しているのだろうか?ベッドの周りに大きなバックパックや、ハワイの地図が無造作に置かれていた。僕には一方の二段ベッドの上が寝床としてあてがわれた。とりあえず体を休める場所が決まるとほっとしたのだろう。僕はすぐに激しい眠気に襲われた。それもそのはず、日本時間にすると昼過ぎまで夜通し起きていたことになる。僕は一休みしようと横になったが、何か物足りない。よく見るとベッドの上には枕が一個と、薄っぺらなシーツが一枚置いてある。だが、毛布や掛け布団らしきものは用意されていなかった。ハワイは常夏なので、体の上には何もかけないで寝るのだろうか?だが、寝るときは夏でも何かにくるまって寝る習慣のある僕は、体の上に何もかけずに寝るのはどうも落ち着かない。 僕はもう一度受付に戻って、「すみません。毛布はありますか?」と尋ねてみた。受付の彼はきょとんとした顔をして、「えっ、毛布?ちょっと待ってください。探してみます。」と言いながら奥の方に入って行った。しばらくすると「一枚余っているのがあったよ。でも、ハワイは暖かいから毛布なんか必要ないと思うけれど。」と言いながら僕に毛布を渡した。よく見ると毛布はぼろぼろでしみだらけだったが、ないよりはましだった。僕は体に毛布を掛けた途端、安心してあっという間に眠りに落ちた。 自己紹介 あたりのざわめきに気がつき、目を覚ますと辺りはすでに暗くなっていた。時計を見ると午後7時近かった。3時間ほど眠りに落ちていたことになる。頭を持ち上げて部屋の中を見回したが、誰もいなかった。耳を澄ませると、先ほどの受付辺りから話し声が聞こえてきた。部屋のドアを少しだけ開けて声の聞こえてくる方を覗いた。受付近くのソファに3~4人の若者たちが腰掛けながら、楽しそうに話していた。僕は部屋から出ようと思ったが、見知らぬ外国人たちにが気になり、足を踏み出せなかった。当時の僕は自分のことを、小柄で英語も話せないちっぽけな日本人と認識していた。つまり、自分に自信がなく、体格が大きくて颯爽としている外国人たちに対して、明らかな劣等感を持っていた。だが、現状を打開するにはこの部屋を出て、彼らに自己紹介する以外なかった。 僕は勇気を奮い起こして部屋を出た。彼らは僕と同じくらいの年齢だろうか?「こんにちは。」僕はこわばる表情を出来るだけ柔らかくして話しかけた。彼らの一人がにこにこしながら「やあ、こんにちは。君はどこかからきたの?」と尋ねた。「日本から来ました。」彼は僕に近寄って握手を求めた。彼は続けて「僕の名前はヨルグ。ドイツのハンブルグからサーフィンのためにマウイに来ました。」と言った。「日本の北海道を知っていますか?札幌です。昔、冬季オリンピックが開催されたことがあります。」僕は慣れない英語を使って自己紹介をした。このドイツ人の若者はさらに何かを伝えようとしたが、なかなか言葉が出てこない。彼はようやく何か言い始めたが、ドイツ語なまりが強く、何を言っているか理解できなかった。彼は僕に向かって照れながら「ごめんなさい。僕の英語はへたくそなのでうまく説明できません。」と言った。僕はとっさに「僕の英語もあまりうまくありません。これからしばらくここで暮らします。よろしくお願いします。」と微笑みながら答えた。この自己紹介を終えると、僕が部屋を出る前に感じていた不安はすっかり解消された。その夜、僕は疲れが限界に達して、近くのコンビニショップのサンドウィッチを食べた後、すぐに眠りに落ちた。 辺りが明るくなっているのに気がつき、僕はふと目を覚ました。少しだけ空いている部屋の窓から朝の涼しい風が吹き込んでいた。朝を告げる小鳥たちの賑やかなさえずりが聞こえてきた。時計を見ると午前6時頃だった。約12時間近く、ぶっ通しで寝ていたことになる。この部屋の住人たちは戻ってきているのだろうか?二段ベッドの下をのぞき込んでみた。下のベットには大柄の白人男性が裸同然の姿でぐーぐー寝息を立てながら寝ていた。向かいの二段ベッドを見ると、北欧人らしき金髪白男性の若者たちがぐっすり寝ていた。ハワイの午前6時は日本時間で真夜中12時に相当する。僕は彼らを眠りから起こしてはまずいと思い、もう一度寝ようと目をつぶった。しかし、たっぷり寝たせいか、さすがにもう一度眠ることは出来なかった。部屋の天井を見ながら、つい数日前のまだ春にはほど遠い北海道のことを考えた。“日本から飛行機で7時間飛んだだけでこんな別世界に来れるなんて。”ハワイに到着したときに感じた不安はもうどこかに行ってしまった。その代わりに、これから起こるであろう全く未知の経験や、新しい人たちとの出会いへの期待で胸が膨らみ始めていた。
医師国家試験 2月末の札幌、1年で一番寒い季節を迎えていた。僕は医大でのカリキュラムを全て終了し、医師国家試験までの残り一ヶ月を受験勉強に費やす毎日だった。アリとキリギリスの童話にたとえると、僕は典型的なキリギリス型。追い詰められるまで何もしない性格なので、医師国家試験合否の行方も最後までわからない。残りわずかな時間、もう少し頑張って医師国家試験に合格すれば、その後少なくとも1ヶ月半は自由の身となる。つらい試験勉強を乗り越えるため、僕は試験終了後に自分自身にご褒美を用意した。それはサーファー憧れの地、ハワイでのサーフィン修行だった。 医学生時代、僕は冷たい北海道の海でサーフィンに情熱をかけていた。自然と一体感が得られるこのスポーツには中毒的要素があり、やればやるほどはまった。皮肉なことに夏の北海道の海は波風が弱く、サーフィンには物足りない。逆に冬、波風はサーフィンには格好のコンディションだが、雪の降りしきる中で海に入いると、寒さで凍えそうになる。そんな命がけのサーフィンはもうこりごりだと思った。北海道で思う存分サーフィンが出来ない欲求不満を持ちながら、僕はいつかハワイで思いっきりサーフィンすることを夢見ていた。 夜型生活が性に合うのか、受験勉強をしていると日に日に寝る時間が遅くなってゆく。“そろそろ寝なければ。”と思うが、神経が高ぶっていて簡単には寝つけない。勉強を終える頃、時計を見ると時刻はいつも午前3時を廻っていた。その頃、僕は受験勉強の合間を見て、旅行準備を進めた。ハワイと日本の時差は16時間、日本の午前3時はハワイ時間で、前日の午前10時であった。一人旅なのでサーフィン雑誌に掲載されている“バンガロー”(ハワイで一般的な平屋建ての宿)に直接電話をかけた。いざ自分1人で予約を取るとなると、僕のつたない英語に不安を感じ、胸の鼓動が高鳴った。やっとの思いで宿の予約を取ることに成功した。時計を見ると時刻はすでに早朝5時を廻り、窓の外は明るくなり始めた。雪が降る寒い朝だったが、僕の心はすでに楽園ハワイに向かい始めていた。3月末に行われた医師国家試験、僕はベストを尽くした。友人たちと答え合わせをすると、合格ラインに達していた。ぼくは心の中で“やった!”と叫びながら幸せを感じた。 マウイ島 試験終了2日後、僕はハワイに飛んだ。4月上旬のハワイ、太陽がさんさんと降り注ぎ、気温は優に30度を超えている。日本から国際便が乗り入れるホノルル空港にはたくさんの日本人観光客がいた。僕の最終目的地はマウイ島だ。ホノルル空港発マウイ島行きの国内線に日本人の姿はない。頼れるのは自分一人だったが、当時の僕は要を足せるほどの英語力しかなかった。30分ほどの飛行時間でマウイ・カフルイ空港に到着した。この空港は天井が吹き抜けで、小鳥たちがさえずりながら出たり入ったりしている。マウイはいかにも楽園らしい雰囲気が漂っていて、着いた途端、この島を好きになれそうな気がした。 空港に到着してまず必要なのがレンタカー、あらかじめ予約していたものの、どうしたらよいのか全く検討がつかない。アメリカは車がなければ何もできない。数日前終えたばっかりの医師国家試験のことはもう頭にない。誰も頼れる人のいない海外で、この先どう乗り切るかで急に不安になった。時刻は正午を廻り、照りつける太陽で体から流れ出る汗が止まらない。いらいらしながら、“こんなにつらい思いをするはずじゃなかった。”とぐちったが、どうにもならない。とにかく前に進むしかない。しばらく空港内外を右往左往して、ようやくレンタカー事務所にたどり着いた。何とかレンタカーを借りるのに成功した。 しかし当時の米国レンタカーにはナビもなく、どうやって宿に行けばよいのか皆目見当がつかない。レンタカー事務所で宿の場所を教えてもらっても、英語が早すぎてさっぱりわからない。僕はわかったふりをして首をたてに振りながらレンタカー事務所を退散した。大学を卒業したばかりの25歳の僕。昔から後先を考えずに行動する癖があったが、今回ばかりは途方にくれた。“このまま旅行をキャンセルして、日本に帰ろうか?”とさえ考え始めた。 車の冷房を最大限に効かして頭を冷やすことにした。しばらく呆然とした。ラジオのスイッチをひねると、昔良く聞いていたポップソングが流れていた。こんな時に懐かしい音楽を聴くと、とても感傷的な気持ちになる。同時にこの音楽に勇気づけられてか、全身に力がみなぎってきた。“夢にまで見たハワイにまで、せっかくたどり着いたのに簡単にあきらめるわけにはゆかない。きっと何とかなるさ!”僕は車のリクライニングシートを真っ直ぐに起こした後、ゆっくりと車を動かし始めた。

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