GINZA CUVO

2007年7月アーカイブ

再発作の可能性 旭川医科大学部附属病院は旭川の西にある丘陵地帯に位置していた。目の前には美瑛、富良野に伸びる田園地帯があり、その先には壮大な大雪山系がそびえ立つ。脳外科病棟のある11階からはこの大自然の風景を一望に見渡せた。9月の旭川はすっかり秋めいていた。秋風の冷たさを肌に感じながら、半年後に卒業、医師国家試験がすぐにやってくることを実感せずにいられなかった。 実習の終わる夕方5時頃、陽が落ちるのが早い旭川の空はすでに黄金色に染まっていた。それぞれの患者さんを担当する実習仲間たちもこの時間、みな医局に戻ってきた。友人たちは僕に向かって「お前が担当のあの可愛い患者さん、調子どうなの?」と冗談半分に聞いた。僕は「難しい症例だから、どうしていいかさっぱりわからない。」と答えると、友人はすかさず「まあ、遅刻してきたお前が悪いんだからしょうがないよ。」と言った。 当時僕は24歳の医学生、患者さんが15歳の美少女であることを意識し過ぎ、挨拶をするのが精一杯。担当医の診察を真似してみたものの、ぎこちなかった。だが、僕が毎日顔を出していると、少女も少しずつ心を開き始め、笑顔を見せるようになった。大学病院に入院する数週間前、突如起こった脳内出血発作で彼女は意識不明に陥った。幸運なことに意識はすぐに回復し、この発作による後遺症はなく、彼女は一応回復に向かっていた。 娘の年齢にしてはやや年配に見える母親は、僕が病室に顔を出すと「毎日ご苦労様です。」と微笑んだ。僕は「今回の発作がとりあえず落ち着いて良かったですね。」と答えた。少女の母親は、担当医から今後再発作を起こす可能性があること、手術不可能であることを告知されていた。しかしこの母親は、一度発作を起こした以外、いつもと変わらない娘を見て、症状が悪化する可能性があることは信じたくなかったであろう。母親は「突然のことで本当に驚きました。この子は私が高齢で出産したせいか、苦労してここまで育てました。なんとか良くなってくれるといいのですが。」と語った。 治療法の選択肢 僕自身もこの少女を何とか助ける方法を調べに毎日図書館に通った。その中に脳血管内にカテーテルと呼ばれる細い管を通して、破裂しそうな脳動静脈奇形を薬液で固めるという治療があった。当時、東京の最先端病院ではその治療が可能だったが、まだ試験段階であった。この最先端医療は保険適応とならないため、高額の自費が必要となった。一般家庭に生まれた少女が高額な費用を払って、その治療を受けることは現実的に不可能だった。つまり、この少女の場合、これ以上破裂が起きないよう安静にさせる以外なかった。 僕はこの最先端医療についてレポートをまとめて実習を終了した。僕の実習担当医は、「君は実習を遅刻して来たわりに、よく勉強をしました。」と僕の発表を評価した。しかし、彼女の病を治すことが出来ない現実に僕は打ちのめされ、それどころではなかった。少女は僕の実習担当が終了して間もなく、医学部附属病院から市中病院へ再転院となった。 転院後の少女 脳外科実習が終わっても、僕はこの少女がどうなったか気になっていた。少女が転院してから数週間後、僕は転院先の病院に電話をして、母親に彼女の様子を尋ねた。少女は変わりなく元気にしてると言う。僕はそれを聞いてほっとし、しばらくしてから少女の様子を見に行った。大学病院よりもずっと賑やかな病室で、彼女は以前と変わらず静かにベットに腰掛けていた。少女は僕をみてとても喜び、「たくさんの医学実習生が担当しましたが、わざわざ見舞いに来てくれたのは先生だけです!」と初めて感情を現にした。僕は照れながら、「近くに用があったので、顔を出してみました。元気そうで安心しました。」と答えた。そばにいた母親も涙を流しながら僕のお見舞いを喜んだ。僕は「このまま良くなると良いですね。」と少女に伝えると、少女は「早く学校に戻りたいんです。」と答えた。“元気そうで良かった。もうこれ以上、少女に何も起こらないでほしい。”僕はそう祈りながら病室を離れた。 少女との最後の面会からすぐに僕の医学生生活は窮地に追い込まれた。すでに半年後に迫っていた医師国家試験の準備をほとんどしていなかったので、模擬医師国家試験の結果は不合格確実と判定されてしまったのだ。僕は内心“このままではまずい。”と焦り、猛勉強を開始した。それからしばらくしてからだった。少女の母親から“娘が再発作を起こした。”との連絡が入った。
脳動静脈奇形 カルテを見ると、彼女は高校での授業中、突然倒れて市中病院に救急車で運ばれた。診断は脳内出血だった。15歳という若さで脳内出血を起こすことはまれなので、僕の通う医学部付属病院に紹介された。脳外科病棟には脳卒中などを患い、意識もままならない重症患者さんたちが多く入院しており、深刻な雰囲気が漂っている。病室に入ると、あどけない少女が一人ぽつんとベッドに腰掛けていた。突然起きた脳内発作に本人自身、何が起きたかわからなかったのだろう。僕は傍らに付きそうお母さんらしき女性と挨拶を交わし、医学実習生として彼女を担当することを伝えた。ベッドの周りを見ると、同級生の写真や彼女の回復を祈って、同級生が折った千羽鶴がある。僕が「こんにちは。」と少女に話しかけると、彼女は小さな声で返事をした。この少女にいったい何があったのだろう?僕はこの少女の病気に急に興味を持った。 カルテを見ると病気の名前は“脳動静脈奇形”。脳動静脈奇形は10万人に1人の先天性疾患である。脳内血管が生まれつき弱く、いつでも破裂する危険性がある。そのまま放置していると10~40歳代で脳出血を起こす可能性が高い。一度脳出血を起こすと、再発することが多いやっかいな病気である。脳出血を起こすと、神経麻痺や意識喪失、最悪死に至る。治療は手術で奇形のある血管を除去するしかない。しかし、その病変部位が脳の奥深くに存在すると手術不可能である。つまり、頭の中にいつ破裂するかわからない爆弾を抱えているようなものだ。果たしてこの少女の場合は治療可能なのだろうか?僕の興味はその一点に集中した。 難病への対応 病棟では夕方からも医師たちは患者さんの検査、ナース・ステーションでカルテ書きなど忙しそうに働いている。特に決められた仕事のない医学生たちは、もっぱら医師たちの診療を観察する。実習担当医師は超多忙で、学生たちがきちんと実習しているかどうかなどかまっている暇はない。そのせいか、臨床医学実習は事実上さぼり放題だった。この少女の担当になるまで僕はしょっちゅう実習を抜け出していた。当時の僕は何か目的があって実習をさぼっていたわけではなく、ただぐうたらなだけだった。そんな僕が突如、病棟で真面目にカルテを読み出したから、仲間たちは「どうしたんだい?急に真面目になって!おまえらしくないよ。」と驚いた。勉強は好きでなかったが、この少女がどうなるか心配になり、いてもたってもいられなくなっていた。カルテを読んでも英語や略語の聞き慣れない言葉が多く、さっぱり意味がわからない。僕は思いきって担当医に「カルテを読んでもさっぱり意味がわかりません。この患者さんの場合、良い治療方法はありますか?」と尋ねてみた。担当医は僕に向かって「彼女の場合、動静脈奇形が脳の奥深くにあります。残念ながら治療は不可能です。」と答えた。僕は呆然としながら「あの患者さんは今後どうなるのですか?病気を治す良い方法は手術以外に何かありませんか?」と続けた。担当医は「この病気についてよく勉強して、君なりにどうすべきか考えてみなさい。」と僕に言った。担当医が実習に遅刻してきた僕に、最も対処の難しい患者を担当させたということを実感した。
実習初日 美容医療は、痛みや命に関わる病を治療するのではなく、治療対象は常に健常人。しかし、健常人でも顔にコンプレックスがあれば、繊細な方だとそれが原因で引きこもりになることすらある。美容医療によってそのコンプレックスを解消出来ると、前向きになることで健康的な生活に戻せる。そう考えると、美容医療も人助けのための通常の医療行為と変わりない。だが、いまだに美容医療には“特殊で日陰的なもの”といった印象がつきまとう。では、僕は何故美容医療を選択したのだろうか?それは、僕が医師を志してから経験したことを僕がどう感じたかに深く関わっている。早速いくつかの思い出深いエピソードを振り返ってみようと思う。 医師となるには医学部に入学することが唯一の条件となる。実際に入学すると6年間の長い学生生活が待っている。元来、不真面目な僕はつねに授業はさぼりがちだった。そのせいか学業の成績も常にぎりぎりで、いつも落第の危機にさらされながら、やっとの思いで最終学年までたどり着いた。医学部最終学年になると、臨床実習と呼ばれる患者さんたちを実際に担当する実技を行わなければいけない。 すっかり、秋めいてきた9月のある日、脳外科実習が始まった。“そろそろ、真面目にならなきゃ。”と思いつつ、実習初日からまたもや遅刻をしてしまった。おそるおそる脳外科病棟の会議室に顔を出すと、同じ実習グループの仲間たちが真剣な面持ちで実習担当医の話に耳を傾けていた。こっそり部屋に入ろうとしたが、すぐに見つかり実習担当医はちらっと僕を見た。頭を下げて席についた途端、担当医師は僕に向かって「そこの遅刻してきた君、この症例を担当してもらいますよ。」と言った。 渡された書類には患者:15歳(高校一年生)、女性と書いてあった。「随分若い患者さんだけどどこが悪いのだろう?」、これが僕の第1印象だった。実習は4人一組のグループで構成されていた。他の仲間たちにはみな60歳以降の患者さんが割り振られていた。終休憩時間になった途端、僕は実習仲間に向かって「やったー、若い患者さんで良かったよ!」と喜びを伝えると、仲間の一人が「やっぱり、お前は何もわかってないよ。」と答えた。僕は「どういうこと?」と伝えると、彼は「お前が遅刻してきたから、その罰として一番難しい症例を与えられたのさ。」と言った。“そういうことだったのか。”、僕は不安に思いながらその患者さんと面会した。 “美少女患者との対面” 病室に顔を出すと、その患者さんはいわゆる“美少女”だったので、思わず面食らった。医師はどのような患者さんに対しても平等であるべきで、私情を挟むべきではないが、“ひよっこ”医学生の僕に、感情をコントロールすることなど無理だった。“美少女”であることを意識するあまり、簡単に話しかけることすらできなかった。この少女の病気は脳動静脈奇形という生まれつきの難病だった。脳動脈の中に弱い部分があり、発作的に破裂し脳内出血を起こすという厄介なもの。ご存じの通り脳内出血は生命に関わる重篤な疾患である。治療は、手術によってその血管の弱い部分を切り取ってしまえばよいのだが、その場所が脳の奥深くだと手術的に治療することは不可能となる。この少女の場合、弱くなった血管が脳の奥深くにあったので、当時の技術ではどうすることも出来なかった。大学病院に運ばれる症例には、この患者さんのようにどうすることも出来ない難病が少なくなかった。当時の僕はそんなこともつゆ知らず、“美少女患者”を受け持つことが出来て幸運とすら思うほど脳天気だった。

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