GINZA CUVO

2006年6月アーカイブ

日本の大学生の悪しき習慣 日本の大学生は厳しい受験勉強から解放され、大学に合格した途端、不勉強になる。僕はまさにその典型だった。医学部に合格するやいなや思った事は「やったー。これで医学部を卒業して医師国家試験さえ通れば、将来は心配しなくていいのさ。父のようにサラリーマンにならなくて済む。」という気持ちだった。父の姿を見て、日本のサラリーマンがいかに過酷かを知っていたからかもしれない。父は年に3日以上続けて休みをとる事すらできないまま、40年以上働き続けていたのだ。僕にはそのような生活は到底出来っこないと思っていた。医師になれば手に職がつくので、そこまで過酷に働くなくても生きてゆけるだろうと漠然と考えた。 日本の大学生の悪しき習慣に従って、僕は不勉強な大学生に陥った。僕は講義室の後方でぶらぶらし、出欠の確認をとるために配られる出席カードにサインするやいなや、講義室を抜け出すような毎日だった。講義室の前には真面目な医学生が常に張り付いて講義を聞いていたのだが、「よくも毎日、退屈もしないで長時間座っていられるものだ。」と感心していた。しかし、僕は講義を抜け出して何かしていたわけではなく、ただ、だらだらと時間を無駄にした。僕が学生時代に心がけた事は必要最小限の勉強のみで試験に合格することだった。席の前方に座っていた連中は試験勉強していたのではなく、勉強が好きで講義にかじりついていた。僕は医科学系の勉強には興味がなかったわけではないが、とにかく講義中、じっとしているのが堪え難かった。 試験前には、前の席に座っていた優秀な女子学生にプレゼントをしてノートをコピーさせてもらった。優秀な男子学生は僕のような不真面目な奴を嫌って、話をするのもやっとだった。僕が彼らからノートを貸してもらうことは到底無理だった。僕はこの経験を通して、男同士はライバルで厳しいが、女性はいざという時は男性を助けてくれることを学んだ。 “猿レベル”だった学生時代 医学部の厳しい生物学教授は一学年120人に10人近くいた僕のような不真面目医学生に対して、「君たちはまだ猿のレベルだ。早く高等な人間になりなさい。君たちの授業料等は国民から集めた税金も使われているんだから、早く態度をあらためて立派な医師になりなさい。そして国民の皆様に恩返ししなさい。」と告げた。その時は「なんだよ、僕たちのことを“猿”呼ばわりして。」と反発したが、今振り返ると、さすが教授だけあって、正しい事を述べていたと思う。しかし、勉強が好きか嫌いかは自分の意思で変えられるものでなかった。これは持って生まれたものであって、僕のこの姿勢は終始変わらなかった。その分、効率よい勉強法を身につけ、他の学生よりずっと短時間の勉強で試験を通り続けた。真面目な学生は「あいつは、本当に要領がいいよ。あんなに勉強もしないでふらふらしているのに、試験だけは通るんだよね。」という僕の噂を聞いた事があった。 6年間の長い生活の終わりには医師国家試験が待っている。これに合格して初めて医師となれるのだが、効率の良い勉強法を身につけた僕は無難に合格した。「不真面目学生には不真面目なりに、国家試験のような壁でも乗り越える方法がある。」と確信した。120人のうち、15人くらいが医師国家試験に不合格だったが、その中には「あいつがまさか落ちるとは。」というような真面目な学生が意外にも多かった。国家試験のような短期集中型の勉強は、僕のように試験に受かることのみ考えて望む方が勝算が高い。 国家試験の合格発表がある頃にはほとんどの医学生が自分たちの進路を決めていた。いつも前方の席に座っていた優等生たちはみな内科や小児科など、常に勉強を続ける必要のある診療科に進んだ。僕と仲が良かった連中は、外科系に進んだ。僕はどうかと言えば、卒業間際にすら進路を決めていなかった。勉強が好きではないので、外科のほうが向いていると思ったのだが、外科は外科で仕事がキツそうだし、雰囲気が軍隊のように封建的な外科の医局体制に自分が適応できるか不安だった。結局、悩んでいるうちに決心がつかず、大学院に進学してしばらく研究の道を目指す事にした。その後、自分が外科系に向いていると判断し、今日に至ったのだが、その選択は正しかったと思う。 内科医と外科医の違い ある時、前クリニックで働いていると、内科医の夫を持つ看護婦さんと暇な時間に話がはずんだ。彼女は「久保先生、うちの旦那は暇さえあれば医学書を読んでいるんです。勉強が趣味みたいなんですが、久保先生もやっぱり、暇なときは医学書を読んでいるんですか?」と尋ねてきた。僕は「とんでもない。僕はあまり勉強は好きではないから。」と答えた。内科医は日頃から勉強を続け、最先端の知識を身につける必要がある。外科医は日頃から集中力を高める訓練をし、教科書からではなく実際の経験から技術を高めなければならない。外科手術の場合、誰一人として同じ症例はない。それぞれの症例に臨機応変に対応できる能力が必要だ。その際、へたに教科書を読んで、その通り治療をしようとすると、かえってうまく行かない事がある。あくまで、過去の経験に基づく感を大切にする方が良い結果が出る場合が多い。 内科医は普段からのコツコツと行う勉強が大切であり、外科医は実践の中で集中的に感を磨くべきで、外科医にとって、普段からの勉強は内科医ほどは大切ではない。だから、いつも外科医はいつも真面目に勉強している内科医に頭が上がらないところがある。しかし、外科医は自分たちのいざというときの集中力には自信を持っている。一口に医師と言っても、これほど異なる内科医と外科医の差は、一般的には認識されていない。しかし、この事実は医療の世界にどっぷりと足を突っ込んだ我々医師たちの共通認識である。
(前回からの続き) 彼女にふりかかった呪縛 診察中に気がついたのだが、彼女の背中には男性の名前らしき刺青が見えた。名前は付き合っていた彼氏のものらしく、彼女の想いは相当だった。男性の不倫は男性の家族にも発覚し、この彼氏の妻は激怒したらしい。当然の結果だが、彼女は男性の妻から激しく叱られ、恨みを買った。彼女は相手の家族まで巻き込んだことへの、自責の念にかられた頃から太り始めたらしい。しかし、彼氏に家族の存在を知らされなかった彼女に何一つ非はなく、一方的にこの男性が悪い。どうやら相手はやくざだったらしく、この一件が発覚したのにもかかわらず、男性は彼女に交際の継続を求めてきた。もちろんそれ以来、交際はしていないのだが、純粋な彼女は簡単にその想いを冷ますことが出来ずにいた。 僕は彼女に「それは辛かったでしょう。でもその辛さも、時間がたてばきっと落ち着くはずですよ。」と慰めたところ、彼女はぽろぽろと涙をこぼした。彼女が涙をこぼしたことを医学的に推察すると、彼女の気持ちすでに回復に向かっている。人は激しいショックを受けた直後は動揺して、悲しむことすら出来ない。涙を流すということは、その事実を受け入れ、そのショック(悲しみ)を解消しようとる心の働きだ。彼女はこの悲しみ、寂しさを物を食べることで解消しようとして、激太りしてしまった。人生経験の浅い彼女は過の原因の裏に失恋のショックがあることに気がついていなかった。 僕は彼女に「あなたがどうして痩せられないのか、その原因がわかりました。」と告げた。彼女は目を見開いて「どうしてなんですか?」とすぐに聞き返した。僕は「失恋が原因です。」と答えた。彼女は「やっぱりそうですか。私も多分そうだと思ったんです。でもそうだとしても、この食欲を止めることが出来ません。」と言った。僕は彼女に「失恋が肥満の原因であることを素直に認めることが大切なんです。」と伝えた。彼女は「はい、わかりました。じゃあ、どうすれば良いんですか?」と聞き返してきた。僕は彼女にはっきりと次のように伝えた。「もう彼氏のことは完全に諦めなさい。まだ、好きだと思っているうちはそれがストレスになって、痩せることは出来ませんよ。今回は彼氏だけでなく、その家族まで巻き込んでしまったのです。彼氏の奥さん憎しみが怨念となって、あなたの上にのしかかっているのです。これは‘呪縛’と言って、今断ち切らない限り、延々とああなたに災いをもたらすのです。」彼女は黙っていたが、”はっ”と何かに気がついたような表情をした。僕は最後に「繰り返すようですが、あなたの過食の原因は、彼氏の奥さんの‘呪縛’が原因です。恨みを深めないためにも、もう彼氏のことはきっぱりと忘れてください。これがあなたの過食の治療に最も必要なことです。」と彼女に告げた。彼女は「わかりました。」と答えて去っていった。 現代医療の問題点 “呪縛が肥満の原因”とは、医師の診断としては随分非科学的だと思うかもしれない。この彼女も最初は僕に‘サノレックス‘と呼ばれる痩せ薬を処方するよう要求していたが、僕は敢えて断った。この薬は単にダイエットのきっかけ作りに用いられるべきであって、彼女のケースのように心の問題が肥満の原因である場合、あまり意味がない。臨床医として患者を見る場合、人間は必ずしも、科学的根拠に基づいて治療されるのが一番良いとは限らない。今回のように患者を‘呪縛‘から開放することも、医師としてれっきとした仕事であり、そのほうが薬を投与するより効果的であることが少なくない。現代医療の問題点は薬を処方したり、何らかの治療をしない限り、病院側の報酬に結びつかないことである。この患者のように、病気の原因が心に生じた軋轢である場合、本当に大切な治療は医師が患者の良き理解者になることなのだが、それでは病院経営が成り立たないため、不必要な治療をせざるを得ない。 すっかりスマートになって戻ってきた彼女 彼女のことはしばらく気になっていたが、日々の診療に忙殺され、時間とともにその後、彼女がどうなっているかすっかり忘れていた。ある日、片目の二重の相談に若い女性の予約が入っていた。診察室に入ってきたのは、あの彼女だった。あれから4ヶ月の月日が流れ、なんと彼女は驚くほどすっかり細くなっていた。「先生、今回は反対側の目を二重治療をしてください。」と彼女はにこやかな表情で僕に話した。僕は彼女に「○○さん、それにしてもすっかりスマートになって!」と伝えたところ、彼女は「あの時、先生に言われた事を最後に、彼氏の事はきっぱり忘れました。」と答えた。僕は思わず、「良かったね。彼氏の奥さんからの呪縛が解けたから、もう心配ないよ。それにしても○○さんはそんなに細かったんだね。」と僕が言うと、彼女は「先生、本当にありがとうございました!」と元気よく答えた。患者さんたちからのこの感謝の一言が、我々医師たちの自信となり、また次の治療への原動力となるのだ。
二重の治療に訪れたのだが ずいぶん以前の話だが、若い女性が二重の相談に訪れた。二重は元々奥二重で、治療が必ずしも必要と言えるほどではない。それよりも気になったのは彼女が20代前半にも関わらず、とても太っていることだった。彼女の身長は165cm、体重は少なく見ても60キロはある。二重の治療の方法についてカウンセリングを終えてから、今回は片目の治療のみを行うこととした。僕は余計なことかと思いつつ、「○○さん、ダイエットはこれからの長い将来の健康を考えると、とても大切ですよ。」と彼女に伝えた。彼女ははっとした顔をして、僕に「はい。わかっているんですけど、、、全然やせないのです。」と答えた。僕は「いつから、体重が増えたんですか?多分、○○さんの理想体重は50~55キロくらいだと思いますよ。少なくともあと5キロは痩せる必要があります。」と続けた。彼女は真剣な表情をして、「先生、どうしたら痩せることができるんですか?」と聞き返してきた。僕は「まず、二重の治療が終わってから、ゆっくり相談しましょう。」と二重治療を行った。 ダイエットに関するカウンセリング 右目の二重治療は一カ所のみの縫合だったので、5分程度で終了し、腫れもほとんど起こらない。彼女は治療が終わったばかりであるのにもかかわらず、心はすでにダイエットのことでいっぱいに見える。よほど、悩んでいたのだろう。若いのに過食などに陥って、急激に太る場合、その背景にストレスと絡んだ原因がある場合が多い。早速、僕は彼女の生活習慣を洗い出すために、次のような質問をした。「○○さん、いつ頃から太りだしたのですか?食生活はどのような感じ?何を食べてから太ってきたのですか?」彼女は「えーと、半年前から急に太ってきたんです。生活が不規則で、夜中におなかがすいて、お菓子をたくさん食べてしまうんです。」と答えた。僕は「ところで、太る前の体重はどれくらいだったんですか?」とさらに質問を続けた。彼女は「今より、10キロは痩せていました。」と答えた。僕は背景にある原因を探るために「○○さんは今学生でしたっけ?」と当たり障りなく、彼女の素性を探ったところ、彼女は素直に「いいえ、今は昼間は何もしていないのです。ただ、夜にキャバクラでアルバイトをしています。」と答えた。 僕はピンとくるものがあった。東京に出てきてしばらくたってから、友人たちと六本木のキャバクラに何度か足を運んでいた頃、若いキャバクラ嬢たちと話す機会を得た。彼女たちの多くが地方出身者で、東京に夢を抱いてやってきていた。しかし、東京で暮らすには生活費がとてもかさむ。若くて可愛らしい子たちにとって、キャバクラでのアルバイトは短時間で高収入を稼ぐチャンスなのだ。だが、理想と現実は食い違い、この仕事のストレスは計り知れない。性に合わない子だと、一日で辞めてしまう。長期にわたって仕事を継続できるのはほんの一握りで、大半の場合、3ヶ月くらいで辞めてしまうことがほどんどらしい。彼女たちに尋ねると、仕事中お客さんと楽しく時間を過ごせるのは10人中1人くらいなもので、後はお客さんの愚痴を聞いたり、自慢話を永遠と話されたりと、愛想がつきるほど退屈な時間を過ごさなければいけない。 過食に陥った本当の原因 この患者さんは地方出身の純粋な子で、見るからにキャバクラの仕事に向きそうにないタイプだ。きっと彼女の場合は、キャバクラ嬢の仕事がストレスとなって、過食傾向にあるのではと疑った。僕は「○○さん、キャバクラでの仕事は精神的に大変でしょう。」と聞いた。彼女は「仕事はなんとかこなせるから大丈夫なんです。でも最近、辛い出来事があって。」と答えた。僕はこの“辛い出来事”に彼女の過食の原因があると踏んだ。僕は「もし良かったら、何がそんなに辛い事だったのか、教えてもらえませんか?」と訪ねた。彼女はあっさりと「実は最近、彼氏と別れたんです。」と言った。僕は「それは辛いですね。彼氏の事は今でも好きなんですか?」と聞くと、彼女は「いいえ、もう終わった事です。よりを戻すことはありません。」と答えた。僕は「なるほど。じゃあ、前に進むしかないですね。」と言った。彼女は僕が尋ねてもいないのに、次のように語りだした。「実は私、不倫をしていたのです。キャバクラで知り合った男性とつきあっていたのですが、その相手には妻子がいたのです。」僕は「○○さんは、その彼氏に妻子がいたのを知らないで付き合っていたのでよね?」と尋ねると「はい、最近まで知りませんでした。それを知って、私は別れる事にしたんです。」と彼女は答えた。彼女は年上の男性に騙された恋愛をしていたのだ。僕はこのショッキングな失恋に、彼女の過食の原因があるに違いないと確信した。 (次回に続く。)
故力道山の弟子たち 先日、自宅でのんびりしていると、ジム仲間の琴音氏から電話が来た。「近くでアントニオ猪木さんとスナックにいるので来ないか?」との誘いだ。時刻は10時過ぎだったが、僕の自宅からそのスナックまで、歩いて10分の距離だったので顔を出すことにした。 琴音氏とアントニオ猪木氏は今から40年ほど前、故力道山の弟子として格闘家を目指していた。琴音氏はヘビー級ボクサーとして活躍し、後年では007シリーズ“黄金の銃を持つ男”にジェームス・ボンドと戦う役で出演している。アントニオ猪木氏はご存知の通り、今でも大変社会的影響力を持つ元プロレスラーだ。二人との還暦を過ぎているのに、身長は185cm以上、体重100キロくらいある。それもそのはず、いまだに毎日ジムでトレーニングに励んでおり、見るからに健康的だ。しかし、かつてたくさんいた力道山の弟子たちの多くはすでにお亡くなりになっており、残っているのは数人らしい。この事実はそれだけ格闘技というものがいかに過酷であるかを物語っている。 今でも大人気のアントニオ猪木氏 アントニオ猪木氏とお会いしたのは3回目だが、あれだけの有名人にもかかわらず、とても気さくな方なので、楽しいひと時を過ごすことが出来た。10年程前まで参議院議員を2期務めた彼はスポーツ平和等を結成して、平和の実現に貢献された。イラク紛争時にフセインイラク元大統領に直接会って、日本人人質を開放することに成功したのは有名である。時計は12時を廻り、そろそろ帰路につこうかと思いきや、アントニオ猪木氏は「お腹がすいたので、何か食べて帰りましょう。」と言い、近くのオープン・カフェに立ち寄ることにした。 六本木の繁華街から少し外れたこのカフェには週末であったせいもあり、この時刻でも若者で賑わっていた。僕たち一同が道路沿いの席に座ると、中にいた若者たちはアントニオ猪木氏がいることに気がついて、歓声を上げた。僕たちは一通り注文を終える頃、その中の若者の一人が彼に握手を求めてきた。アントニオ猪木氏は快く握手に応じると、この若者はさらにアントニオ猪木氏と一緒に写真に撮ることを求めてきた。僕は内心、「そこまで要求するのは行き過ぎなのでは?」と思い、アントニオ猪木氏の反応に注目した。 それは、過去に僕が有名人に遭遇した際、同じようなことを要求したのだが、そばにいたマネージャーに一蹴されたからだ。マネージャーは僕に「芸能人は商品ですから、簡単に写真を撮らせるわけにはゆきません。特に最近はインターネットオークションで売り買いするようなことが後を絶ちませんから。」とその理由を述べた。写真撮影を求められた猪木氏はすぐに席を立ち上がり、快く写真撮影に応じた。若者たちは次から次に訪れ、「ウォー、アントニオ猪木と一緒に写真を撮ったぜ!」と喜んだ。結局、かなりの時間をアントニオ猪木氏はファンたちの対応に費やし、席につく頃には食べ物が冷めかけてくるほどであった。彼が席に着くや否や、今度は路上を通り過ぎる人たちが彼の存在に気がつき、声をかけてきた。それでもアントニオ猪木氏はいやな顔をせず、愛想を振舞いながら、「俺は男芸者みたいなもので、これは一生続けなきゃいけないのさ。」と冗談半分に言った。そばにいた琴音氏は「猪木さんは、有名になる運命を持って生まれたから、人々に注目され続けるのは彼の生涯の仕事みたいなものだよ。」と付け加えた。一般的に見ると、有名になることは羨ましい気もするが、理想と現実は違う。猪木氏のように超有名になると、好むと好まざるに関わらず、何時でも人々から注目され続ける。実際にその様子を目の当たりにして、「これでは気が休まる暇もなくて、ストレスが溜まりそう。有名人も楽ではないな。」と僕は思った。 同時にアントニオ猪木氏が何故長期にわたって、これほどまでに人気があるのか考えずにはいられなかった。過去の実績はもちろんのこと、愛嬌のあるキャラクターを見逃せない。プロレスラーというと怖いイメージがあるが、猪木氏に限っては常に微笑みを絶やさず、人懐っこい性格が前面に立つ。しかし、何と言ってもその人気の秘密は彼の存在感にあるのではなかろうか。人は言葉以外にも、その雰囲気やオーラでその人格の何たるかを表現できる。猪木氏くらいの超有名人はオーラが際立っているのが特徴であり、僕は一緒にいるとそれを強く感じる。縁があって、このように際立つオーラを持つ方々と知り合うこと出来、僕はとても幸運だ。 医療業界以外の人脈 医師は18歳くらいから、周りが将来医師になろうとする仲間のみの特殊な環境で育つ。北海道にいた頃は病院中心の生活で、友人たちも医師ばかりで医療業界以外の世界を知らなかった。実は多くの医師が“先生”と呼ばれる特殊な世界で暮らすため、無意識のうちに一般常識とかけ離れてしまうことも少なくない。そうなると、医療以外の世界では生きられず、悪く言うと“偏屈な存在”として特殊な目で見られる。僕も医学部入学以来、大学院進学、臨床医師となり、開業するまで20年近くをこの特殊な環境で過ごしたため、危うく偏った人間に陥るところだった。 東京に来て開業を目指すと、一番必要になったのは一般世間の常識、つまり普通の人たちと同じ目線で物を見ることだった。あくまで商売を起こす以上、医者としての特殊な感覚は通用しない。1年以上、開業準備にさまざまな経験をして、一般常識と同時に得ることが出来たのは医療関係者以外の人脈であった。最終的にこの人脈を持って開業にこぎつけることが出来たと言っても過言ではない。琴音氏のように、まるで僕の“東京のお父さん”のように接してくれる存在もいる。彼は開業時、僕が不安いっぱいでいると「何かあったら、いつでも俺に相談するのだよ。世の中は一人で悩んでいてどうすることが出来なくても、人脈があると簡単に解決できることがあるからね。」と励ましてくれた。琴音氏にはいまだ、幸いにも困ってお世話になったことはないが、僕のような医師が到底知りえない、芸能や政治界など、さまざまな分野に大変影響力のある人脈を持つ。アントニオ猪木氏とも琴音氏の紹介で知人となることが出来、琴音氏にとても感謝している。 食事の終わりにアントニオ猪木氏は笑いながら僕に「久保ちゃん、今度俺を30歳くらいの若さに戻してくれないかな?」と尋ねた。僕は「30歳はちょっと難しいですね。10歳くらいであれば現実的ですよ。ところで猪木さんはとても元気そうですが、いつまで現役だったのですか?」と逆に聞き返した。猪木さんは「俺は現役(原液)を薄めて使っているから、一生現役だよ。」と、割とつまらない駄洒落で切り返してきた。この冗談に周りでは誰も笑わないのに、猪木さん本人だけがげらげらと笑っているのがとても可愛らしく、印象的であった。
“イペ”について 当クリニックで販売するサプリメント“イペ”を販売する山口社長を尋ねて、大阪に向かった。“イペ”というサプリメントは一般的にまだ馴染みが少ないかもしれない。しかし、サプリメントの中で良く売れているものを調べると、上位15位にランクインする売れ筋のサプリである。“イペ”はエジプトアマゾン奥深くに太古の昔から育成するイペという植物から抽出される。“イペ”はブラジルの国を代表する植物として有名であるが、それはアマゾンに住む原始民族のインデアンたちがこの植物をさまざまな目的で使われたことによる。 ではサプリメントとしての“イペ”の働きはどのようなものなのだろうか?“イペ”にはラパコールと呼ばれる成分が含まれる。この成分は抗炎症作用があり、マラリアなどの寄生虫をはじめ、ウイルス感染症にまで効く。そのため、アマゾン原住民族は“イペ”で病気を治してきたのだ。“イペ”にはマルチミネラルも豊富に含まれ、サプリメントとしてアンチエイジング目的にも用いられている。しかし、その効用で最も注目されるのが、癌への効果である。“イペ”は免疫力を高めて癌を抑える強力な作用を有している事が近年注目されている。癌は転移していると、外科手術ではどうにもならないし、化学療法や放射線療法では激しい副作用が問題になる。しかし、“イペ”にはこういった副作用がなく、“イペ”を1ヶ月ほど服用すると、驚くべき事に癌が小さくなる事が証明されている。長年癌を治療してきた医師もこの“イペ”の効用には驚かされるらしい。現代医療は完璧と呼ぶにはほど遠く、人間が長年用いてきた天然ハーブなどが安全で効果的であり、イペはまさにその代表的なものと言える。“イペ”販売に携わる山口社長は早くからこのハーブに着目し、日本に紹介した第一人者である。僕も“イペ”をアンチエイジング目的で服用しているが、その成果あって体調は極めて良い。このような天然のハーブ類などを用いた医療の価値はこれからどんどん見直されるに違いない。 “イペ”販売会社の山口社長 “イペ”販売会社山口社長はすでに大成功者で、最近は“病気に克つ人、負ける人”という文庫本を出版されたが、この本の売れ行きも好調らしい。一度“成功へのオーラ”を身につけた人は、何をしても高確率で成功するようでうらやましい限りだ。山口社長のオフィスを訪れると、そこには社長が趣味で集めている日本刀を見せていただいた。「趣味で日本刀?」僕は腑に落ちなかったが、山口社長曰く、「日本刀には精神を高めるパワーが備わっています。君も一本手に入れると、“良い気”が高まりますよ。」との助言を頂いた。「彼が成功しているのも、もしかするとこの日本刀のパワーによるものなのだろうか?」と考えていると、山口社長はオフィスのスペースに何やら厚紙で出来た円柱上のものを用意した。僕は何をするのかと思いきや、日本刀でこれを真っ二つに切り落とすというのだ。そのために使う日本刀を見せてもらうと、その刃は鋭く研がれていて、気をつけて触らなければ手が切れるほどだ。山口社長が見本で居合い切りを行うと円柱の厚紙は見事に真っ二つに切り落ちた。次に「僕にやってみなさい。」ということで、日本刀を受け取ってみたものの、その鋭い刃に圧倒されてしまった。恐る恐る振り下ろすと、日本刀は厚紙に挟まって抜けなくなってしまった。切り落とすためには瞬時に振り下ろす集中力が必要なのだろうが、ビビりながらではそれは不可能だ。昔、日本でも侍たちがこんな恐ろしい武器をよくぞ持ち歩いていたものだと改めて思ったが、山口社長曰く「刀はあくまで戦いの抑止力に使われていて、一度も刀を抜かなかった侍のほうが多いのです。」要は原爆と同様、強力な武器を所持する事で、相手が怖くて戦いをいどまないという抑止力が働く。実際に刀を手にするとその意味が良くわかった。 大阪の街 大阪の街は明らかに東京と様相が異なっている。東京は場所によって街の特色が明確で、IT ビジネスと株、金融の街“六本木ヒルズ”やアパレルの街“青山”のような住み分けがある。それに比べて大阪は全体的に一様で、皆が平等に暮らしている感じだ。どちらが勝っているとも言えないが、大阪は人々が人なつっこく、馴染みやすい印象があった。 午後から大阪の街を案内していただいたのだが、“通天閣”や“道頓堀”という場所に連れて行ってもらった。そこで食事をしながら人々の姿を見ていると、東京を歩いている若者とはファッションが異なる事に気がついた。色彩はより原色に近いものが多く、鮮やかでやや派手な感じがする。関東の文化には迎合しない主張がうかがえるのだが、「何故、ファッションはあのように独特なのだろう?」と山口社長に尋ねると、「それは“チョゴリ”などを身につける朝鮮文化の影響です。」と教えてくれた。「なるほど、大阪は関東の文化ではなく、歴史的に深く関わりのあった朝鮮文化を取り入れて、独自なものになっているのか。」とピンときた。焼き肉、お好み焼きなど美味しい食べ物も朝鮮文化に深く関与している。 新幹線“のぞみ”に乗ると3時間足らずの距離だが、同じ日本でありながらその文化は全く異なる。振り返ってみると東京に来て5年間、様々な人々に出会ったが、ほとんどが関東、もしくは九州、東北、北海道出身でその中に大阪出身の人は一人もいない。大阪の人たちは自分たちの街を離れず、この街を愛し続けているに違いない。僕は北海道出身だが、その先祖を辿ると関西の血が少なからず流れているらしい。大阪を訪れてみて、自然と馴染みやすい印象を受けたのも、僕の祖先から受け継いだものかもしれないと感じた。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ