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アンチエイジング診療の外ー5(与論島を訪れて)

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サーフィンの楽園の島 年末休暇を利用して2日間沖縄の北に位置する与論島を訪れた。与論島は沖縄本島の隣にあるが、沖縄県には属さず鹿児島県の島だ。人口6000人、周囲22キロの小さな島だがここを訪れたのには意味がある。僕は学生時代、北大でウインドサーフィンを始めた。それは大学1年の夏だった。始めるやいなや、兄の影響で僕はすっかりこのスポーツにはまってしまった。簡単そうに見えて以外に難しかったのが、僕の心をくすぐったのだ。兄たちは自由自在に乗りこなしているのに、僕は岸辺近くで数え切れないくらい海に落ちて、海水浴に来ていた子供たちの笑いものとなった。初日は悔しくて夜の8時ころまでひたすら練習したのだが、海もすっかり静まりかえっていた。それでも練習しているとなんとかボードの上に立つことが出来た。兄たちが僕に向かって「おーい、そろそろ帰るぞー。」と呼んだ。僕は悔しくて必死になっていたのであたりが暗くなるのも忘れていた。それからしばらくたってからだった。サーフィンボードにしがみついてバランスをとっていると、岸にいる兄の友達が「よーし、その調子だ。進んでいるぞー!」と声をかけてくれた。すっかり暗くなった足元の海を見ると、僕のサーフィンボードはゆっくりと前に進んでいた。僕は嬉しくて思わず「やったー!」と大声で叫んだ。それから毎日ウインドサーフィンに明け暮れる生活のとなった。当時の日本はバブル経済のおかげで、この手の派手なスポーツがもてはやされた。あるとき買ったウインドサーフィン雑誌に”ウインドサーフィンの楽園、与論島”という記事を見つけた。 北海道の夏は短く、一生懸命練習したくてもその環境は厳しかった。ある年の11月の初旬、まだ若かった僕は友達と札幌の海で今年最後のサーフィンをと出かけた。随分寒く、始める前から手がかじかむほどだった。思い切って海に出たものの、途中から雪が降り出してきて、海に落ちると頭が”きーん”と鳴るほど寒かった。このような環境では沖縄でサーフィンをすることは夢のように思えた。あるウインドサーフィンの雑誌にはこう書いてあった。”与論島でウインドサーフィンをするのであれば季節風の吹く冬へ”と。ウインドサーフィンは風が吹かなければできないが、その風が絶え間なく吹き、南国の冬の水はそれほど冷たくないとすれば当時の僕にとって、それはまさに楽園であった。特にウインドサーフィンの道具は学生には高く、満足には買うことすらできなかったのに、この楽園の島、与論島では海辺に新品の道具がたっぷりと用意されていたのだ。しかもここには航空会社の作ったリゾートがあって、その雰囲気はまるで地中海のようだった。 夢と現実の違い 僕が持っていたこの与論島のイメージは何しろ今から15年くらい前のことだ。それからいつの間にか時間はどんどん過ぎ去ったが、与論島に対する僕の楽園のイメージはいつまでも冷めなかった。年末はほんの少しでもよいので気分転換したかった。しかし、海外に行くほど時間もないし、美容外科という仕事上神経を使うので、海外旅行ラッシュに巻き込まれてストレスを受ける気にもなれなかった。そのときふと与論島のことを思い出したのである。国内旅行であればそれほど混雑に巻き込まれることはないし、何しろたったの二日間、帰国ラッシュが始まる前に戻ってくるのだ。 羽田から2時間半で那覇空港に着き、30人乗りのプロペラ機で30分かけて与論島へ到着した。バスに乗って、5分もしないうちに雑誌に載っていた地中海のコテージのようなリゾートについた。期待で胸が膨らんだ。何しろ15年前に持ち続けていた夢の島への訪問が実現したのである。しかし、夢と現実が大きくかけ離れていることに気がつくのにそれほど時間はかからなかった。このリゾートはすでに過去の遺産となっていた。ほとんどこの場所を訪れる人はおらず、あたりは古く錆付いていた。過去には賑わっていただろうと思われるビーチにはパラソルチェアやサーフボードの残骸がそのままにされていた。数多くの地中海風のコテージがあったものの、ほとんどが空き家のようになっていた。これはバブル時代の過剰投資の遺産となっているのだと直感した。与論空港には30人乗りのプロペラ機しか飛んでいないので、こんなにたくさんのコテージがあってもお客さんが島に来て利用できなかっただろう。それでも景気のよかったときは何とか維持できたのだろうが、バブルがはじけてから破綻に向かったことは手に取るようにわかった。この島への楽園のイメージは僕の中で止まっていたのだが、現実は時代の流れとともにどんどん変化していた。 それではウインドサーフィンはどうかと思い、タクシーに乗って海へと向かった。タクシーの運転手にこのリゾートについて「運転手さん、このリゾートはどうなっているんですか?」と聞いてみた。運転手は「昔は賑わっていたんだけどねー。今はもうすっかり廃れてしまった。航空会社が支援していなければ今頃潰れてるよ。」と僕の予想は的中していた。あいにく雨模様の天気で気温もサーフィンをするには肌寒かった。ビーチについてみると数人のサーファーが雨の中サーフィンをしていた。浜辺でたたずむサーファーの一人に「天気はどうですか?」と聞いてみたところ「沖縄の冬は風は吹くけど曇りか雨が多いよ。」と教えてくれた。僕の楽園のイメージは晴れた日に風がヒューヒューと吹いていると思ったのだが、これもまた僕が勝手に作り上げていた幻想だった。実際はウエットスーツを着なければ肌寒くて、南国でのサーフィンというわけにはいかなかったのである。あいにく僕の滞在する二日間も雨のち曇りという天気だった。 実際にこの島に来てみて初めて僕の持ち続けていたイメージが現実とはかけ離れているものであることが分かった。僕は自分自身に「世の中って、往々にしてこういうもんだよ。自分で勝手にいいことばかり考えてるんだ。」とつぶやいた。 やっぱりここに来て良かった! あっという間に二日間は過ぎ、東京に戻る日になってようやく日が射してきた。気温は23度くらいまで上がってきた。帰りの飛行機は午後4時なので午前中は行動する時間があった。「なんだよ。今頃になって天気が良くなってきても、もう遅いんだよ。」と僕はつぶやいた。このリゾートには古くなったレンタル・スクーターがあったので、僕はすかさずホテルのカウンターで尋ねた。「島をスクーターで一周するのに、どれくらい時間かかりますか?」ホテルのボーイさんは「だいたい30分くらいですかね。」と答えた。 僕はスクーターを借りて、島一週を試みた。この島には東京都と同じ日本とは思えないほど自然が残っていた。畑の舗装されていない小道を走るとバッタが一斉に飛び跳ねた。これは30年以上前僕が北海道で夏暮らした田舎街をフラッシュ・バックさせた。スクーターはどこにでもアクセス出来た。僕は人気のない海辺にスクーターで近寄った。そこには「ウミガメの産卵地、近寄るべからず。」と書いてあった。あまりにも天気が良いし、誰もいないので僕は裸になって泳いでみた。多少水は冷たかったものの、あの北海道の冬の冷たさに比べてみれば、まさに楽園だった。僕は「やっぱりここに来て良かった!」と感じた。 島の道路沿いにふと神社があるのに通り越してから気がついた。僕は慌てて戻って神社で新年のお参りをすることにした。神社は見晴らの良い岬にあり、水平線を見渡すことが出来た。ハワイを思いださせるような絶景だ。気合いを入れておみくじを引いたら大吉だった。「去年、開業前に鎌倉で引いた時は凶だったのに。今年はさらに飛躍しなければ。」と思った。

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