昔見た映画、”ショーシャンクの青い空”で、モーガン・フリーマン演じる囚人が、長く捕らわれた後、「今さら釈放されて娑婆に戻っても、そこで暮らしてゆく自信がない」と漏らすシーンがある。
我々は刑務所のような辛い環境でも、長期間滞在すると、その環境に慣れ親しんでしまう特性を有しており、これをInstitutionalization(習慣化)と呼ぶ。すなわち、我々は環境の良し悪しにかかわらず、習慣化するとそのどちらでも身につける可能性がある。
では万が一、知らず知らずのうちに悪習慣が身についてしまった場合、どうすればそれを断ち切るのだろうか。悪習慣は毎日の繰り返しから抜け出せない状態なので、思い切ってその悪環境を断ち切る以外方法はない。
実は僕自身も、都心での仕事中心の生活に没頭している間、いつの間にか思わぬ方向にInstitutionalization(習慣化)されていた。美容外科の仕事は楽しい反面、経営を成立させる大前提があるので、他の仕事と同様、お客様、会社中心にビジネスを営まざるを得ない。
つまり仕事をする限り、何でも自分の思い通りに行くとは限らず、自己犠牲を強いられ場面が多い。そして自己犠牲を多分に強いられた開業当初からつい最近まで、僕自身も思わぬ方向にInstitutionalization(習慣化)されていた。
僕の陥ったInstitutionalization(習慣化)は、労働優先に生きるのが美徳であり、人生を謳歌するのあ二の次にすべきとする考え方だった。だがこれは真実ではなく、我々が資本主義社会によって、故意的に植え付けられた洗脳に過ぎない。欧米諸国では労働がむしろ罪悪で、人生はそれを謳歌するためにあるとする価値観に比べると、我々にはそれと全く正反対の価値観が植え付けられたのだ。
僕はここ数年、年末年始に敢えて長期休暇を設定し、この誤ったInstitutionalization(習慣化)を打破する努力をし、ようやくそこから解放された。その結果、人生の主役はあくまで自分自身であるべきことを知り、社会や他人の犠牲に終始していては決して幸せになれないことを悟った。
また自分が人生の主役になってこそ、その個性が輝きだし、巡り巡って何をするにしても良い方向に動き出すことを実感している。社会常識を打ち破ってまでも、自分の望む道を追求するのは大変勇気のいる行為だが、その努力があってこそ、現代社会の誤ったInstitutionalization(習慣化)から解放される。そして、そこから解放された境地にこそ、本当の幸せがあることを、多くの方々に知って欲しいと心から思っている。
Posted on | 1月 10, 2012 | No Comments

早朝すでに太陽がまぶしい、ビバリーヒルズ、形成外科センター前で
資本主義の罠
僕は普通のサラリーマン家庭に昭和40年初頭に生まれた。両親ともに戦前生まれで、昭和20年の敗戦後の復興の中、懸命に生きていた。僕が幼少の頃の北海道はまだ貧しく、自宅や学校も石炭ストーブ、水洗トイレはもちろんなく、朝顔を洗うにはお湯を沸かして行うといった具合だった。
小学生に上がる頃からテレビが現れ、ようやく一般家庭に娯楽と言えるものが現れた。特に昭和40年代以降の日本は、めざましい経済発展を遂げ、父をはじめとする多くの日本のサラリーマンたちは、不眠不休の如く働き続けていた。その頃僕の父は、仕事に出ずっぱりで、僕の夏休み中に一緒に出かけようしても、3日続けて休めないほどだった。
すでに他界した父だが、このように日本が豊かな国になったのも、ひとえに彼らのおかげで、その勤勉さに感謝せざるを得ない。だが僕は最近になって、こういった日本に経済発展をもたらしてた勤勉な労働者たちが、実は資本主義社会をコントロールする一部の支配層の奴隷と化していたことを知った。
サラリーマンとして40年以上懸命に働いた父が他界した時、彼に残された財産はほとんどなかった。父が生涯努力して稼いだ収入のほとんどは、住宅ローン、生命保険、さらに時代の流れとともに値下がりした不動産などとして消えた。
その消えたお金は、銀行や保険会社を支配する大株主たちの懐を厚くするのに貢献したのだ。こういった一部の支配層は、父のような真面目なサラリーマンたちを生涯働き続けさせて、彼らしか手にすることの出来ない莫大な財を築いたはずだ。
僕は父がサラリーマンとして働くあまりに過酷な姿を見て、いつも将来サラリーマンにだけはならないようにと、子供ながら心に誓っていた。だが、そのような父の背中を見て育ったはずの僕も、いつの間にか資本主義社会の罠、すなわち拝金主義の洗脳につい最近までどっぷりと漬かっていたのだ。
ではこの拝金主義の洗脳とは何だろうか。 第二次世界大戦後のわが国は既存の文化、価値観がすべて取り壊された。そして 日本の復興にあたって、 先進国流資本主義が導入されたのは周知の事実である。 この先進国流資本主義こそが、拝金主義の洗脳と呼ばれるものだ。
すなわちそれは、お金は貯蓄するものであり、お金さえあれば将来も安泰なので、節約や貯金が何より大切といった考え方であった。敗戦後、自信を失っていた日本人は、この一見まっとうに思える考え方を頭から信じてしまった。
その結果、元来勤勉な我々日本人はひたすら働き、この経済発展を成し遂げた。だがそれは同時に、ほとんどの日本人が、先進国流資本主義を推奨し、そこから利益を吸い上げる一部支配階級の犠牲と成り果てる結果となった。
Posted on | 12月 17, 2011 | No Comments

2011年11月、大連で行われた解剖学実習セミナーに参加して
クリニックの近所に、小さな革製品を扱ったお店がある。店主がイタリアで直に買い付けた物や、彼がデザインしたものをイタリアの職人が製造した物を、このお店では扱っている。実際に製品を手に取ると、その質感は一流ブランド品となんら変わらない。
店主はとても気さくな方なので、これらの製品について何でも教えてくれる。その話でとても驚いたのは、彼が仕入れるアイテムの材料や、それらを作る職人は、高級ブランド品メーカーとほぼ一緒ということだ。敷いて言うなら、このお店の製品と高級ブランド品の違いは、デザインとブランド名だけらしい。
すでイタリアを150回以上訪れたという店主の目は良く利き、このお店のデザインも高級ブランド品と何ら引けを取らない。すなわち、彼のお店のアイテムと高級ブランド品との違いはブランド名があるかどうかだけだ。
彼曰く、高級ブランド品は原価の10倍の値をつけるとのこと。つまり我々は高級ブランド品を購入するとき、製品価値そのものより、そのブランド名にお金のほとんどを費やしていると言っても過言ではない。ちなみにこのお店のアイテムは、製品価値はブランド品とほとんど変わらないにもかかわらず、その値段はブランド品の半額以下であった。
それにして日本人のブランド品好きは世界的に有名である。確かに他のどの国を訪れても、日本人ほどブランド品を身につけている人たちはいない。何故ここまで日本人はブランド品好きになったのだろう。それには下記の如くいくつかの理由が考えられる。
1.平均的日本人の懐が温かくなった。
2.戦後、日本の伝統固有文化が破壊され、価値観が曖昧になった。
3.ブランド製品のデザイン、性能が、それ以外のものより優れている。
4.周囲と同様であることに価値観を持つ日本人の性格。
5.広告代理店とメーカーの連携で、揺るぎないブランドイメージが日本人に定着した。
銀座に軒を連ねる高級ブランド品店の数々、その桁外れの家賃を支払う価値があるのも、高級感を我々に植え付けてこそ、これらの製品が売れるからだろう。だが冷静に考えると、その高い家賃は我々が購買する一つ一つの製品に加味されている。だからこそ、ブランド品はそれ以外のものより、大幅に値段が高いことを知っておく必要がある。
だが頭を冷静に考えると、本当に価値があるのはブランド品より、それを身につける我々自身の方だ。我々自体の価値が高まると、この店主のお店の製品を身につけても、十分素敵に見えるはずだ。
バブル時代のように、強引にお金を稼いで高級品を買い漁る時代はすでの遠い過去の話だ。今は何事に対してもその物の本当の価値を知り、無駄使いを節約すべき時なのだ。
そうすることによって、消費経済社会の奴隷になることなく、幸せな人生にとって不可欠な自由や余裕を得ることが出来るであろう。
Posted on | 12月 2, 2011 | No Comments

北京大学医学部形成外科カンファレンスへの参加
このような医療の中でも最も過酷な分野で働く外科医たちは、僕たちのような学生に構っている暇などなく、邪魔をしない程度に見学させてもらうのがやっとだった。そんな過酷な外科医たちの姿を見て、僕たち学生は”外科医になるのはよほどの覚悟がないと。。”と話し合ったものだ。
ある時、一人の心臓外科医がつぶやくように、”あー疲れた。こんなに大変な仕事を俺はやっているのに、他科の楽な医師たちと同等の給与だと思うと嫌になってしまうよ”と。この外科医の一言に、学生の僕は確かにあれほど過酷な仕事にもかかわらず、そうではない医師と同等の給与というのは割に合わず、明らかに不平等だと思った。
僕はそういった既存の給与体系よりも、能力主義、成果報酬と呼ばれるように、医師がこなした仕事量に応じて、給与が増加するほうがやり甲斐があると思った。結局、自分が医師となってもこの考え方は変わらず、保険診療体制よりも、能力主義が可能な自由診療に惹かれるようになった。
だが、保険診療を行っている医師の中には仕事のみにその価値を見出し、給与体系は全く気にしないといった非常に高潔な考え方をする医師もいた。この考え方こそが、人の命を預かる医師として最も尊敬すべきものであろう。
最後に
これまで述べたように、現代医療には僕を自由診療へと向けたいくつかの矛盾点が存在する。だが、医療をビジネスとして多くの人々が生きている限り、この体制はすぐには変わらなであろう。また、いくつかの矛盾点があるものの、国民皆保険制度は、多くの人々に分け隔て無く、安全な医療を提供する優れた体制であることには間違いない。
例えば米国では、医療費を支払えない患者さんは、たとえ瀕死の状態であっても病院から追い出すようなこともあるらしい。それに比べると、いかに日本の保険体制が優れているかがよくわかる。
現代人は政治や社会にすっかり無関心になってしまった。我々一人一人がもっと政治に関心を持ち、医療における矛盾点を是正しようとすれば、さらに良いシステムが導入されるであろう。その結果、医療費、税金が軽減され、より豊かな生活の実現に近づくはずだ。
近い将来、我が国ではTPP(環太平洋経済連携協定)導入が現実味を帯びてきた。このシステムの導入で懸念事項の一つが医療サービスの自由化である。米国流の民間保険制度が導入されると、これまで培ってきた保険制度が崩壊する恐れもある。
そうなると、比較的平等であった我が国の医療が、所得に応じて医療の質が異なるような不平等医療が現実化しかねない。今こそ、知らない間に我々に根付いた無関心や日和見主義を改め、一人一人が明確な意見と、それを主張する勇気を持ち、皆が幸せになれる国造りのための努力をするときが来ている。
Posted on | 11月 19, 2011 | No Comments
僕が通常(保険)医療を離れ、自由診療を開始して10年が経過した。10年前の日本では、人口に占める老人の割合、そして国民医療費は現在ほど大きくなかった。だが、時代の変遷とともにこういった指数は次第に増加したため、現在我が国は多大な財政赤字を抱え込むこととなった。
当時、その穴埋めに行われた健康保険負担アップは1割負担から3割負担へとすぐに引き上げられた。この経験を通して僕は、国家予算における医療費の占める割合が激高している現実を知り、このまま健康保険制度の枠組みの中で医療を行うことに危惧を感じた。それと同時に、国民健康保険を用いることなく、自己負担で行う美容医療などの自由診療へ次第に興味を持つようになった。
外科研修を終了した今から10年前、僕は美容外科の老舗、十仁病院の門を叩き、それ以後僕は自由診療主体の診療を展開している。当時、自由診療の世界に足を踏み入れるのは希で、周囲からはアウトロー(無法者)のように思われたので、僕は人目を忍んでこの世界に飛び込んだのを鮮明に覚えている。だが、何故そんな逆境を踏み越えてまで僕はそうしたのか、いくつかの決定的理由があるので、今回はその点について述べたい。
1,患者数の減少:外科研修初期の頃、僕は手術症例の多い個人病院を選択した。個人病院で勤務する上で重要なのは、なんと言っても患者数の確保だった。だが、先述したように国家医療費激増の中、どんなに人気のある医師でも、患者の負担額が増えるにつれ、患者数が減少してゆく現実を見た。つまり、患者数確保に関して、医師の能力以上に国家政策の影響力が強いのでは、自分の仕事の舵取りがままならないことを意味する。それに比べると、自由診療では医師の能力がそのまま患者数に比例するので、その方がやり甲斐があると僕は思った。
2.病気があってこそ成立する医療ビジネス:保健医療に携わっていたころ、僕は薬剤会社さんたちと会食に出かけた。そこで言われた次の一言は今でも忘れない。それは「先生、なんとか風邪患者さんを増やしてくれませんか。このままでは風邪薬の売り上げが目標に達しないのです。」の一言だった。
この一言は現代医療の矛盾点を見事に示している。本来、医療は病気を減らし、我々が健康に生きるために存在するはずだ。だが実際は医療には製薬や医療機器などの収益を得ることを目的としたビジネスが密接に絡んでいる。このように国民が病気に罹患することで収益の上がるビジネスがつきまとう限り、患者さんの利益を最優先とした本当の医療を追求するのは難しいと思った。
現状健康保険制度下では検査項目を増やせば増やすほど、病院、検査会社などの関連ビジネスが儲かる仕組みになっている。例えば五十肩と呼ばれる老化性肩関節炎があるが、これは経験豊富な整形外科医だと、診察のみで十中八九その診断はつく。しかし診察のみの保険点数は低いため、収益が上がらないので、病院側はたとえ診断に不必要なことがわかっていても、血液検査、肩関節造影、MRIなど病院の収益に結びつく検査を行わざるを得ない。
だが最終的にたどりつく診断結果は、結局五十肩というのがほとんどの場合なのだ。このように非効率な医療体制では、今後我が国の医療費は上昇する一方で、我々の貴重な税金から捻出されている。これ以上財政赤字が深刻な状態になれば、明るい将来を脅かすことになりかねず、僕は医師として無意味な医療費の増加に加担しかねないことに疑問を感じはじめていた。
Posted on | 11月 11, 2011 | No Comments
クリニックが落ち着いた現在、僕は月に1度ほど、生まれ故郷の北海道に戻るようにしている。この時期としては珍しい晴天の休日、実家の近所では一家総出で漬け物用の大根を干したり、もうすぐやってくる冬の前に庭の木々囲いなど、のどかな光景が見られた。
普段、僕は東京のど真ん中で現代文明にどっぷり埋もれた毎日を送っている。こういった生き方が、人間にとって望ましい生活だとつい最近まで信じていた。だが、本当は僕のような都会生活は特殊であり、今でもほとんどの日本人は自然と共存しながら静かに生きていているし、そのほうが人間にとって望ましい生活なのだと思う。
たとえば、札幌近郊ではこの時期、2メートル近いヒグマが山沿いの至る所に出没している。このところの天候異変のせいか、ヒグマが冬眠前に食べるドングリなどの木の実が不足していて、普段暮らしている山奥から食物を探しに街近郊まで出てきているのだ。
ヒグマは時として人を襲い、殺すこともあるどう猛な面を持っていて、ヒグマ出没地域は厳戒態勢だが、逆に見ると、北海道はまだこんな大自然が残された、かけがえのない場所の証拠でもある。紅葉と冷たくさわやかな空気に覆われた山中を、僕はマウンテンバイクで走り抜けたが、これ以上の気持ち良さはないと思えるほど感動に包まれた。
現代社会で我々に多大な影響を与え続けるテレビなどのマスコミ媒体は、残念ながら自然と共存する静かな生活を軽視している。その代わり、拝金主義に陥った派手な生活にばかり脚光を当て、そういった生活こそ価値があると我々に勘違いさせている。
我々が健康で幸せな人生を送るのに不可欠なものは、お金では買うことの出来ないきれいな水や空気、そして緑など自然の中にあることにそろそろ気づくべきだ。幼少時代から北海道で育った僕は、そういった自然の大切さに東京暮らしが10年を越えた今、ようやく気がついた。
Posted on | 11月 1, 2011 | 2 Comments
僕がはじめてアップル・コンピュータと出会ったのは、医学部を卒業して大学院に入学した頃だから、今から20年近く前のことになる。理系なのに数学やコンピュータサイエンスが苦手だった僕は、当時のMS-DOSの使い方がちんぷんかんぷんで、いざパソコンを使おうとしてもどうして良いか分からず、途方に暮れていた。そんなとき、たまたま大学院の先輩がアップル・コンピュータを持っていたのだが、このコンピュータを見たとき、”これであればコンピュータ音痴の僕でも使える!”と直感し、早速手に入れた。
アップル・コンピュータの当時のキャッチフレーズは、”What you see is What you get(画面上のアイコンで操作可能)”から分かるように、当時の難解なMS-DOSを知らない初心者でもすぐにこのコンピュータであれば使うことが出来た。当時スティーヴジョブ氏は、彼自身がコンピュータの専門家ではなかったので、誰でもすぐ使えるコンピュータの開発にこだわったらしい。
アップル・コンピューターの使い勝手の良さは言うまでもないが、そのデザイン性も卓越しており、無駄が一切省かれ、このコンピュータの裏側さえも美しい。スティーヴ・ジョブ氏のデザインへのこだわりは並大抵ではなかったらしく、コンピュータ内部の無駄すらも一切排除したため、これほどまでコンパクトで美しい製品が完成されたのだろう。
その一貫した姿勢は、最近大人気のiPod、iPhone、iPadにも受け継がれており、アップル製品は彼のおかげで世界中で愛されるようになった。そんな偉大なスティーヴ・ジョブ氏だが、数年前から膵臓がんに冒され、つい先日帰らぬ人となった。
日本人の僕ですら、彼がこの世を去ったことを知って大変ショックを受けたのだから、米国人たちの彼への喪失感は甚大で、今世紀を代表する偉人の一人を失ったと認識しているらしい。スティーヴ・ジョブ氏の徹底したこだわりによって産み出されたアップル製品は、これからも我々に愛され続けるであろう。
彼のような偉人は、たとえこの世を去っても我々の中に生き続けると思う。我々は彼のような不滅の人を偉人と呼ぶのではないだろうか。スティーヴ・ジョブ氏の冥福を心よりお祈りしたい。
http://www.youtube.com/watch?v=OaMT8fZpEXA&feature=related
Posted on | 10月 14, 2011 | No Comments
今から約10年前、ニューヨーク・マンハッタンに、脂肪吸引や豊胸などで有名なで、常にマスコミに引っ張りだこだったある開業医がいた。僕の米国出身のある友人はテレビ出演で知ったこの医師を訪れ、下腿を太く見せるシリコン・インプラント挿入手術を受けた。
だがその後間もなくすると、片足が思わしくなくなり、炎症や痛みが出現した。上半身に比較すると、下半身の血流は悪く、シリコン・インプラント等の異物を挿入すると、”蜂窩織炎”と呼ばれる下肢全体に波及する感染症を起こすことがある。
当時彼はエクスパットと呼ばれる超一流の株トレーダーだったが、結局左足に炎症を抱えたまま日本に戻ることになった。彼は日本からすぐにこの医師に連絡をしたが、なんとこの医師は多忙を理由に友人の連絡を無視したのだ。
途方に暮れた彼は、日本の友人の紹介で僕の元を訪れた。僕は自分のクリニックで彼の治療を行うのはいかがなものかと悩み、とりあえず某大学病院に紹介することにした。だが彼はその大学病院を受診直後にメールで「その大学病院では投薬以外何も処置をしてもらえず大変失望している」との訴えた。彼の話では「担当医は自分が外国人で日本では行わない特殊な治療をしていることを理由に治療を拒否した。これは差別だ」と述べた。
だが彼の症状を診察すると、投薬のみで解決する状態ではなく、抗生物質の点滴静注と感染部位を切開して、ばい菌を排出するドレナージ治療が必要なのは明らかだった。大学病院で治療拒否されたのであれば、僕が治療を引き受けざるを得ず、僕が治療を行うことにした。その後彼の足は完治し、これを契機に僕は彼と無二の友人となった。
それから10年余りの歳月が経ったが、最近になってこの友人から治療を行った米国人外科医のその後の話を聞いた。この医師は数年前、ボディビルダーが使用するステロイドホルモンの管理不行き届きで医師免許を剥奪されたとのこと。米国では医師の薬剤不正使用には厳格な処罰をすることで有名である。
この医師が僕の友人にとったような無責任な診療態度が原因で、彼の運気は次第に下がり始め、最終的に医師免許を失う結果になったのではないだろうか。医師資格を失った彼はその後西海岸に移り、トレーニングジムトレーナーとして再スタートを切った。だが彼はニューヨークの花形医師として活躍した過去の栄光を忘れられなかったのか、ジムトレーナーとして働くうちにうつ状態に陥ったらしい。
たとえ再スタートを切ったとしても、過去の栄光にしがみついていてはいつまでたっても日の目を見ることは出来ず、こういう状況では運気は下る一方となる。何があったかしらないが、ある日彼は自分の妻を射殺した後、自分のこめかみを打ち抜いて自殺した。
嘘のような話だが、動物性肉を常食とし、薬物を常用する白人社会ではこのような衝動的犯罪が発生することがある。(動物性肉摂取量と犯罪率は相関性が示されている)こういった事例からわかるように、我々は謙虚さを失った途端、運気(波動)が下がり始め、そのまま反省せずにいるとこの米国人医師のような悲惨な結果に陥ることが少なくない。
逆に謙虚さを持続していると、万一物事が思わぬ方向に向かったとしても、すぐにその誤りに気がつくので、早期に軌道修正可能となる。僕が今日までさまざまなことを経験しながらやってきたのは、この重要な事実を知るためだったと言っても過言ではない。
(Burce Nadler 医師の記事)
Posted on | 10月 5, 2011 | No Comments
外科医に不可欠な良運気
外科医の運気が下がると思わぬ問題に遭遇しかねない。僕の場合も、過去のある時期、度重なる困難に遭遇し始めた。その原因は何だろうと思い起こしても何一つ思い当たらず、頭を悩ませた。自分の調子の落ち込み様を自覚しているにもかかわらず、そこから抜け出せずにいるのは予想以上に大変だった。その原因をもう一度ここで検証してみたい。
僕が7年前に開始したレーザによる目の下のたるみ治療が大好評を博した。それまで目の下のたるみ治療は皮膚切開を用いて行われていたため、多くの患者さんが治療に踏み切れずにいたのだろう。開業してしばらくするうちに、1日6〜7件の手術予約が4ヶ月先まで埋まるようになった。それ以来、手術に追われる毎日が続いたが、当時の僕は一例でも多くの手術をこなそうと躍起になっていた。気がつかないうちに疲労が蓄積し始め心身ともに疲弊してしまった。
疲労困憊した心身とともに運気も低下し始め、ネガティブな事象(エネルギー)を引き寄せ始めたのが度重なる困難に遭遇した主な原因だったと思われる。どの業界でも人気急上昇、いわゆる”ブレイクすると、その後は何かをきっかけに人気にかげりが生じるのが世の常だ。僕のクリニックもこのブレイク状態は2006年初頭に始まり、2008年のリーマンショックを契機にして終焉に向かった。
健全なビジネスとは、一瞬で燃え尽きる炎のように”ブレイク”するのではなく、炭が長時間燃え続ける如く、”ブレイク前状態”を維持することである。つまり、目先の利益を追うのではなく、長期展望を持ちながら、現状維持させることが本当の成功なのだ。この重大な事実に気がつかず、むやみやたらに仕事をしていたため、その代償として運気低下、憂鬱感や焦燥感などに苛まれたのだった。
挙げ句の果てに、何のために仕事をしているのかわらない、いわゆる”本末転倒”に陥ってしまったのだ。だがしばらく悩んだ後、その原因に気がつき考え方を改めた結果、次第に僕の運気は軌道修正し始めた。現在は憂鬱感からも解放され、楽しく充実しながら仕事ができるようになり安堵している。次回は僕以上に運気の低下した米国人外科医の話を述べたいと思う。
Posted on | 9月 13, 2011 | No Comments

どこまでも続く万里の長城の基で
実年齢とは字の如く、いくつ歳をとったかという年齢だが、生物学的年齢とはその人間の肉体や心の年齢を表す。一般的に実年齢と生物学的年齢は一致するが、各々の個体差(遺伝子の違い)や生活習慣の差異によって一致しないことがある。
実年齢より若く見えたり老けて見えたりするのは、この生物学的年齢の差による。一般社会では実年齢を重んじるが、現実的には生物学的年齢のほうが重要である。何故なら、何歳になっても心身ともに健康でいてこそ充実した人生を送れるからだ。
我々は実年齢の若さにこそ価値があると思い込み、社会全体で実年齢の若さをもてはやす。 だが、実年齢が若いと言える時期は20代までのほんの一時期に過ぎず、その時期に固執しても幸せは得られない。この固執は自分たちが失ったと感じる若さへの羨望から生じている。
実は我々の心身は正しい生活習慣、適切な美容医療の活用、積極的な生き方などを日頃から取り入れると、簡単には老化しないように出来ている。たとえば、我々の肉体は実年齢とともにすべて老化してゆくように思えるがそうではない。放置しておくと実年齢とともに老化するのは皮膚に過ぎず、筋肉、骨格、脳などは実年齢とともに老化はしない。
皮膚が老化する主な原因は日光の紫外線、喫煙、体内に入る有害物質等の影響によるもので、こういった有害因子を取り除けば、皮膚の老化も食い止めることが出来る。その証拠に研修医の頃、ウイルス性脳炎で幼少時から寝たきりのまま40代となった患者さんを担当したことがあるが、この患者さんの皮膚はまるで10代のようであった。それはこの患者さんの皮膚が日光や有害因子に暴露されることなく40代を迎えたからである。
骨、筋肉、脳などの部位は普段から活用していれば、70~80代であっても年齢に比例して衰えてゆくことはない。僕が大学院生時代に病理学教室に所属していた頃、病気で亡くなった方々の病理解剖を行った。その際、皮膚内側にある筋肉などの臓器は何歳になっても衰えておらず、若年者のそれとほとんど変わらないことに驚愕したことを新鮮に憶えている。
つまり老化の本当の原因は、”我々が実年齢とともに老化する。”といった偽りの暗示にかかり、老化を予防する努力を怠っていることに他ならない。また、我々は”病気になって死を迎える。”といった恐ろしい暗示にも捕らわれているが、これも重大な偽りである。実は”老化=病気”の公式があり、老化を食い止めることが病気を予防することになる。
僕自身そういった努力を30代後半から開始した結果、40代中半を迎えた現在、世の中でイメージする40代半ば実年齢と生物学的年齢が解離し始め、いわゆる”年齢不詳”のような状態になってきた。僕自身がアンチエイジング医療を実践する者として”生き証人”になりたいと思っている。
Posted on | 8月 27, 2011 | No Comments